第17話:覇気(コミュ障の震え) 〜どいてください、と言っただけなのに〜
深夜のS区境界線。
コンビニの明かりまであと数百メートルという地点で、俺、相葉湊は絶体絶命のピンチに陥っていた。
目の前には、道を塞ぐ五人の男たち。
金髪、ピアス、鎖、そして腰にぶら下がったナイフ。
どこからどう見ても、関わってはいけないタイプの人たちだ。
(ど、どうしよう……。足がすくんで動けない……)
俺の膝は、生まれたての小鹿のようにガクガクと震えていた。
視線を合わせるのが怖くて、うつむくことしかできない。
心臓の音がうるさい。
口の中がカラカラだ。
隣にいるレイナちゃん(全身鎧のコスプレお姉さん)は、「師匠、ご命令を! 殲滅します!」とか物騒なことを言ってるし。
ここで揉めたら絶対に警察沙汰だ。
俺はただ、平和にポテチを買って帰りたいだけなのに。
「……あ、あの……」
俺は勇気を振り絞って口を開いた。
声が裏返る。
喉が引きつって、うまく言葉が出てこない。
「ど、どいて、くだ、さい……」
涙目になりながら、精一杯の要求を伝えた。
頼む、通してくれ。
僕は貧乏人です。お金持ってないです。
この震えを見てくれれば、僕がいかに弱くて情けない人間か分かるだろう?
——だが。
俺の願いとは裏腹に、世界は残酷なほど「誤解」に満ちていた。
◇ ◇ ◇
——チンピラのリーダー、タケシの視点。
「ひっ……!」
タケシは、呼吸をすることすら忘れていた。
目の前の男——灰色のジャージを着た青年から放たれるプレッシャーが、物理的な重圧となって彼を押し潰そうとしていたからだ。
(な、なんだコイツ……!? 人間か!?)
タケシはDランク相当の『魔力感知』スキルを持っている。
だからこそ、見えてしまった。
男が身に纏うそのジャージ。
一見するとただのボロ布だが、その繊維一本一本に、どす黒い怨念のような魔素が染み付いているのを。
それは、数千、数万という魔物を屠り、その返り血を浴び続けた者だけが持つ、死の勲章。
そして、男は震えていた。
小刻みに、ガタガタと。
(……怒ってやがる……!)
タケシの目には、その震えが「恐怖」ではなく、「殺意の抑制」に見えた。
目の前のゴミ(自分たち)を今すぐ消し去りたい。
首をねじ切りたい。
そんな暴走しそうな破壊衝動を、必死に理性で抑え込んでいる——武者震いだ。
男が、ゆらりと顔を上げた。
前髪の隙間から覗くその瞳は、暗く淀み、一切の光がない(※ただの寝不足とコミュ障の目です)。
そして、男が口を開く。
『……ど、どいて、くだ、さい……』
低く、震える声。
それはまるで、地獄の底から響く呪詛のようだった。
言葉の裏に隠された意味を、タケシの本能が勝手に翻訳する。
『(俺の理性が焼き切れる前に)どいて(死にたくなければ消えろ)』
幻視。
タケシは見た。
男の背後に、鎌首をもたげた巨大な黒龍の幻影が立ち昇るのを。
その龍が、大口を開けて自分を喰らおうとしているのを。
「あ……あ、あ……」
タケシの股間が熱くなった。
失禁。
プライドも何もかも吹き飛んだ。
生物としての格が違いすぎる。
ここに立っているだけで、魂が削り取られていく。
「ど、どくぞぉぉぉぉッ!!!」
タケシは絶叫した。
ザッ!!
タケシは反射的に道の脇へと飛び退き、そのまま地面に額を擦り付けた。
綺麗な土下座だ。
恐怖で腰が抜けて立てなかったとも言う。
「あ、兄貴!?」
「テメェらも頭下げろォ!! 目が合ったら殺されるぞ!!」
部下たちも、リーダーの異変と男のオーラに当てられ、一斉に道の両脇へダイブした。
まるでモーゼの十戒のように、道が左右に割れる。
全員が震えながら、額をアスファルトに押し付けた。
道が開いた。
王が通るための、王道が。
◇ ◇ ◇
再び、湊の視点。
「……え?」
俺はポカンとした。
どうしたんだ、急に。
さっきまでニヤニヤしてた人たちが、急に叫び出して、道の端っこで土下座を始めた。
「ど、どくぞぉぉぉぉッ!!!」
なんて言ったんだ? 毒? 毒草?
よく分からないけど、苦しそうだ。
顔色が真っ青だし、震えてるし、なんか濡れてるし。
(……貧血か? それとも集団食中毒?)
俺は首を傾げた。
コンビニ弁当でも食べて当たったのかな。
可哀想に。
でも、道は空いた。
関わるとまた面倒なことになりそうだし、救急車を呼ぶにしても、まずはこの場を離れた方がいいだろう。
「……あー、お大事に」
俺はボソッと呟くと、小走りでその場を通り抜けることにした。
早くコンビニに行きたい一心で、足取りは自然と速くなる。
ペタペタペタペタ……。
サンダルの音だけが、静まり返った夜道に響く。
土下座する男たちの間を、ジャージの男が颯爽と(逃げるように)駆け抜けていく。
その後ろ姿を、レイナは恍惚とした表情で見つめていた。
(……すごい)
彼女は感嘆のあまり、ため息をついた。
剣を抜くことすらなく。
魔法を撃つことすらなく。
ただ、「歩く」という行為だけで、敵の戦意を完全にへし折ったのだ。
覇気。
王者の風格。
あの方が一歩進むたびに、世界が道を譲る。
(私なんて、すぐに剣に頼ろうとしてしまった……まだまだ未熟ね)
レイナは反省した。
真の強者とは、暴力すら必要としないのだ。
その存在感だけで、全てを解決する。
「勉強になります、師匠!!」
レイナは深く一礼すると、カシャカシャと鎧を鳴らしながら、湊の後を追った。
残されたのは、泡を吹いて気絶しかけているチンピラたちと、微かに漂うアンモニア臭だけだった。
——こうして、湊は無自覚なまま、地域の治安を劇的に改善してしまった。
翌日から、この検問所における「初心者狩り」の被害がゼロになったことは言うまでもない。
だが、湊の冒険はまだ終わらない。
彼の目の前には、さらなる強敵——「現代日本のハイパーインフレ」が待ち構えていたのだ。
明るい光が見えてくる。
セブン◯レブンの看板だ。
「やった……! ついに着いたぞ……!」
湊は感動に打ち震えた。
しかし彼はまだ知らない。
愛するポテチの値段が、とんでもないことになっていることを。




