第38話:その頃、ポチは 〜最新鋭ドローンは鉄分の味〜
S区の結界境界線から数キロ地点。
『蛇の牙』の車列は一時停止し、作戦行動の第一段階に入っていた。
装甲指揮車の中。
リーダーの木戸は、複数のモニターに囲まれ、葉巻をふかしていた。
「おい、偵察機の映像はどうなってる?」
「へい。現在、目標地点(相葉邸)の上空に到達しました」
部下が操作するのは、軍事用をも凌ぐ最新鋭のステルスドローン『ファントム・アイ』。
光学迷彩と消音プロペラを搭載し、熱源探知や魔力解析までこなす、一機数千万円の高級オモチャだ。
「よし、まずは家の構造を丸裸にしろ。トラップの有無、逃走ルート、金庫のありか……全部だ」
木戸はモニターを覗き込む。
画面には、暗視モードで緑色に映し出された、古びた一軒家が表示されている。
「へっ、ボロ家だな。警備システムなんてありゃしねぇ」
「兄貴、庭に生体反応あり。……小型です」
オペレーターが画像を拡大する。
庭の隅にある犬小屋。
その前に、一匹の黒い子犬が寝そべっていた。
「……あァ?」
木戸は呆れた声を上げた。
「なんだこりゃ。チワワか?」
「みたいですね。番犬のつもりでしょうか」
「ギャハハハハ! 傑作だ! あのジャージ男、頭のネジが飛んでやがる!」
車内が爆笑に包まれる。
魔境S区に住んでおきながら、番犬がチワワ。
舐めているとしか思えない。
「いいぜ、ついでだ。その駄犬のドアップでも撮ってこい。あとでネットに晒して笑い者にしてやる」
「了解!」
ドローンが高度を下げる。
無音のまま、無防備な子犬へと忍び寄る。
——彼らは知らなかった。
その「駄犬」が、冥界の門番であることを。
◇ ◇ ◇
S区・相葉邸の庭。
ポチは、不機嫌だった。
夕食(ドラゴンの骨)を食べ終え、主がピザを頼んでくれるのを待ちながら、優雅にうたた寝をしていたのだ。
S区の魔素を含んだ夜風は、心地よい子守唄だった。
なのに。
ブゥゥゥン……。
耳障りな音がする。
人間には聞こえない周波数の、不快な羽音。
ポチは片目を開けた。
『……?』
空中に、小さな虫が飛んでいる。
金属の臭いがする虫だ。
あんなものが主の視界に入れば、主は「蚊がいる」と言って不快になるだろう。
——排除セヨ。
ポチの本能(防衛システム)が作動した。
動く必要すらない。
ポチは、あくびをするように大きく口を開けた。
◇ ◇ ◇
——『蛇の牙』指揮車内。
「お、おい……なんだこれ?」
オペレーターの声が震えた。
モニターの中の子犬が、口を開けた瞬間。
画面に映る数値が、異常な警告を吐き出し始めたのだ。
【警告:高エネルギー反応!】
【警告:魔力濃度測定不能!】
【警告:闇属性・SSS級!】
「あ? 機械が壊れたか?」
木戸が画面を覗き込む。
そこには、信じられない光景が映っていた。
チワワの影。
それが、月明かりの下で異常に膨張し——三つの首を持つ巨獣のシルエットへと変貌していたのだ。
「な、なんだこ——」
言う間もなかった。
画面の中の子犬と目が合う。
金色の瞳。
それは、カメラ越しであるにも関わらず、見ている者たちの魂を凍りつかせる「捕食者」の眼光だった。
パックン。
画面が暗転した。
ノイズすら走らない。完全な信号途絶。
「…………」
車内に沈黙が落ちる。
誰も状況を理解できない。
数千万円の最新鋭ドローンが、チワワに……食われた?
「ば、馬鹿な……。故障だろ? 鳥か何かにぶつかったんだろ?」
木戸は引きつった笑みを浮かべた。
認められるわけがない。
あんな愛玩動物が、軍事兵器を撃墜するなど。
「ええい! かまわねぇ! どうせただの家だ!」
「全車突撃! 数で押し潰せば関係ねぇんだよォ!!」
木戸は恐怖を振り払うように叫んだ。
だが、部下たちの背中には、拭いきれない冷や汗が流れていた。
◇ ◇ ◇
再び、庭。
ガリッ、ゴリッ、バキンッ。
ポチは、口の中の異物を咀嚼していた。
硬い。味がしない。
最近の虫は殻が硬いなぁ、と思いながら、強靭な顎でカーボンフレームとリチウムイオン電池を粉砕し、飲み込む。
少しビリッとしたが、いい刺激だ。
ガララッ。
頭上で窓が開く音がした。
主が顔を出したのだ。
「こらポチ! また拾い食いしたのか?」
湊が呆れたように言った。
さっき「ガリッ」という音が聞こえたらしい。
「変な虫とか食べるなよー。寄生虫いたらどうすんだ」
「ワフッ(ごめんなさい)」
ポチは可愛らしく尻尾を振り、上目遣いで媚びた。
湊は「しょうがないなぁ」と苦笑いして、窓を閉める。
パタン。
よし、主のご機嫌は損ねていない。
ポチは満足して、再び丸くなった。
だが、その耳はピクリと動いている。
遠くから響く、重苦しいエンジン音。
地面を揺らす、複数のタイヤの振動。
『……グルルルル』
喉の奥で、低く唸る。
先ほどの虫は、ただの尖兵。
本隊が来る。
主の平和なピザタイムを邪魔しようとする、無粋な害虫の群れが。
ポチの影が、ゆらりと揺らめいた。
可愛いチワワの姿のまま、その影だけが、地獄の番犬の形状をとって牙を剥く。
——ここから先は、通さない。




