第79話:最終防衛ライン:S区 〜フェスかな? 人混み怖いので閉めます〜
東京は、地獄の釜が開いたような有様だった。
グオオオオオオッ!!
ギャアアアアアッ!!
停電で闇に包まれた街を、異形の影が跋扈する。
ビルを登る大蜘蛛、車を粉砕するオーガ、空を埋め尽くす怪鳥の群れ。
自衛隊や探索者協会の防衛線は、圧倒的な物量の前に決壊寸前だった。
「だ、ダメだ! 支えきれない!」
「逃げろ! 西へ走れ!」
逃げ惑う人々。
だが、逃げ場所などない。東京全域がダンジョンと化しているのだ。
——その時。
絶望に染まる人々の目に、奇妙な光景が映った。
「見ろ……! あそこだけ、魔物がいないぞ!?」
誰かが指差した先。
東京の一角、S区の方角だ。
そこには、天を貫くような「光の柱(※湊の怒りのオーラ)」が立ち昇っている。
不思議なことに、魔物たちはその光に引き寄せられているものの、ある一定の距離——S区の中心部から半径数キロの地点で、見えない壁に阻まれたように足を止めているのだ。
いや、止まっているのではない。
震えているのだ。
『……ガウ……』
『……怖い……近寄レナイ……』
本能が告げている。
あそこには、自分たちよりも遥かに恐ろしい「捕食者」がいる、と。
「あそこなら助かるかもしれない!」
「光の方へ行け! あそこが最後の安全地帯だ!」
噂は瞬く間に広がり、数千、数万の避難民が、雪崩を打ってS区へと押し寄せた。
◇ ◇ ◇
S区・相葉邸周辺。
かつて湊が「リフォーム工事」と勘違いしていた、政府謹製の巨大な黒いフェンス。
その周囲は今、人、人、人で埋め尽くされていた。
「はぁ、はぁ……! 助かったのか……?」
フェンスにたどり着いた人々は、肩で息をしながら周囲を見渡した。
フェンスの外側には、誰もいない静寂が広がっている。
魔物たちは、遠巻きにこちらを睨んでいるだけで、決して近づこうとしない。
ここは、台風の目。
絶対的な「聖域」の結界内だ。
「ありがたや……。ジャージの神様のお導きだ……」
「この家が、俺たちを守ってくれているんだ……!」
人々はフェンス越しに、暗闇の中に佇む古びた一軒家——相葉邸を拝んだ。
停電しているはずなのに、その家はぼんやりと神々しい光(魔力光)を放っている。
その時。
二階の窓に、人影が映った。
「あッ! あの方だ!」
「神様が、我々を見ているぞ!」
群衆がどよめく。
窓辺に立ったシルエット。
手に「松明」のようなものを持っている。
彼は、集まった民衆を静かに見下ろしていた。
「おお……! 我々を心配して、顔を出してくださったのか!」
「ありがとうございます! 相葉様ァァァッ!!」
歓声と祈りの声が上がる。
それは、絶望の中に差した一筋の希望の光景だった。
◇ ◇ ◇
——家の中、二階の自室。
「……うわぁ」
俺、相葉湊は、懐中電灯を片手にドン引きしていた。
停電でエアコンが止まり、部屋の中は蒸し風呂状態だ。
暑い。
とりあえず窓を開けて空気を入れ替えようと思ったのだが……。
「なんだ、あの人だかりは」
懐中電灯で照らしてみる。
フェンスの外に、びっしりと人がいる。
数千人? いや、もっといるかもしれない。
みんなこっちを見て、手を振ったり、叫んだりしている。
「……フェスか?」
俺は推測した。
最近、S区は観光地化しているらしいし、今日は大規模なナイトイベントでもやっているのだろうか。
停電しているのに、みんなスマホのライトを振って盛り上がっている。
元気だなぁ。
「でも、こっちはそれどころじゃないんだよ」
俺は手元のカップを見た。
『ハーゲンダッツ(ストロベリー味)』。
冷凍庫から救出したものだが、すでにドロドロに溶け始めている。
「チッ、溶けかけだ……。俺はカチカチ派なのに……」
最悪だ。
セーブデータは消えるし、アイスは溶けるし。
泣きっ面に蜂とはこのことだ。
外からは、「ウオオオオオ!」という歓声が聞こえてくる。
楽しそうで何よりだ。
だが、今の俺にはその騒がしさが癪に障る。
「……閉めよ」
俺は対人恐怖スキルを発動させた。
あんな大勢の人に見られていると思うだけで、胃が痛くなる。
俺はそっと窓を閉め、遮光カーテンをピシャリと引いた。
シャッ。
外界との遮断。
これで、俺だけの空間が戻ってきた。
「ふぅ。落ち着く」
俺は暗闇の中で、溶けたアイスを啜った。
甘い。でも、ちょっとしょっぱい気がするのは、汗のせいだろうか。
◇ ◇ ◇
——外の世界。
湊がカーテンを閉めた瞬間、群衆の間には、嘆きではなく「安堵」が広がっていた。
「見ろ……。神がお隠れになった」
「『ここは安全だ。安心して休め』というメッセージだ!」
「あの方がカーテンを引くということは、結界を閉じたということ……つまり、我々は守られたんだ!」
超好意的な解釈。
人々は地面に座り込み、互いに励まし合った。
この壁のそばにいれば、助かる。
その確信が、パニックを鎮静化させていく。
だが。
その平穏も、長くは続かない。
ズシン、ズシン、ズシン……。
遠くから、今までとは質の違う足音が近づいてくる。
魔物の群れではない。
たった数体の、しかし「個」として完成された強者たちの気配。
「待たせたな、マスター!」
闇を切り裂き、上空から一人の男が降下してくる。
金髪碧眼、全身から赤い闘気を放つ男。
ジャック・バーンだ。
「道は開けたぞ! 物資班、続け!」
地上からは、ボロボロになった装甲トラックが突っ込んでくる。
運転しているのは、Sランク配送員・剛田猛。
「ヒャッハー! 湊様への献上品(備蓄食料)、お届けに上がりましたァ!!」
さらに、群衆の中から、一人の少女が剣を抜いて飛び出した。
銀条レイナ。
「師匠の家は、私が守ります! 皆さん、下がっていてください!」
かつてのライバル、配送員、そして弟子。
湊と関わった「強者」たちが、約束の地・S区に集結したのだ。
彼らは背中合わせに立ち、迫りくる「真の闇(地下からの軍勢)」に対峙する。
「ここが抜かれれば、人類は終わりだ」
「だが大丈夫。俺たちの後ろには、『あの方』がいる!」
最強の布陣が完成した。
——家の中で、主が「あー、アイスこぼした。ベタベタする」と嘆いていることなど、知る由もなく。




