第22話:レイナの決死圏 〜番犬は夢の中〜
ガギィィィィンッ!!
深夜のS区に、金属と硬い何かがぶつかり合う、耳障りな音が響いた。
「くっ……! 硬い……ッ!」
銀条レイナは、愛剣『竜殺し(ドラゴンスレイヤー)』を振り抜いた反動で、数メートル後方へと滑った。
アスファルトに火花が散る。
呼吸は荒く、額からは玉のような汗が滴り落ちていた。
対する敵——『変異種キメラ』は、不快な粘液を垂らしながら、無数にある複眼をギョロギョロと動かしている。
『ア゛……ジャマ……ドケ……』
キメラの体表には、先ほどレイナが斬りつけた傷跡があった。
だが、傷口がブクブクと泡立ったかと思うと、瞬く間に新たな肉が盛り上がり、傷を塞いでしまった。
(再生能力持ち……!)
(しかも、この回復速度は異常よ。まさか、この庭に充満する高濃度の魔素を取り込んで回復しているの!?)
レイナは戦慄した。
S区の環境——すなわち師匠の家の庭という環境が、皮肉にも敵に無尽蔵のエネルギーを与えてしまっている。
本来なら、この領域に入った魔物は、番犬である『守護獣様』に排除されるはずだ。
だが、今はその気配がない。
(守護獣様は……!?)
レイナは視線を走らせた。
庭の隅にある犬小屋。
そこからは、規則正しい寝息が聞こえてくる。
『くー……すぴー……(骨……もっと食う……)』
寝ている。
完全に爆睡している。
世界最高峰の結界内にあるこの家は、防音性も完璧すぎるのだ。
あるいは、ポチにとってこの程度の魔物は「羽虫が飛んできた」程度のものであり、起きる価値すらないと判断されたのか。
(つまり……私がやるしかない!)
レイナは覚悟を決めた。
師匠は今、深夜のティータイム(プリン)を楽しんでいるはずだ。
その安息を、こんな汚らわしい獣に邪魔させるわけにはいかない。
「我が剣技の全てを懸けて、ここを死守する!」
レイナが魔力を練り上げる。
剣が青白く発光する。
Sランク探索者、銀条レイナの奥義。
「秘剣——『銀閃』ッ!!」
彼女の姿が消えた。
音速を超えた踏み込み。
一閃。
キメラの巨体が、袈裟懸けに両断される——はずだった。
バヂィィィンッ!!
「なっ……!?」
剣が、止まった。
キメラの身体から生えた無数の「腕」が、レイナの剣を真剣白刃取りのように受け止めていたのだ。
鋼鉄をも断つミスリルの刃が、不気味な筋肉の束に食い込み、軋みを上げている。
『ツカマエタ……』
キメラの口が醜悪に歪む。
「しまっ——」
回避しようとしたが、遅かった。
キメラの別の腕が、丸太のような剛腕となってレイナの横腹を薙ぎ払った。
ドゴォォォォォンッ!!
「がはっ……!?」
レイナの体はボールのように弾き飛ばされた。
受け身を取る暇もなく、彼女は背後にあった「壁」——相葉家の外壁に激突した。
ズドンッ!!
家全体が大きく揺れる。
レイナは地面に崩れ落ち、口から鮮血を吐いた。
肋骨が数本、逝ったかもしれない。
鎧がひしゃげ、呼吸をするたびに激痛が走る。
(あ……あぁ……)
痛みよりも先に、絶望が心を支配する。
自分の背中が当たった衝撃で、家の壁にヒビが入ってしまったかもしれない。
師匠の城を、傷つけてしまった。
目の前では、キメラが勝利を確信したように、ゆっくりと近づいてくる。
『エサ……エサ……』
その視線は、レイナを見ていない。
彼女の背後にある「家の中」——そこにある高純度の魔石に向けられている。
(だめ……入らせない……)
レイナは震える手で、折れかけた剣を杖にして立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らない。
魔力も尽きた。
万事休す。
キメラが大きく口を開けた。
レイナごと、家の壁を吹き飛ばすつもりだ。
極大の魔力弾が、その口元に収束していく。
「申し訳……ありません……師匠……」
レイナは涙を流し、目を閉じた。
守れなかった。
自分の力が足りないばかりに、あの方の平穏を壊してしまう。
——その時。
ガタッ。
頭上で、窓の鍵が開く音がした。
続いて、サッシが乱暴に開け放たれる音。
ガラララララッ!!
「……え?」
レイナが目を開け、見上げる。
そこには、部屋着のジャージ姿のまま、右手にスプーンを握りしめた「神」が立っていた。
だが、その表情は慈悲深いものではなかった。
この世の終わりのような、深淵よりも深い「虚無」と「激怒」をない交ぜにした瞳で、眼下のキメラ(とレイナ)を見下ろしていた。
「……おい」
地獄の底から響くような声。
「今、いいところだったんだぞ」
——最強の引きこもりが、ついにキレた。
その理由は「世界の危機」などではない。
ただ、「楽しみにしていたプリンを落とした」ことへの、純粋な殺意だった。




