第4話:野良犬(オーガ)がうるさいのでデコピンした
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5話投稿目指して頑張っていこうと思っているので
よろしくお願いします
パチンッ。
俺の指先が、目の前のデカい野良犬(?)の額を弾いた。
ただのデコピンだ。
中学生が休み時間にやるアレと変わらない。
狙いは、ちょっと痛い思いをさせて、「キャン!」と鳴かせて追い払うこと。
——そのはずだった。
ドォォォォォォォォォォンッ!!!!
乾いた音ではない。
まるでダンプカーがニトログリセリンの倉庫に突っ込んだような、重低音の轟音が響き渡った。
「え?」
俺の前髪が、突風で巻き上げられる。
視界が砂煙で真っ白になった。
数秒後。
風が収まり、土煙が晴れると——俺の目の前には、何もいなくなっていた。
「……あれ?」
野良犬は?
俺はキョロキョロと周囲を見回す。
目の前の地面には、扇状にえぐれた巨大なクレーター。
その延長線上にある裏山の木々が、数百メートルにわたって綺麗になぎ倒され、青い空が見えている。
「……逃げ足、速っ」
俺は感心した。
デコピンしようとした瞬間に、音速でバックステップしたのか?
最近の野生動物の身体能力はすごいな。忍者かよ。
まあいい。
とりあえず静かになった。
「ふぅ。これでやっと用事が足せる」
俺はサンダル履きの足でペタペタと歩き出し、母屋の方へと向かった。
その背後で。
腰を抜かしたままのコスプレねーちゃん(レイナ)が、金魚みたいに口をパクパクさせていたことになど、俺は気づいていなかった。
◇ ◇ ◇
(……な、なに……今の……?)
銀条レイナの思考は、完全に停止していた。
目の前で起きた現象が、理解の範疇を超えていたからだ。
ギガント・オーガ。
推定耐久値(HP)は50万を超える、Sランクの怪物。
戦車砲でも傷つかない皮膚を持つ、「動く要塞」。
それが。
たった一撃の、「デコピン」で。
吹き飛んだのではない。
上半身が、原子レベルで分解され、消滅したのだ。
残された下半身だけが、バランスを失ってドサリと崩れ落ちる。
断面からは血すら出ていない。衝撃の摩擦熱で、瞬時に炭化したからだ。
「あ……あ……」
レイナは震える首を回し、その「所業」を成した男の背中を見た。
灰色のジャージ。
ボサボサの黒髪。
どこにでもいる、覇気のない青年。
彼は、オーガを消し飛ばした右手を気にする素振りすら見せず、ポケットに突っ込んで歩いている。
まるで、「蚊を追い払った」程度の認識で。
『…………』
『…………』
『…………』
空中のドローンカメラを通して見ている数百万人の視聴者もまた、コメントを打つことを忘れていた。
いや、サーバーが処理落ちしたのかと思うほど、静まり返っていた。
男は、廃墟の奥にある一軒家(母屋)の壁面に近づくと、そこに取り付けられた白い箱——屋外用ルーターボックスを開けた。
「よいしょっと」
男がコンセントを抜く。
十秒数える。
再びコンセントを挿す。
ピカッ、ピカッ。
ルーターのランプが正常に点灯するのを確認し、男は「よし」と満足げに頷いた。
「……え? そ、それだけ?」
レイナの喉から、掠れた声が漏れる。
彼は、この地獄のような魔境(S区)を、ただルーターを再起動するためだけに歩いてきたというのか?
Sランクモンスターをデコピンで消し飛ばして?
男が戻ってくる。
レイナの横を通り過ぎ、再び自分の「城(離れ)」へと帰ろうとしている。
話しかけなければ。
お礼を。いや、名前だけでも。
あなたは一体、何者なのですか、と。
「あ、あのっ……!!」
レイナは勇気を振り絞って声を上げた。
男がピタリと足を止める。
ゆっくりと、こちらを振り返る。
その瞳は——虚無だった。
レイナのことなど、道端の石ころ程度にしか認識していない、絶対強者の瞳。
——実際には、湊は(うわっ、話しかけられた! どうしよう、無視するのは感じ悪いか? でも何話せばいいんだ? ていうかこの人、なんで庭で寝転がってるんだ? 酔っ払いか?)とパニックになって固まっていただけなのだが。
湊は、コミュ障特有の引きつった愛想笑いを浮かべ、蚊の鳴くような声で言った。
「……あ、どうも。ちはっす」
それだけ言い残すと、脱兎のごとく早歩きで離れのドアへと向かい、中に飛び込んだ。
バタンッ!!
ガチャリ、ガチャリ(鍵をかける音)。
再び訪れる静寂。
残されたのは、呆然とするレイナと、下半身だけになったオーガの死骸。
そして、なぎ倒された森の爪痕だけ。
「…………」
しばらくして、レイナのドローンから通知音が鳴った。
視聴者たちが、ようやく再起動したのだ。
『ファッ!?』
『え、今の何? 合成?』
『オーガが……消えた……?』
『デコピンだろ!? 今デコピンしたよな!?』
『いや、衝撃波出てたぞ』
『あのジャージ何者だよwwww』
『日本の秘密兵器か!?』
滝のように流れるコメント。
同接数は瞬く間に跳ね上がり、SNSのトレンドは「謎のジャージ男」「デコピン」で埋め尽くされた。
レイナは、固く閉ざされた鉄の扉を見つめながら、震える手で胸を押さえた。
恐怖ではない。
これは、未知なる存在への——畏敬。
「……世界は、まだ何も知らないんだわ」
このS区の片隅に、神ごとき力を持つ「引きこもり」が住んでいることを。
——その頃、神(湊)。
「ふぃ〜、怖かったぁ……」
部屋に戻った俺は、ドアに背中を預けてへたり込んでいた。
心臓がバクバク言っている。
「なんだあの人、すごい格好してたな。やっぱりYouTuberかなんかか?」
まあいい。関わらなくて正解だ。
俺はPCの前に座り、画面を確認する。
ネットワーク接続アイコンが、正常に戻っている。
「よっしゃあああ!! 復活ッ!!」
俺はガッツポーズをした。
これでまた、平和な日常が戻ってくる。
外で大騒ぎになっていることなど露知らず、俺は冷蔵庫からコーラを取り出し、プシュッとプルタブを開けた。




