第18話:インフレにおののく 〜ポテチ一袋、4,500円〜
自動ドアがウィーンと開き、俺たちは文明の聖域——コンビニエンスストアへと足を踏み入れた。
♪ピロリロリン〜
あぁ、この音。
無機質で、どこか安心する入店音。
天井から降り注ぐLEDの白い光。
そして、揚げ物コーナーから漂う、油とスパイスのジャンクな香り。
「うおおお……! これだよこれ!」
俺、相葉湊は感動に打ち震えていた。
三年ぶりのコンビニ。
S区の廃墟(魔境)を抜け、ヤンキーの検問を突破し、ついにたどり着いた約束の地。
棚には色とりどりの商品が並んでいる。
おにぎり、弁当、パン、雑誌。
どれもこれも、俺の記憶にある「平和な日本」そのものだ。
「懐かしい……。パッケージのデザイン、ちょっと変わったな」
俺は子供のようにはしゃぎながら、店内を物色し始めた。
隣では、フルプレートアーマーのレイナちゃんが、ガチャガチャと音を立てながら周囲を警戒している。
「師匠、敵影なし。クリアです」
「うん、コンビニに敵はいないからね。店員さんがビビってるから剣の柄から手ぇ離して」
レジのおばちゃんが、鎧の不審者を見て通報しようか迷っている。
俺は愛想笑いで誤魔化しつつ、目的の棚へと急いだ。
スナック菓子コーナー。
そこには、俺の愛してやまない『コンソメパンチ』や『うすしお』が鎮座している。
「あった……! 神の食べ物が……!」
俺は震える手で、ポテチの袋を手に取った。
ずしりとした重み。
袋の中に詰まった窒素すら愛おしい。
よし、買おう。
今日は奮発して、コーラとカップ麺もセットだ。
俺は値段を確認するために、値札を見た。
【ポテトチップス(うすしお味) ¥4,500(税込)】
「……は?」
俺の思考が停止した。
四千五百円?
ん? 見間違いか?
俺は目をこすり、もう一度見た。
¥4,500。
ゼロの数が、俺の記憶より一つ多い。
いや、まさか。
これは箱買いの値段か?
いや、どう見ても単品だ。
「……え、なにこれ。高級ポテチ? トリュフとか金箔とか入ってるの?」
俺は慌てて隣のカップ麺を見た。
【シーフードヌードル ¥3,800】
おにぎりの棚を見る。
【ツナマヨネーズ ¥5,000】
「高っけええええええええッ!!」
俺は店内で絶叫してしまった。
なんだこれ!? ここは銀座の高級料亭か!?
おにぎり一個で五千円!?
具材にフカヒレでも入ってんのか!?
「ど、どうなってるんだ……日本円って紙くずになったの? ジンバブエ・ドルみたいになったの?」
俺は愕然とした。
三年の間に、世界はダンジョン発生による混乱で、ハイパーインフレを起こしていたらしい。
物流の寸断、農地の減少、そしてリスク手当の上乗せ。
それらが積み重なり、物価は俺の知る時代の十倍以上に跳ね上がっていたのだ。
「うそだろ……」
俺は震える手で、ジャージのポケットから財布を取り出した。
中に入っているのは、引きこもる前の残金。
千円札が三枚と、小銭が数百円。
合計、三千五百円くらい。
「……カップ麺、一個すら買えない……」
絶望。
圧倒的敗北。
Sランクモンスター(野良犬)にはデコピンで勝てた俺が、資本主義の暴力の前に膝を屈するなんて。
「あ、あの……師匠?」
立ち尽くす俺を見て、レイナちゃんが心配そうに声をかけてきた。
「どうかされましたか? もしや、所持金が……?」
「……うん。足りない。全然足りない」
俺は涙目で答えた。
情けない。
年下の女の子の前で、ポテチすら買えない貧乏っぷりを晒すなんて。
「でしたら、私が!」
レイナちゃんが、ポンと胸を叩いた。
そして、腰のポーチからブラックカードのようなものを取り出した。
「お支払いは私が持ちます! 護衛の報酬など要りません。むしろ、師匠のお供をさせていただけただけで、お釣りが出るくらいです!」
彼女の目は真剣だった。
Sランク探索者の収入は桁違いだ。
ポテチの一袋や二袋、彼女にとってはうまい棒感覚だろう。
——だが。
「……断るッ!!」
俺はビシッと言い放った。
「えっ? で、でも……」
「いいか、レイナちゃん。男には、引けない一線があるんだ」
俺は遠い目をして語った。
これは、ニートなりの最後のプライドだ。
女の子に奢ってもらって食べるポテチなど、塩味が涙の味に変わってしまう。
自分の食い扶持くらい、自分で稼がなきゃいけないんだ(親の金だけど)。
「くっ……! なんて高潔な精神……!」
レイナちゃんが何やら感動しているが、俺の内心は焦りでいっぱいだった。
どうする?
このまま手ぶらで帰るか?
いや、ここまで来てそれは悔しすぎる。
あのヤンキーの群れを突破した苦労が水の泡だ。
何か、金目のものはないか?
財布の奥底に、埋蔵金はないか?
俺はジャージのポケットをまさぐった。
小銭入れ、ハンカチ、ティッシュ。
そして——。
指先に、硬くて冷たい感触が触れた。
「ん?」
取り出してみると、それは綺麗な球体だった。
透き通るような深紅の輝きを放つ、ガラス玉。
「あ、これ……」
思い出した。
昨日、部屋の掃除をした時に、床に転がっていたやつだ。
たぶん、以前倒したデカい蛾(モスラ的なやつ)が落としたドロップ品だ。
ビー玉みたいで綺麗だから、なんとなくポケットに入れておいたんだった。
「……これで、なんとかならないかな?」
俺は一か八かの賭けに出ることにした。
ここはファンタジーRPGみたいになった現代日本だ。
物々交換とか、ツケ払いとか、そういう人情的なシステムが復活しているかもしれない。
このビー玉、見た目は綺麗だし、子供のオモチャくらいにはなるだろう。
「よし。交渉してみよう」
俺はビー玉を握りしめ、レジへと向かった。
店員のおばちゃんは、不審者を見る目でこちらを見ている。
——俺はまだ知らなかった。
この「ビー玉」が、Sランク魔石の中でも最上位に位置する、『災厄級の魔核』であることを。
そして、その価値が、このコンビニチェーン全体を買収できるほど高額であることを。




