第44話:塩対応(物理) 〜その塩、聖属性につき〜
S区・相葉邸の玄関前。
そこは今、神聖な処刑場と化していた。
仁王立ちする家主、相葉湊。
腰にタオル一丁、頭に手ぬぐい。
その姿は、銭湯帰りの大学生にしか見えないが、敵の目には「白き聖衣を纏った破壊神」として映っていた。
湊は右手を高々と掲げた。
その手には、白く輝く粒子——「塩」が握られている。
「……えいっ」
湊は、手首のスナップを利かせて、塩を撒いた。
力士が土俵に塩を撒くような、あるいは居酒屋で店員が「へいお待ち!」とするような、軽快な動作だった。
——だが。
手から放たれたその白い粉は、空中に舞った瞬間、物理法則を無視した挙動を見せた。
カッ!!!!
粒子の一粒一粒が、恒星のような輝きを放ったのだ。
それはただの塩化ナトリウムではない。
S区のダンジョン深層で稀にドロップする、あらゆる不浄を滅する結晶体。
【聖印の浄化塩】
【効果:即死級浄化(アンデッド・悪魔・呪い属性に対し、防御無視の固定ダメージ)】
湊にとっては「風呂上がりの魔除け」だが、悪徳ギルドにとっては「聖なるナパーム弾」に等しい。
「塩まいて帰ってもらえェェッ!!」
湊の掛け声と共に、光の嵐が木戸を飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
——木戸の視点。
「ひ、ひぃぃぃッ!?」
木戸は目を覆った。
視界が真っ白に染まる。
熱い。いや、痛い。
皮膚が焼けるのではない。魂が焼かれるような感覚。
(こ、これは……高位の神聖魔法!?)
(塩だと!? ふざけるな! これは聖水……いや、聖なる光そのものじゃねぇか!)
木戸が身につけている装備は、全て裏社会で手に入れた「呪われた武具」だ。
防御力を上げる代わりに精神を蝕む鎧。
魔力を増幅する代わりに寿命を削る指輪。
それらは全て「闇属性」を帯びている。
つまり、この塩とは最悪の相性(特効)だ。
パリーンッ!!
バヂヂヂヂッ!!
砕ける音がした。
木戸の着ていた最高級の魔導スーツが、塩の粒子に触れた瞬間、ガラス細工のようにひび割れ、霧散していく。
防御障壁? 紙切れ同然だ。
呪いの指輪? 蒸発した。
「あ、ああっ! 俺のSランク装備が! 総額五億円がぁぁぁッ!?」
木戸は絶叫した。
だが、塩の威力は物質破壊だけでは留まらない。
その浄化の光は、木戸の薄汚れた精神にも浸透していく。
『欲ヲ……捨テロ……』
『悔イ改メヨ……』
脳内に直接響く、天使の歌声(幻聴)。
これまで犯してきた悪事——詐欺、強盗、恐喝——が走馬灯のように駆け巡る。
「ぐ、ぐあああああっ!! やめろぉぉ! 俺を善人にするなぁァァッ!!」
木戸は必死に抵抗した。
悪党としてのアイデンティティが、塩によって漂白されていく。
殺意が、闘争心が、そして煩悩が、シュワシュワと溶けて消えていく。
そして。
光が収束した時、そこに立っていたのは——。
◇ ◇ ◇
——湊の視点。
パラパラパラ……。
撒いた塩が、キラキラと地面に落ちる。
いやぁ、綺麗なもんだな。最近の塩は発光するのか。
「……ん?」
俺は目の前の光景を見て、首を傾げた。
そこには、一人の全裸のおっさん(パンツ一丁)が、正座をしていた。
さっきまで着ていたボロボロの服は、なぜか消滅している。
そして、おっさんの顔からは、憑き物が落ちたような……そう、まるで悟りを開いた僧侶のような穏やかな表情が浮かんでいた。
「……えっと」
俺は困惑した。
どういう状況だ?
塩を撒いたら、服が弾け飛んで、賢者モードになった?
おっさん——木戸が、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、大粒の涙が浮かんでいる。
「……俺は、なんてことを……」
木戸が震える声で呟いた。
「田舎の母ちゃん……ごめん……。俺、東京で悪いことばっかしてたよ……」
「こんな綺麗な星空の下で……俺はなぜ、人を傷つけようとしていたんだ……」
ハラハラと涙を流し、夜空を見上げて詩的なことを呟き始める全裸の中年男性。
「…………」
俺は一歩、後ずさった。
【解析結果:変質者(露出狂)】
確定だ。
酔っ払いだと思っていたが、さらにタチの悪い変質者だった。
服を脱いで正座して泣くとか、新手のパフォーマンスか?
S区の治安、ここまで悪化していたとは。
「うわぁ……」
俺はドン引きした。
ポチも「キャン(見ちゃダメだ)」と言わんばかりに、俺の足の後ろに隠れている。
さらに、庭の茂みの方からも、ゾロゾロと男たちが現れた。
さっき植物の罠にかかっていた部下たちだ。
彼らもまた、余波(塩の飛沫)を浴びたらしく、全員が半裸で、涙を流しながら手をつないで出てきた。
「みんな……仲良くしようぜ……」
「争いは虚しいな……」
「帰って……野菜を育てたい……」
庭に溢れる、全裸の男たちの集団。
全員が賢者タイムに突入している。
地獄絵図から一転、狂気の楽園と化していた。
「ひっ……! キモっ!?」
俺の背筋に悪寒が走る。
怖い。
暴力的なヤンキーも怖いが、意味不明な集団ヒステリーを起こしている全裸集団の方が数倍怖い。
「……通報だ」
俺は即座に決断した。
これは俺の手には負えない。
プロ(警察)に任せるべき案件だ。
俺はバスタオルが落ちないように押さえながら、慌てて家の中に駆け込み、スマホを掴んだ。
110番(探索者関連なのでギルド直通)へ発信。
「も、もしもし!? 警察ですか!?」
『はい、こちらギルド緊急通報センターです。どうされました?』
「あ、あの! 自宅の庭に! 全裸の男が五十人くらいいて! 泣きながら正座してるんです!」
『……はい?』
オペレーターの困惑した声。
そりゃそうだ。俺だって信じたくない。
「とにかく来てください! 怖いです! 変質者の集会なんです!」
『わ、分かりました! 場所は?』
「S区の相葉邸です! 大至急お願いします!」
俺は電話を切ると、全ての鍵を閉め、カーテンをきっちりと閉じた。
アリスが心配そうに俺の足にしがみついてくる。
「大丈夫だアリス、ポチ。警察が来るまで籠城だ」
俺たちはガタガタと震えながら、到着を待った。
——その数分後。
到着したギルドの警邏隊が見たものは、Sランク装備の残骸の山と、浄化されてツルツルになった極悪人たちが、「塩が……光が……」とうわ言を呟きながら空を拝んでいる、宗教画のような光景だったという。




