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第40話:湊、風呂に入る 〜美肌の秘訣は強酸性スライム〜

 時刻は午後八時一〇分。

 S区の静寂は、暴力的なエンジン音によって蹂躙された。


 バリバリバリバリッ!!


 境界線のフェンスがなぎ倒され、アスファルトを削りながら、三台の装甲車と十数台のバイクが雪崩れ込む。

 悪徳ギルド『蛇の牙』の精鋭部隊だ。


「ヒャハハハハ! 見えてきたぞ! あれがターゲットの家だ!」


 先頭車両の助手席で、リーダーの木戸が身を乗り出す。

 暗視ゴーグル越しに見えるのは、鬱蒼とした森(庭)に囲まれた、古びた一軒家。

 明かりがついている。住人は在宅だ。


「野郎ども、作戦通りだ! バイク隊は裏口へ回れ! 本隊は正面突破!」

「ドアをぶち破り、中の人間を引きずり出せ!」


 木戸の号令に、部下たちが奇声を上げて応える。

 彼らの目には、恐怖など微塵もない。

 相手はたった一人の一般人。

 自分たちは重武装のプロ集団。

 赤子の手をひねるより容易い仕事だと思っていた。


「へっ、魔王だか何だか知らねぇが、俺たちの火力の前じゃ無力だぜ!」


 木戸は腰の魔剣を抜き放ち、勝利を確信して笑った。

 ——その車列が、湊の家の敷地(ダンジョン領域)にタイヤを踏み入れた、その瞬間までは。


 ◇ ◇ ◇


 同時刻。

 S区最深部・相葉邸、脱衣所。


 外の喧騒とは無縁の空間で、俺、相葉湊はバスタオル一枚の姿で仁王立ちしていた。


「よし。湯加減もバッチリだ」


 浴室のドアを開ける。

 ムワッとした湯気と共に、独特の甘酸っぱい香りが漂ってくる。

 今日の風呂は、ただの風呂ではない。


 俺は洗面台に置いてあったペットボトルを手に取った。

 中に入っているのは、蛍光グリーンのドロドロした液体。


 【強酸性スライム(アシッド・ジェリー)の体液】


 以前、台所の排水口から湧いてきたスライムを退治した時に採取したものだ。

 普通なら、触れただけで皮膚がただれ、骨まで溶かす劇薬である。

 だが、今の俺にとっては——。


「これを入れると、肌がツルツルになるんだよなぁ」


 俺は惜しげもなく、スライム液を湯船にドボドボと注いだ。


 ジュワァァァァァ……!!


 お湯が激しく泡立ち、エメラルドグリーンに変色する。

 湯船から「シューッ」という、何かを溶かすような音が聞こえるが、俺は「炭酸ガスかな?」と解釈した。


「アリス、背中流してくれる?」


 俺が振り返ると、脱衣所で待機していたフィギュアのアリスちゃんが、自分と同じくらいの大きさのボディスポンジを抱えて、コクンと頷いた。

 可愛い。そして献身的だ。

 一家に一台、自律型フィギュア。


「じゃあ、失礼しまーす」


 俺は湯船に足を浸した。


 ビリビリビリッ!!


 皮膚を焼くような刺激。

 並の人間なら「ギャアアア!」と叫んで飛び出すところだが、俺は「くぅ〜っ!」と唸って肩まで浸かった。


「効くぅ〜……! このピリピリ感が、血行を促進してる感じがするわ」


 実際には、皮膚の表面が溶解と再生を高速で繰り返しているだけなのだが、その結果として肌が剥きたてのゆで卵のようにツルツルになっていく。

 究極のピーリング効果だ。


「ふぅ……。極楽極楽」


 俺は手ぬぐいを頭に乗せ、天井を仰いだ。

 外では五十人の武装集団が殺到しているというのに、この男の心拍数は平常時よりも落ち着いていた。


 ◇ ◇ ◇


 ——その平穏を破るように。

 脱衣所の壁に設置されたインターホン型のモニターが、赤く明滅を始めた。


 ウゥゥゥゥゥゥン……!!


 低いサイレン音。

 これは、庭に設置した「害獣よけセンサー」が反応した時のアラートだ。


「ん? なんだ?」


 俺は湯船から顔だけ出した。

 アリスが素早くモニターの前に行き、画面を確認している。

 そして、俺の方を向いて「バッテン」のジェスチャーをした。


「……お客さんじゃ、ない?」


 アリスが首を横に振る。

 そして、両手をガオーッと上げて「怪獣」の真似をした。


「ああ、また野良犬か。それともイノシシ?」


 最近、本当に多いな。

 S区の自然が豊かになった証拠かもしれないけど、夜中に騒がれるのは迷惑だ。


 スピーカーから、合成音声が流れる。

 これは俺が以前、防犯用に録音したポチの鳴き声を加工したものだ。


 『ワンッ! 侵入者多数! 排除モードニ移行シマス』


「……まあ、ポチに任せとけば大丈夫か」


 俺は再びお湯に潜った。

 うちのポチ(チワワ)は強い。

 以前も、庭に入ってきたレッドベアを吠えて追い払っていたし、野良犬くらいなら朝飯前だろう。


「ピザが届く頃には、静かになってるだろ」


 俺は目を閉じ、炭酸泉(強酸泉)の泡に身を委ねた。


 ◇ ◇ ◇


 ——一方、家の外。


 『蛇の牙』の車列は、湊の家の門を突破し、庭へと侵入していた。


「ヒャハハ! 庭だ! 玄関まであと少しだぞ!」


 バイクに乗った特攻隊長が、芝生の上を疾走する。

 手入れされていない雑草が膝丈まで伸びているが、バイクのタイヤなら問題な——


 シュパッ!!


 突然、乾いた音がした。


「あ?」


 特攻隊長が違和感を感じて下を見る。

 バイクのタイヤが、パンクしていた。

 いや、違う。

 タイヤどころか、ホイールごと「串刺し」にされていた。


 地面の芝生——ただの雑草に見えていた緑の葉が、鋼鉄の針のように逆立ち、高速回転するタイヤを貫通したのだ。


「な、なんだこりゃ!? うわっ、転倒す——」


 ドサァッ!!

 バイクが横転し、男が地面に投げ出される。

 その背中を、無慈悲な緑の絨毯が受け止めた。


 ズブブブブブブッ!!


「ぎゃああああああああああッ!?」


 絶叫が夜空に響く。

 『ニードルグラス(S級魔界植物)』。

 踏めば地獄、転べば串刺し。

 湊にとっては「ちょっとチクチクする芝生(足ツボに良い)」だが、一般人にとっては処刑器具そのものだ。


「おい! どうした!?」

「く、草が! 草が俺の足を……!!」


 後続の部隊も次々と悲鳴を上げる。

 装甲車のタイヤすらも、強化された針の餌食となり、走行不能に陥る。


「車を捨てろ! 走って玄関へ向かえ!」


 木戸が叫び、車から飛び降りる。

 だが、それが地獄の二丁目への入り口だった。


 ザワザワザワ……。


 庭木が蠢く。

 可愛らしい花壇の花が、捕食者の口を開く。


「ひっ、蔦が巻き付いて……離れねぇ!」

「痛ぇ! 花粉だ! 目が、目がぁぁぁ!!」


 庭全体が、一つの巨大な「胃袋」となって襲いかかってきたのだ。


「くそっ、なんだこの家は!? ジャングルのダンジョンより酷ぇぞ!」


 木戸は魔剣を振るい、襲い来る蔦を切り裂きながら前進した。

 さすがは悪徳ギルドの長、個人の戦闘力は高い。


「おのれ相葉湊……! こんな罠を張って待ち構えていたのか!」

「だが、甘ぇ! 俺は止まらねぇぞ!」


 木戸は部下たちを盾(囮)にしながら、強引に突破を図る。

 目の前に、家の玄関が見えてきた。

 あと少し。

 あのドアさえ開ければ、中にいる軟弱なジャージ男を殺して、全てを奪える!


「見えたぞ! 宝の山だ!!」


 木戸が勝利を確信して踏み込んだ、その時。


 暗闇の奥から、ゆらりと巨大な影が立ち上がった。

 三つの首。

 燃え盛るような金色の瞳。


 『グルルルル……(主ノ入浴ヲ、邪魔スルナ)』


 地獄の番犬が、あくびを噛み殺しながら、愚かな侵入者を見下ろしていた。

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