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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

魔王はあなたの兄だった

作者: 木月陽
掲載日:2026/02/02

「いつまでも君の幸せを祈っている。」


手紙は、そんな一文で結ばれていた。


最後の一文まで読み上げた彼女は、便箋に目を落としたままじっと項垂れていた。


「……ありがとう」


私はなんとかそう返したけれど、胸の中はぐちゃぐちゃに渦を巻いて、それなのに痛いほど静かで、吹雪に足を取られたみたいに息が苦しかった。


「……ねえ、」


私は口を開いた。喉まで迫り上がった氷を、吐き出すように。


「嘘、なんでしょう? この手紙」

「あれから親切な人に助けられて、満足いく人生を過ごせたっていうのも」

「治らない病気になってしまったから、親切な旅の人にこの手紙を託したっていうのも」

「……だって兄さんは、一度も私を『君』なんて呼ばなかった」

「どんなに悲しいことでもいい。本当のことが知りたいの。ねえ……兄さんは、本当はどうやって死んだの?」


ぱたぱた、と水滴が紙を打つ音がした。


少し前まで「勇者」だった少女はひゅうと息を吸って、涙が胸に詰まったみたいに咳き込んで、それから、吠えるように言った。



   * * *


『魔王はあなたの兄だった』


   * * *



ううん。……ううん、ごめんね。私こそ。きみをそんな風に、泣かせるつもりじゃなかったの。


大丈夫……ね、息をふうっと吐いて……吐いて。それから吸って。


急がなくっていいんだよ。もう一回。吐いて、吸って。そう、大丈夫……大丈夫。



ねえ、きみの背中をさすってもいいかな。


そっか。いいよ。いいんだよ。だめだったら。だめって言っていい。誰もきみに、してほしくないことを強いたりしない。


代わりに、こうやって手を繋いでいたいな。


私の手のひらに、こうやって手を載せるだけでいいから。握り返さなくってもいい。そのままで……うん。うん。


ありがとう。



……本当に、小さい手のひら。


この手で旅をしてきたんだね。


たくさんの人を助けて、たくさんの魔族と戦って、倒して、それで、


……。


……ごめんね。


どうしても考えちゃう。兄さんのこと。どこかで生きていれば……せめて最期が穏やかだったならって思ってた。痛い思いや苦しい思いをしながら、ひとりぼっちで死んじゃってたらどうしようって怖かった。



ねえ、兄さんは最期、きみを呪っていかなかったかな。


魔王は世界全部を憎んでるって、こんなところに住んでる私でも聞いたことがあるもの。兄さんがそうなるなんて思わなかった。でもそうなってしまうくらいのことが、兄さんに起きたんだと思う。


私はそれが一番悲しい。人を憎んで、たくさん殺して、しまいには殺されて、きみみたいな子どものことまで恨んで死んでいったんだとしたら、あんまりにもやりきれないよ。兄さんなにやってるんだよって、うんと大きい声で叫んでやりたいくらい辛い……



……あ。


ごめん。痛かったよね。


ごめんね。



……え?


兄さんも、「ごめんな」って言ってた……


きみは痛くなんかなくて、兄さんの方がずっとぼろぼろだったのに……。



……。


そう。そうだったんだ。


……。


なんだか兄さんらしいな。


王様のおふれで国中の「火の色の目」をした子どもをお城に集めることになった時、兄さんは私を木のうろに隠して自分だけ兵隊さんたちに連れていかれた。兄さんも他に連れていかれた子たちも、二度と帰ってこなかった。


お城に集めるなんて真っ赤な嘘で、みんな途中で首を切られて谷に落とされたんだって聞いた日には一日中立ち上がれなかった。探しても兄さんの身体はなかったって村の人が言ってた、それだけが希望だったの。


そう、あの時私は何も知らなくて、日が暮れそうになって兄さんを探しに木のうろを出て、それで連れていかれる兄さんを見たのが最後だった。


兵隊が私を見て、何か言って、剣とか槍がいくつもこっちを向いて、兄さんが飛び出して、ぱっと火の色の飛沫が飛んで私の目に入って、それから私の目はよく見えなくなったの。


兄さんとお揃いだった夕焼けの瞳も、なくなっちゃった。



ね、兄さんの手紙、読み上げてくれてありがとう。すぐに嘘だなぁって分かっちゃったけど、嬉しかったのは本当だよ。


もしかして、兄さんがきみに手紙を預けたのは嘘じゃなかったのかな。きみに「ごめんな」って言って、それから手紙を預けたのかな。


……まだ山の向こうに、人間の国に、家族がいるんだ、って。そう言って最後の最後に、渡してくれたんだね。


そっか。



……ねえ。


きみは、兄さんが憎かった?


勇者は魔王を倒すために生まれる人間、なんだよね。心も魔王を倒せるような形に生まれてきたのかな。それともそんな必要ないのかな。だって魔王は世界を憎むもので……きっときみの大事な人たちもたくさん奪ったんだろうから。


……うん。


うん。


……。


ごめん。


なんて言っていいか分からなくて……ごめんね。


私たち人間とほとんど同じ見た目なんだっけ。魔族って。


そっか。


ううん。きっと何が正しいなんてことはないよ。正解なんてない。少なくともここには、きみに間違ってるなんて言う人なんていない。


ねえ、だってきっと私だって忘れちゃう。人間の国から遠く離れて、魔族とひたすら戦って。その間に護衛の剣士が、……何回、だっけ。そう、十八回も代わって、魔法使いは二十七回、それで二番目の僧侶さまが帰りたかった故郷がどこにあったかなんて、ねえ、きみは冷たくなんかない。


兄さんのところにたどり着いた時にはひとの憎み方も忘れていたって、ひととひとが言葉を交わせることも忘れていたって、きみは。


だって手紙を届けてくれたもの。


……そうだよ。


……手遅れじゃなかった。


だからもう謝らないで。



謝らないでってば!!!



ねえ!きみがそんなに泣いて謝って、私はどうすればいいの⁈ 兄さんは憎み合ってもないきみに殺された、きみの心はもうずっと前にもっともっと大きなものに殺されてた! 


国境の方で起きてた戦争のことは分かってる。街がいくつもずたずたにされたし、王国軍も魔族の街にたくさん火をつけた。どうしようもないよ、きみが泣いて謝ったって私が手を振り上げたって、その先にもう人のかたちはないんだよ!


ごめん、お願い、どうかこのまま手を握らせていて。私いま手を離したら、何をしちゃうか分からない。


きみも……ねえ、だめだよ、だってきみ今にも消えちゃいそうだもの。



そうだよ。私めちゃくちゃなんだ。たった一人の兄さんを殺したひとが憎い。私が知らない間に兄さんが犯した罪が怖い。兄さんに人を殺させた世界が憎い。きみに死んでほしくない。


分からないよ。なんでだろう。この世に死ぬべき人なんていない……違う。そんな言葉なんにもならないね。


私の前では人に死んでほしくない。死んでいく人と最後に話した人間になるのは誰だって嫌、そうじゃない? 言えなかったことできなかったことばかり数えてずっとずっと後悔して、それでも生きてかなきゃいけないの。嫌でしょうそんなの。私自分勝手にそう思ってる。死んでいく人の方がずっと辛いのに。


ううん違う。これも違う。でもきみは、お願い、きみはいかないで。だってきみは、兄さんを知ってるたった一人のひとだもの。そう。きみに消えてほしくないのはきっとそういうこと。



……違う。


ちがうよ。


もういやだよ。


ひとがひとを殺して、殺されて、その繰り返しなんて。


うんざりだよ。


どうしてそればっかりなの?


……


……。




ごめんね。さっきの私、ひどかったね。怒鳴ったりして。


……え。


手、握り返してくれてるの?


……ありがとう。



大丈夫。きみは優しい。生きてていい理由がないなんて、私が絶対言わせない。


きみはちゃんと帰らなきゃいけないんだ。きみを待っている人がいる場所に。



……え?


……ッ。


そ、……っか。


きみは。


…………。



ねえ。


きっと兄さんは、だから手紙を渡したんだと思うよ。きみが人間の国に帰る理由になるように。きみが生きるのを諦めてしまう日を、少しでも先のばしにするために。


そうだよ。だって兄さん、すっごく目が良かったもの。私がどんなにうまくごまかしたつもりでも、なんでも気づいてた。


友だちにごめんねを言わないまま家に帰ってきちゃった時も、年上の子に足を引っかけられて転んじゃった時も。



……。


あのね。


私も親はいないよ。


殺された。母さんは父さんに、父さんは母さんに。


兄さんがいなくなってからずっと後、戦争が激しくなってきた頃。こっちではどんどんものがなくなっていった。


パンが焼けなくなって、薬もなかなか届かなくなって、父さんは……父さんは医者だったから、患者も家族も守れないってずっと苦しそうだった。それで騙されたんだと思う。気づいたら家からはお金も何もなくなってて、父さんは母さんを刺して家に火をつけたの。



……罪人の子どもだってことは、その子どもも死ななきゃいけないってことには、ならないんだよ。


なっちゃ、いけないんだよ。


この国の決まりでもそうなっているんだもの。きみのお母さんがきみを産むまで生かされたのも、そういうこと。


きみは肯定されている。


きみとして生きることを。




……。


……?


なあに?


白い、花?


……うん。咲いてたよ。ずっとずっと前に私たち家族が住んでた家のそばの、小さな花畑に。


その花が、どうしたの?



……。


そんな風に言ってたんだ、兄さん。


そっかあ……そうなのかも。


兄さんが帰ることを諦めても、私の目が少しの光と色しか見分けられなくなっても、私たちの思い出の一番奥底には、あの花畑があって。その思い出が、私たちが本当に全部を諦めてしまわないように引き留めてくれていた。


……なんて。


……そんな。


……。




たった今十何年かぶりに思い出したよ。私。そんな花の事。


どうしてよ。


そんなあったかい記憶を大事に抱えたまま、なんで魔王になんかなっちゃったの。


兄さん。


なんでよ。なんでなの。私の方がずっとずっと汚くて、悪いやつで、全部ぜんぶ憎くって、みんな壊してやりたいって思ってたのに。


ねえ、さっき嘘ついた。きみは兄さんを殺したってちゃんと言ってくれたのに、私はきみに隠し事をした。


父さんは私が殺した。


母さんが倒れてて、父さんがナイフを持ってて、怖くって死にたくなくて、突き飛ばしたら父さんが頭をぶつけたの。


立てなくなった父さんの脇腹に母さんがナイフを刺して、二人とも動かなくなった。


私だけ死ななかった。


私、私それにね、殺そうとした。父さんを騙した人たちを。許せなかったの。許さないようにしなきゃ生きていけなかったから。


だからナイフと杖だけ持って、二人を置いて燃えてく家を出て……探した。なんでもした。うんと暗い場所へ落ちていきながら。


私ずっと怒ってたんだ。全部に。


だけど。


……



私、自分だけは壊せなかった。ずっと私は私が可愛かったみたいだった。気づいたらぞっとした。いつ頃だったっけ。うん。殺したくて殺したくて仕方ないと思ってた人たちが、三年も前に死んでたって知った時に。


誰かに殺されたんだろうね。人を騙してばかりの人間だったから。



……兄さんも母さんも父さんも私が不幸にしたのに、私は私以外をずっとずっと憎んで怒ってた。


それに気づいたのに、私はまだまだ死ぬのが怖かった。それで……言い訳をたくさん考えた。私以外を憎むことだけ一旦やめた。全部、ぜんぶいやになってたから。


時間が私を消してしまうまで、静かに生きていようって思ったの。


兄さんだったらしないようなことはしないって、心に決めて。



……。


兄さん、眩しかったでしょう。だからここまで来たんでしょう。だから余計に消えたくなったんでしょう。



気になってたんだ。勇者の額には太陽の形の印があるって聞いたことがあるけど、きみには薄いあざと消えかけの傷あとしかないもの。


……やっぱり。兄さんが消したんだ。


……どうだったのかな。それに使う魔力を自分に回したって、兄さんが助かるかは分からなかったんじゃないかな。……兄さんなら、そう言ってたと思う。





……。


ねえ。


私、きみを生かすために大したことはできないけれど、「それでも生きてる」って姿をきみに見せることはできるよ。


今の今までばかみたいに生き延びたのはこのためだったのかな、って言ったら、言い過ぎかもしれないけど。


私が考えたたくさんの言い訳も全部きみにあげる。さっきまで話してた分だけじゃないよ。



ねえ、世界ってクソだね。幸せでいなくちゃいけない人から先に、苦しんで死んでいくの。優しい人から先に、誰かをひどく傷つける役をやらされるの。


だから。


だからさ、一緒に逆らってやろう。


世界が私たちをまた殺して殺されての繰り返しに引き摺り込もうとしたら、二人で今みたいに手を握り合って。


どんな武器も持たない、拳も作れない手で、誰も傷つけてやるもんかって歯を食いしばって。



ねえ。


あの白い花畑、思い出させてくれてありがとう。


でも私、もう新しくあの花を見ることはできないから。


きっと花畑もなくなっちゃったから。


きみが教えて。忘れるたびに。


お願い。


ここにいてよ。今、シチューを作ってたんだ。まだ具材を切ったばっかり。最近ニンジンをたくさんもらったから、うっかり一人じゃ食べきれないくらい切っちゃった。


何時間も煮込んで、やっと出来上がるんだよ。だから。



……。


……だったら、なおのこと。


ねえ。


その薬だって、時間が経てば抜けるんだよね?


そしたらここで待っていよう。何日でも何ヶ月でも。味も温かさも、普通に感じられるようになるまで。


そう。


母さんの得意料理で、兄さんのお気に入りだった。



……


……あはは。


なんて話してるの。長い長い戦争の終わりに、勇者と魔王の二人で。


じゃあ、ほうれん草は嫌いだったって話は聞いた? ……聞いてないんだ。言わなかったんだね。兄さん、変なところで強がったんだ。


ふふ。



……ねえ。


たくさん話そう。


だから、まずは聞きたいな。


「勇者」じゃない、ほんとのきみの名前を。


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