第52話:放送事故(物理) 〜その武器、猫じゃらしにつき〜
S区深層部、『帰らずの森』。
配信開始から数分。
同接150万人を超える視聴者が見守る中、紙袋を被った男(俺)の目の前に、最初の「お客さん」が姿を現した。
ブゥゥゥゥゥン……!!
不快な羽音と共に、茂みから飛び出してきたのは、体長30センチほどの巨大な蜂だった。
針は鋭利なナイフのように尖り、紫色の毒液が滴っている。
【キラー・ホーネット(Bランク)】
群れで現れ、象をも即死させる猛毒で獲物を仕留める、森の暗殺者だ。
「師匠! キラー・ホーネットです! 毒針に注意を!」
隣を歩くレイナちゃんが、素早く剣に手をかけた。
さすがSランク探索者、反応が速い。
コメント欄が一気に加速する。
『うわ、いきなりBランクかよ』
『あの蜂、刺されたら即死だぞ』
『紙袋で防げるのか?』
『逃げろ不審者!』
視聴者たちがパニックになる中、俺は——。
「うわ、でっかい蚊だな……。藪蚊か?」
ボイスチェンジャーを通した気の抜けた声で呟いた。
S区じゃよく見る虫だ。
刺されると痒いんだよな、これ。
「シッ、シッ」
俺は右手に持っていた武器——『100均の猫じゃらし(ピンク色のフワフワ付き)』を、適当に振った。
今回の武器はこれだ。
ブゥン!
蜂が直線的な動きで、俺の眉間(紙袋)を狙って突っ込んでくる。
「邪魔だっつーの」
俺は手首のスナップを利かせ、猫じゃらしの先端を蜂に当てた。
あくまで、追い払うつもりで。
——パシュッ。
軽い音がした。
ドパンッ!!
直後、空中で小さな爆発が起きた。
蜂の体が、猫じゃらしのフワフワに触れた瞬間、弾け飛んだのだ。
体液の一滴も残さず、霧散した。
「……あれ?」
俺は猫じゃらしを見た。
ピンクの毛玉に、汚れ一つついていない。
「逃げたか。素早い蚊だな」
俺は納得して、再び歩き出した。
背後で、レイナちゃんがまた口をパクパクさせているが、気にしない。
早く3,000円分稼いで帰るんだ。
◇ ◇ ◇
——コメント欄。
『は?』
『え?』
『今、何が起きた?』
『蜂が……消えた?』
『猫じゃらし振っただけだよな?』
『爆散したぞwww』
『ラグか? 回線落ちしたんか?』
『いや、よく見ろ。猫じゃらしの先端が音速超えてたぞ』
『衝撃波で蜂をすり潰したってこと!?』
『そんな馬鹿なwww』
『猫じゃらし(凶器)』
『ていうか「蚊」扱いワロタ』
視聴者たちは混乱していた。
映像では、紙袋の男が猫じゃらしを振った瞬間に、モンスターが消失したようにしか見えなかったからだ。
「演出(CG)だろ」という意見と、「ガチだ」という意見が入り乱れる。
だが、俺はそんな騒ぎなど知らず、さらに森の奥へと進んでいく。
ガサッ、ガサッ。
足元の枯れ葉を踏む音が心地いい。
「結構奥まで来ちゃったな。そろそろ何かリアクション芸でもしないと、スパチャ貰えないかな」
俺は焦っていた。
まだ一円も投げ銭が来ていない気がする(※実際には流速が速すぎて見えていないだけ)。
何か派手なことしなきゃ。
そう思った矢先。
俺の足元で、カチッという硬質な音がした。
「ん?」
足裏に、突き上げるような衝撃。
S区の深層名物——『スパイク・トラップ(串刺しの刑)』だ。
地面からアダマンタイト製の鋭利な槍が飛び出し、踏んだ者の足を貫く凶悪な罠。
ガキンッ!!
鋭い金属音が響いた。
『あっ』
『踏んだ!』
『罠だ! 足がぁぁぁ!』
コメント欄が悲鳴を上げる。
レイナちゃんも「師匠ッ!」と叫ぼうとした。
しかし。
「……あいたっ」
俺は足を上げた。
サンダルの底を見る。無傷だ。
俺の足の裏も、ちょっとくすぐったい程度。
地面を見ると、飛び出した槍の先端が、ひしゃげて折れ曲がっていた。
「なんだよ、木の根っこか? 危ないなぁ、躓くところだった」
俺は「整備不良だな」と文句を言いながら、折れ曲がった槍の上で、トントンと足踏みをした。
ガンッ! ガンッ! ベキッ!
俺が踏むたびに、鋼鉄の槍が地面にめり込み、粉砕されていく。
「ん? これ、ちょうどいい刺激だな。ツボ押しにいいかも」
最近、運動不足で足がむくんでたんだよな。
俺は罠の上で、グリグリと足裏マッサージを始めた。
「あー、そこそこ。土踏まずに効くわー」
気持ちいい。
自然のアスレチックってやつか。
「レイナちゃんもやる? 健康にいいよ」
「い、いえ……私は遠慮しておきます(アダマンタイトを素足で粉砕する健康法など、私にはまだ早すぎます……!)」
◇ ◇ ◇
——コメント欄、再び停止。
『…………』
『…………』
『俺の知ってる物理法則と違う』
『罠が……負けた?』
『槍が可哀想に見えてきた』
『鉄の足かよ』
『いや、サンダルが強すぎるんだろ』
『「健康にいいよ」じゃねーよwww』
『この人、マジで何者?』
『スパチャ投げるわ。治療費(槍の)として』
チャリーン♪
チャリーン♪
ここでようやく、俺のスマホの管理画面が反応した。
【¥500】
【¥1,000】
【¥10,000(赤スパ)】
「おっ! 来た! 来たぞ!」
俺は小躍りした。
マッサージしてただけなのに、お金が貰えた!
これが配信ドリームか!
「ありがとうございます! ナイススパチャです!」
俺はカメラに向かってピースサインをした。
紙袋の『へのへのもへじ』が、不敵に笑っているように見えたらしい。
『こいつ……余裕すぎる』
『本物だ』
『S区を散歩って、ガチだったのか』
視聴者の空気が変わり始めた。
最初は「変な不審者」を見る目だったのが、徐々に「底知れない怪物」を見る目に変わっていく。
だが、俺の目標金額(3,000円)には、あと少し届かない。
もっとだ。
もっと撮れ高を作らなければ。
「よし、次はもっと奥に行ってみよう」
俺は猫じゃらしを担いで、さらに森の深部へと足を踏み入れた。
そこには、この森の主とも言える、Sランクの猛獣が待ち構えているとも知らずに。
『グオオオオオオッ!!』
遠くで、地響きのような咆哮が聞こえた。
「お、元気な鳴き声だね。大型犬かな?」
俺は期待に胸を膨らませた。
動物と触れ合う動画はバズるって聞いたことがある。
よし、手懐けてやろう。




