第72話:部屋の異変(再) 〜Sランク家政婦はダンジョンに愛される〜
S区・相葉邸の玄関。
夕暮れの斜陽が差し込む廊下で、俺、相葉湊は頭を抱えていた。
目の前には、巨大なボストンバッグを置き、美しい土下座を決めている銀条レイナちゃん。
「……あのさ、レイナちゃん」
「はいっ! 何でしょうか師匠!」
「『飼ってください』って、どういう意味? うちはペット禁止だよ(ポチは除く)」
俺は困惑していた。
日本最強の剣士が、なんで引きこもりの家に住み着こうとしてるんだ。
住み込みの弟子? 内縁の妻?
どっちにしても、コミュ障の俺にはハードルが高すぎる。
「いえ、ペットではありません! 私は……そう、『家具』です!」
「家具!?」
レイナちゃんがキリッとした顔で言った。
「師匠の生活を支える、便利な家具になりたいのです! 掃除、洗濯、炊事、魔物退治、政府との交渉……すべて私にお任せください!」
「最後のが一番重いな……」
まあ、確かに便利そうだ。
特に「政府との交渉」とか、俺が一番やりたくない部分を代行してくれるのは助かる。
でもなぁ……他人と暮らすのはなぁ……。
俺が渋っていると、レイナちゃんがスッと顔を上げ、バッグから「何か」を取り出した。
それは、霜降りが美しく輝く、巨大な肉の塊だった。
「本日の手土産、『キング・ベヒーモスの極上ロース』でございます」
「……!」
「これを使い、私が夕食をお作りします。ステーキ、すき焼き、ビーフシチュー……師匠のお好みのままに」
ジュルリ。
俺の口の中に、反射的に唾液が溢れた。
コンビニ弁当やカップ麺も美味いが、手作りの肉料理には抗いがたい魅力がある。
しかも、相手はSランク探索者。食材選びのセンスは抜群だ。
「……料理、できるの?」
「はい! 野営料理スキルはMAXです! 火加減(火力)の調整には自信があります!」
俺は三秒考えた。
家事代行サービスを頼むと高い。
でも、彼女ならタダ(むしろ食材付き)でやってくれる。
しかも、ポチも彼女に懐いているし、アリスとも仲良さそうだ。
「……合格」
俺は欲望に負けた。
「採用です。今日から君は、我が家の家政婦(住み込み)だ」
「ありがとうございますッ!! 一生、尽くさせていただきます!!」
レイナちゃんは感涙し、床に突っ伏した。
こうして、最強の引きこもり生活に、最強の家政婦が加わることになった。
◇ ◇ ◇
——その直後。リビングにて。
レイナが荷物を持って部屋に入った瞬間、異変が起きた。
ブゥゥン……。
部屋全体の空気が震えたのだ。
照明がチカチカと明滅し、壁紙の隙間から微かな紫色の光が漏れ出す。
気温が下がり、肌を刺すようなプレッシャーがレイナを襲う。
「ッ!?」
レイナは即座に荷物を置き、防御姿勢をとった。
(殺気……!? いいえ、これは『拒絶』の意志!)
この家は、ただの建物ではない。
世界最強のダンジョン・コアルームそのものだ。
主以外の異物が「住人」として定着することを、部屋の防衛本能が拒んでいるのだ。
『……去レ……』
『……主ノ……孤独ヲ……乱スナ……』
脳内に直接響く、部屋の声。
普通の人間なら、この圧力だけで発狂して逃げ出すだろう。
だが、レイナは退かなかった。
彼女は姿勢を正し、部屋の空間そのものに向かって、深く一礼した。
「初めまして。新参者の銀条レイナと申します」
凛とした声。
「私は、主様の孤独を乱すつもりはありません。ただ、主様がより快適に、より堕落的に(?)過ごせるよう、影となり手足となって働く所存です」
「埃ひとつ残さず掃除し、主様の安眠をお守りします。どうか、末席に加えてはいただけないでしょうか」
誠心誠意の挨拶。
数秒の沈黙。
フワァ……。
部屋の空気が、和らいだ。
紫色の光が、暖かなオレンジ色に変わる。
エアコンの設定温度が、レイナが快適に感じる温度に自動調整され、キッチンの換気扇が歓迎するように回り始めた。
「……認めて、いただけたのですね」
レイナはホッと胸を撫で下ろした。
どうやら、この魔王城は、主のメリットになる存在には寛容らしい。
「どうしたのレイナちゃん? 入り口で固まって」
奥から、何も気づいていない湊が顔を出した。
「いえ! お部屋にご挨拶をしていただけです!」
「へぇ、律儀だねぇ。まあ、古い家だからガタが来てるけど、仲良くしてやってよ」
湊が壁をポンポンと叩く。
すると、壁が嬉しそうに「ミシッ(はーい)」と鳴った気がした。
◇ ◇ ◇
一時間後。
相葉邸の食卓には、豪華なディナーが並んでいた。
【キング・ベヒーモスの厚切りステーキ 〜世界樹の香草添え〜】
【マンドラゴラの根菜サラダ(毒抜き済み)】
【聖水のコンソメスープ】
「……すごい」
俺はフォークを持ったまま、感嘆のため息を漏らした。
見た目も香りも、三ツ星レストランだ。
いや、素材のランクを考えれば、それ以上か。
「どうぞ、召し上がってください」
エプロン姿のレイナちゃんが、甲斐甲斐しくスープをよそってくれる。
俺は肉を一口大に切り、口へと運んだ。
ジュワァァ……!
「うっ、うまあああああいッ!!」
口の中で肉が溶けた。
脂の甘みと、野性味あふれる旨味が爆発する。
焼き加減は完璧なミディアムレア。
食べた瞬間、身体の底から魔力が湧いてくるのが分かる。
「天才か!? レイナちゃんは料理の天才なのか!?」
「恐縮です! 師匠の舌に合うか不安でしたが……よかった……」
レイナちゃんが頬を染めて喜んでいる。
足元では、ポチが骨付き肉をバリバリと食べてご満悦だ。
アリスちゃんも、レイナちゃんが作った「ミニチュア・ハンバーグ(フィギュアサイズ)」を嬉しそうに眺めている。
「……最高だ」
俺は確信した。
一人での気ままな生活もいいが、美味い飯を作ってくれる人がいる生活も悪くない。
これが、俺の求めていた「最強の引きこもりライフ」の完成形かもしれない。
「レイナちゃん。これからもよろしく頼むよ」
「はいっ! 命に代えても、師匠の胃袋をお守りします!」
こうして、S区の夜は更けていく。
外の世界では、政府が「S区に新たなSランク反応あり! 魔王が側近を召喚したか!?」と大騒ぎしていたが、それはただの幸せな夕食の風景だった。
翌日からは、レイナちゃんによる「スパルタ家事」と、湊による「ダラダラ生活」の奇妙な同居生活が始まることになる。




