第66話:ファイアボール(核弾頭級)……ではなく? 〜吸引力の変わらないただ一つの絶望〜
S区・相葉邸の二階。
窓の外は、絶望的な漆黒に塗り潰されていた。
家の周囲を覆い尽くす、高さ十メートルの泥の津波。
数千体の『深淵の泥人形』が融合して生まれた、S+ランクの怪物『ギガ・スライム(泥)』だ。
その質量は、小さなマンション一棟を軽々と押し潰すほど。
『……ギギギ……潰レロ……』
『……飲ミ込メ……』
窓ガラスがミシミシと悲鳴を上げる。
このままでは、家ごと押し潰され、消化されるのは時間の問題——。
——だと、外の観測者たちは思っていた。
だが、家主の認識は違っていた。
「……たく、なんだよこれ。土砂崩れか?」
俺、相葉湊は、窓を開け放ち、目の前に迫る「黒い壁」を睨みつけた。
生臭い。
そして、停電の原因。
俺のゲームを中断させた、万死に値する泥汚れ。
「家の中に土足で……いや、土ごと上がり込むなんて、いい度胸だなぁ!」
俺は右手に持った相棒——コードレス掃除機(ダイソン・V12・魔改造モデル)を構えた。
以前、ジャックさんとの「ごっこ遊び」で使った時より、バッテリーは減っている。
だが、今の俺には「怒り」という名の無限のエネルギーがある。
「片っ端から吸ってやるよ! スイッチ・オン!」
俺はトリガーを引き絞った。
モードは『MAX』。
キュイイイイイイイイイイイイッ!!
甲高いモーター音が夜空に響く。
だが、それはただの排気音ではない。
俺の魔力がモーターと共鳴し、ノズルの先端に「擬似ブラックホール」を生成する音だ。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
猛烈な吸引が始まった。
◇ ◇ ◇
——ギガ・スライムの視点(集合意識)。
『!?』
怪物は、恐怖した。
自分は、山をも飲み込む流動体だ。
物理攻撃は無効。魔法も拡散して吸収する。
無敵の質量兵器であるはずだった。
だが今、自分の身体が「強制的に」一点に向かって引きずり込まれている。
『……ナ、ナンダ……!?』
『……吸ワレル……! 抗エナイ……!』
窓際に立つ、ちっぽけな人間。
その手にある、小さな筒。
そこから発せられる引力は、惑星の重力に匹敵していた。
ジュポッ! ズズズズズッ!
泥の身体が、渦を巻いてノズルの中へと消えていく。
数千トンの質量が、空間圧縮され、わずか数リットルの「ゴミパック」の中へと封印されていくのだ。
『ヤメロォォォッ! 我ハ……深淵ノ……ギャアアアアッ!』
断末魔すら、音速で吸い込まれる。
逃げようと触手を伸ばすが、それすらも「ホコリ」として処理される。
絶対的な捕食者(掃除機)の前では、S+ランクの魔獣など、ただのハウスダストに過ぎなかった。
◇ ◇ ◇
——S区境界線、監視所。
「……おい、嘘だろ?」
双眼鏡を覗いていたアメリカ軍のエージェントが、サングラスをずり落とした。
モニターには、信じられない光景が映し出されていた。
相葉邸を飲み込もうとしていた巨大な黒いドーム(ギガ・スライム)が、見る見るうちに縮小していく。
まるで、風呂の栓を抜いたかのように。
「Mass disappearing rapidly!(質量が急速に消失中!)」
「Is he... vacuuming it?(彼、掃除機かけてるのか?)」
静寂。
そして、数分後。
家の周りを覆っていた泥の山は、完全に消滅した。
後に残ったのは、窓辺で掃除機をトントンと叩き、首を傾げているジャージの男だけ。
「……Unbelievable.(信じられん)」
「That cleaner is a strategic weapon.(あの掃除機は戦略兵器だ)」
彼らはレポートに記した。
『対象は、S+ランクの魔物を”清掃”にて処理。所要時間、三分』と。
◇ ◇ ◇
——湊の視点。
「ふぅ……。吸いきったか」
俺は掃除機のスイッチを切った。
プスン、と煙が出ている。ちょっと酷使しすぎたかな。
「うわ、ゴミサインが点滅してる。パックパンパンだよ」
俺はダストカップを見た。
中には、黒くて重い「泥団子」みたいなのが詰まっている。
ギュウギュウ詰めだ。
「これ、捨てるの大変だなぁ。燃えるゴミでいいのかな?」
俺は溜息をついた。
とりあえず、窓の外はスッキリした。
風通しも良くなった。
「で、電気は……」
パチッ。
部屋の照明スイッチを入れてみる。
つかない。
「……あ、そうか。ブレーカーか?」
俺は一階に降りて、配電盤を確認しに行った。
案の定、ブレーカーが落ちていた。
さっきの雷(泥人形の放電攻撃)のせいだろう。
カチッ。
レバーを上げる。
ブゥゥゥン……。
冷蔵庫のモーター音が戻る。
二階から、PCの起動音が聞こえる。
「よし! 復旧!」
俺はガッツポーズをした。
泥掃除は大変だったが、これでまたゲームができる。
俺はスキップで階段を駆け上がった。
——だが。
俺は気づいていなかった。
俺が掃除機で「蓋(泥人形)」を取り除いてしまったことで、S区の地下深くに眠る「本命」への通り道が、完全に開通してしまったことに。
ゴゴゴゴゴゴゴ…………。
PCの前に座った瞬間。
椅子が、ガタガタと震え出した。
今度は、家鳴りではない。
震度3、いや4……徐々に強くなっていく。
「……なんだ? 余震か?」
俺はモニターを押さえた。
窓の外。
掃除して綺麗になったはずの庭が、裂けるように割れていく。
『……オ……オオオ……』
『……ヨクモ……我ガ眷属ヲ……』
地底から響く、怒りの咆哮。
それは、ただのモンスターの声ではない。
世界そのものを呪う、怨嗟の声。
ジャックさんが言っていた「The End(終わり)」が、ついに顔を出そうとしていた。
「あーもう! エイムが定まらないだろ!」
俺は揺れる机に文句を言いながら、必死にマウスを操作した。
世界の危機よりも、目の前のランクマッチ。
それが、最強の引きこもりの流儀だ。




