第6話:『え、今の配信切り忘れてたんですか?』
ザァァァァ……。
S区の廃墟に、風が吹き抜ける音が響く。
ほんの数十秒前まで、そこには絶望的な暴力の化身——ギガント・オーガがいたはずだった。
だが今は、扇状にえぐれた大地と、炭化した痕跡しか残っていない。
「…………」
銀条レイナは、へたり込んだまま動けなかった。
全身の力が抜け、指一本動かすのも億劫だ。
けれど、脳髄だけが沸騰したように熱い。
(一撃……。たった、一撃……)
魔法ですらない。
スキルですらない。
ただの、デコピン。
「シッ」という、虫を払うような動作。
それだけで、Sランクの怪物が原子レベルで消滅した。
「あの方は……一体……」
レイナは、古びた一軒家の「離れ」を見つめた。
あの鉄の扉の向こうに、怪物は消えた。
まるで、ちょっとゴミ出しにでも行ったかのような気軽さで。
(……神様? それとも、人としての枠組みを超越した仙人?)
どちらにせよ、自分のような小娘が気安く声をかけていい相手ではなかったのだ。
だというのに、自分は呼び止めてしまった。
しかも、あろうことか——。
ピピッ。
不意に、電子音が鳴った。
レイナの相棒である、自動追尾型の配信ドローンだ。
バッテリー残量の低下を知らせるアラート音。
レイナはハッとして、手元のコントロール端末に視線を落とした。
「あ……」
画面には、赤い文字が点滅している。
【 LIVE 01:24:50 】
【 接続者数:4,820,591人 】
「え……?」
レイナの心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
待って。
嘘でしょう?
オーガが現れた時、死を覚悟した。
その衝撃で、配信を停止するのを忘れていた?
ということは。
今の、あの一部始終が?
あのジャージ姿の青年の顔が?
神ごとき「デコピン」の威力が?
全世界に、リアルタイムで垂れ流されていたということ——!?
「ひっ……!」
レイナは青ざめた顔で、端末のコメント欄を表示させた。
そこには、人間の動体視力では到底追いきれない速度で、文字の濁流が流れていた。
『ファッ!?』
『え、今の何?』
『オーガどこ行った?』
『消えたぞおい』
『バグか? ラグか?』
『いや、あのジャージの兄ちゃんがデコピンしたんだよ!!』
『は? デコピンでSランクが消えるわけねーだろwww』
『でも地形変わってるぞ』
『森が消し飛んでるんですがそれは』
『衝撃波エグすぎワロタ』
『物理演算仕事しろ』
『CG乙。最近のAR技術すげーな』
『いや、俺鑑定スキル持ちだけど、今のガチだぞ……』
『↑マジ?』
『あのジャージ何者だよwwww』
『ユニクロ着た破壊神』
『日本の秘密兵器か?』
『レイナちゃん大丈夫!?』
『オーガが一瞬で粒子になった……』
『アーカイブ保存したわ』
『【速報】謎のジャージ男、S区に出現』
『特定班はよ』
終わった。
レイナは天を仰ぎたくなった。
あの方は、明らかに「静寂」を望んでいた。
世俗に関わることを嫌い、ひっそりとこの魔境で暮らすことを選んだ隠者なのだ。
その証拠に、レイナに名乗ることすらしなかった。
それなのに。
自分が、その存在を世界中に晒してしまった。
しかも、「デコピンでSランク魔物を消滅させる」という、インパクト絶大すぎる映像と共に。
(こ、殺される……!?)
もしあの方が、プライバシーを侵害されたことに激怒したら?
あのデコピンが、今度は私に向けられるとしたら?
「ご、ごめんなさい……! ごめんなさいっ……!」
レイナは半泣きになりながら、震える指で端末を操作した。
「き、切ります! 配信終わります!!」
レイナが停止ボタンを連打する。
ブツン。
画面がブラックアウトし、ようやく配信が終了した。
だが、レイナの震えは止まらない。
覆水盆に返らず。
一度ネットに放たれた情報は、二度と消すことはできない。
現に今この瞬間も、SNSでは「謎のジャージ男」の切り抜き動画が拡散され、世界中の探索者ギルドが色めき立っているはずだ。
「どうしよう……どうしよう……」
レイナは、閉ざされた「離れ」の扉を見た。
中は静まり返っている。
嵐の前の静けさだろうか。それとも、あの方はこんな騒ぎなど意に介していないのだろうか。
(……謝らなきゃ)
恐怖はある。
逃げ出してしまいたい衝動もある。
けれど、それ以上に——レイナの胸には、強烈な「知りたい」という欲求が芽生えていた。
あの方は何者なのか。
なぜ、こんな場所で一人なのか。
そして、あの圧倒的な強さの秘密は何なのか。
(命を救っていただいたお礼と、勝手に配信してしまったお詫び。それを口実にすれば、もう一度会っていただけるかもしれない)
レイナは覚悟を決めた。
今は装備もボロボロで、手土産の一つもない。これでは失礼にあたる。
一度出直して、最高の状態で謝罪に向かおう。
「……申し訳ありませんでした。必ず、償います」
レイナは離れに向かって深々と頭を下げた。
そして、逃げるように——しかし、その瞳に決意の光を宿して、S区を後にした。
◇ ◇ ◇
——その頃、インターネットの某巨大掲示板では。
【S区】銀条レイナの配信に映った男について語るスレ Part1
1:名無しの探索者
立てたぞ。
今の見た奴いる?
2:名無しの探索者
見た。チビった。
3:名無しの探索者
あれ演出だろ?
デコピンでオーガが消し飛ぶとか、なろう小説かよwww
4:名無しの探索者
>>3
俺、映像解析班だけど、あれCGじゃないぞ。
衝撃波で木がなぎ倒される物理演算、今のスパコンでもリアルタイムじゃ無理。
つまりガチ。
5:名無しの探索者
マジかよ……。
じゃあ日本にSSSランク級の化け物がいるってことか?
6:名無しの探索者
服装見た?
灰色のジャージに便所サンダルだぞ。
あんな軽装でS区(瘴気濃度レベル5)を歩ける時点で人間辞めてる。
7:名無しの探索者
「シッ」って言ってたよな。
完全に野良犬扱いだった件。
8:名無しの探索者
特定班はまだか?
場所はS区の旧住宅街エリアっぽいけど。
9:名無しの探索者
あそこ、3年前から完全封鎖されてる廃墟だろ?
人が住める環境じゃない。
10:名無しの探索者
もしかして:S区のダンジョンボス(人型)
11:名無しの探索者
>>10
それだ。
魔王がジャージ着て引きこもってる説。
……ネット上では、既に「ジャージの悪魔」「S区の隠れ魔王」といった二つ名が爆誕し、大祭り状態となっていた。
もちろん、当の本人はネット回線が復旧したことに安堵し、呑気にゲームのランクマッチに勤しんでいるため、自分が世界中のトレンド1位になっていることなど、露ほども知らなかったのである。




