あ、結構です。親のスネかじり男なんて。
私の家は、伯爵家とは名ばかりの貧しい家だった。
私の父が、浪費癖があった上に領地経営や財の管理に失敗してしまったせいだった。
そのせいで私は母から「貴女はああなっては駄目よ」と言われて育った。
父がまたやらかさないとも限らなかったので、万が一の事があったとしても自分の力で生きて行けるようにいくつかの人生設計を用意したし、それに見合うだけの勉学にも励んだ。
だからこそ、普通の貴族である同年代の人とは話が合わない事が多かった。
父が何とか話を漕ぎ着けた婚約の相手だったヨーゼフもそうだった。
家の爵位は同じだが、環境は全く異なるヨーゼフ。
彼は自ら教養を積む事は殆どせず、その癖傲慢だった。
何の努力もせず、ご先祖様が築いてきた地位に胡坐を掻くだけで裕福な暮らしができる彼には私が何故こんなにも必死に生きているのかが分からなかったのだろう。
「カロリーネ――お前との婚約を破棄する!」
ある日の夜会での事。
私はそう告げられた。
「お前のように貴族としての誇り高さを忘れ、惨めに生きるような女、我が家には相応しくない!」
そういう彼は自分の傍らに一人の女性を連れていた。
子爵令嬢のガブリエラ様。彼女の家の爵位は私達よりも低いけれど、今保有している財だけならば少なくとも我が家以上だっただろう。
おまけに両親から愛されて育ったらしい彼女はいつ見ても異なる服やアクセサリーで着飾っていた。
ヨーゼフは私ではなくガブリエラに共感した。
私とてヨーゼフには共感できなかったし、私の在り方を理解してもらえないような方と結婚までもそれ以降も上手くやっていける自信はない。
だから――
「畏まりました。では一方的に契約を破棄する事、また書面上は婚約関係が継続している状態での不貞とも取れる現在の行い……それに対する慰謝料を後程請求させていただきます」
せめて我が家の赤字を少しでも改善する財布になってもらうことにした。
「な……っ! お前、この期に及んで他者から金を奪う算段を立てるつもりか! 何と卑しい!」
「残念ながら、私は法律の話をしているだけです」
「まぁまぁ、ヨーゼフ。いいじゃない。可哀想な貧乏貴族に、少しくらいお情けを上げたって」
「……ふん、それもそうだな」
ガブリエラに諭されたヨーゼフは心の余裕を取り戻したらしく鼻で笑う。
「せめてお前がもう少し伯爵家に相応しい振る舞いを心掛けていたなら俺だってお前で許していたかもしれないというのに――」
「あ、それは結構です。親のスネかじり男なんて」
「スネ……ッ!? な、ぁ……!?」
何故か私が彼との婚約に執着している前提で話が進められていたので、そこはきっぱり訂正しておく。
ヨーゼフの顔が醜く歪んだ。
「いくら政略とはいえ、あまりに価値観が合わないと互いに苦労しますでしょう。我が家の財政は確かに火の車ですが、父の尻拭いの為だけにお金以外の全てを捨てたとて上手くいくとも思えません。私に関して無駄なお心遣いは不要です。……それでは後日、婚約解消の申し出が届くのをお待ちさせていただきます」
私は深く頭を下げると二人から目を逸らす。
「……努力する必要が無くて羨ましい限りです。いいですね」
これは心からの言葉だ。
私だってそんな環境で生きられるならそうしたかったのだから。
まぁ、そんな気持ちは彼等には届かなかっただろう。
「か……っ、カロリーネェェエッ!!」
それをただの皮肉として捉えたヨーゼフが激昂する。
私はそれを尻目にその場から立ち去った。
騒ぎになってしまったことによって、夜会の会場には戻れそうにない。
かといって家に帰っても婚約破棄の件を報告しなければならなくて気が重い。
そこで私は軽く時間を潰してから帰ろうと、夜会の為に解放されていた会場の庭園へ赴いた。
一応客人ならば誰でも出入りする事が許されている場所だが、皆はメインの夜会での歓談やダンスに耽っているので庭園に人気はない。
……そう安心して足を踏み入れた時だった。
庭園の中、備え付けられたベンチに私は人影を見つける。
先客がいたらしい。
私は軽くお辞儀をするけれど、どうやら相手は気付いていない様子。
何やらぶつぶつと独り言を呟き続けていた。
「もし去年の西の不作が年々悪化し、範囲が広がっていくとするならば、どれだけの損失が…………その場合我が家の財はどれだけ残せるのか……赤字にはならないか…………」
断片的にではあるけれど、そんな辛気臭い話をする男性の声が聞こえて来たので、ああきっと彼も私と同じ貧乏貴族なのだろうと思った。
一体どんな相手なのだろうという興味と共感から私は彼の傍に近づく事にした。
「不作というのは、我が国で起きた昨年の広範囲干ばつによるもののお話しですか?」
「……っ!」
私は声を掛け、相手の前で深くお辞儀をする。
そこで漸く私の存在に気付いたらしい彼の呟きが止まる。
私はお辞儀の姿勢のまま、薄暗くてよく見えなかった相手の顔をこっそりと盗み見た。
そして――思わず息を呑む。
「ッ、フィリベルト、様……!?」
「貴方は確か、伯爵家の……」
「…………カロリーネでございます。突然のお声掛け、大変失礼いたしました」
黒髪に青い瞳を持つ麗しい青年。
彼――フィリベルト様は公爵家の嫡男に在られるお方だ。
てっきり同程度の身分かそれより下の家の者かと思っていた私は格上の相手を前に驚いてしまったのだ。
「ああ。すまない、考え事をしていて気付けず」
「いいえ。私の方こそ、フィリベルト様のお話しが聞こえてきて興味を持ってしまい……」
「こちらの話を?」
「ええ。その……もしかしたら我が家と同じ立場のお方なのでは、と。ならば日頃抱えている悩みを共有したり、私側から何か助言の一つでも出来るかもしれないという興味から……それがまさか、フィリベルト様だったなどとは思わず」
「ああ、貴方の家は……なるほど」
フィリベルト様は納得した様に頷く。
面識は殆どなかったが、私の家は度々社交界の笑い者として噂になっていたから、どこかで耳にした事があったのかもしれない。
「確かに我が家は財には困っていないが……その手の知識を求めていたのは事実だ。聞けば、貴女はただの貴族令嬢らしからぬ博識さであると伺った事がある。よろしければ、貴女のお話も聞かせて頂けないだろうか」
「そんな……恐縮です」
果たしてフィリベルト様のお眼鏡に適うだけの話が出来るのか。
自身はなかったが彼から直々に頼まれてしまえば断ることもできない。
「昨年の干ばつの件ですが……あれは記録によれば五十年に一度程度の周期で発生するものとわかっていますから、そこまで心配する必要はないかと」
「ああ、わかってはいる。だが干ばつではないにせよ、似たような災害が発生する可能性はあるし……周期的に訪れる干ばつとは別物だった場合、自分だったらどう動くのか……というような想定をする事が多くてな」
そう言うとフィリベルト様は深刻な顔で頭を抱え始める。
「……俺なんかが公爵家を継いだ後、誤って家を潰してしまいやしないか……それだけが気掛かりで仕方がないんだ」
公爵家の財がちょっとやそっとの災害で尽きる事はないと思うのだが……どうやら彼は相当な心配性であり、慎重派な人間のようだった。
こんなに身分の高いお方でも、私と同じような悩みを抱える事があるのかと思えば、何だか親近感が湧き放っておけなくなる。
私は小さく笑ってしまってから、領地経営に関して自分が集めた知識や持っている見解をフィリベルト様に共有し、未来で想定される出来事をいくつか並べて彼と話し合ったのだった。
勿論互いの家の事情の詳細を語ることはできないので例えばの話や一般的な数値を参照した話し合いにはなってしまったが、それでも私は私の話に聞き入ってくれるフィリベルト様との時間を楽しく感じていたし、フィリベルト様もまた、私の話を有意義なものと考えてくださった。
そうして少し時間が過ぎてから、私は話しを切り上げる。
「失礼しました。一応私はまだ婚約中のみですから、異性の方と長話をする事は出来ず……」
「ああ、そうだったな。すまない、貴女の話が非常に参考になった為に思ったよりも引き留めてしまい……」
「いいえ、こちらこそ。とても楽しいひと時でした」
そう言って私が去ろうとした時。
「……先程の話を聞いて思ったが、君が聡明だという噂はどうやら本当らしい。君ならば自分の家を建て直す事くらいもできるのではないか」
「そうなればよかったのですが」
フィリベルト様の問いに私は苦く笑う。
「残念ながら……家を建て直す為の初動にも資金が必要なのです。そしてそれだけの額をすぐに揃える方法が我が家にはなく。今は地道に資金を集めている最中なのです」
「ああ、なるほど……。すまない、踏み込んだ話を」
「いいえ。お気になさらず。……それでは、失礼いたします」
「ああ。気を付けて」
こうして私はフィリベルト様と別れた。
その数日後、ヨーゼフの家から書面が届き、我が家は慰謝料をたんまり貰ってから婚約を白紙にした。
とはいえまだまだ黒字には程遠い。
自分の失態を申し訳なく思い、縮こまっている父の前でどうしたものかと私は母や兄とともに話し合う。
そんな折だった。
――フィリベルト様から一通の手紙が届いたのは。
「……あの、本当によろしいのですか。その、我が家となど……」
私はフィリベルト様のお家――公爵邸へ招かれ、屋外で彼とお茶を飲み交わしていた。
「私と、婚約だなんて」
そう、我が家に届いた手紙というのはフィリベルト様からの婚約の申し出の手紙だった。
私の問いを受けたフィリベルト様は柔い笑みを浮かべて頷く。
「ああ。貴女の婚約が白紙になったと聞いてな。不躾かとは思いながらもすぐに手紙を送ってしまった。すまない」
「いいえ、そんな……でも一体何故」
まさか相談に乗ってもらった礼、と言うだけではないだろう。
私が問えば、フィリベルト様は照れ臭そうにはにかんだ。
「私の性格が公爵家の者として少々変わっている事はもうわかっているだろう」
「え、ええ……」
思い当たる罪がないのにも拘らず破産を心配するフィリベルト様。
彼が極度の心配性である事、そして神経質である事は最早疑いようもない。
「だからこそ、なかなか理解が得られなくてな……。そんな折に貴女と出会ったんだ」
フィリベルト様はお茶を一口飲み、カップを戻してから私へ笑いかける。
「貴女の家の件も我が家なら協力が出来るだろう。余力さえできれば……我が家が全て支えずとも、貴女が何とかするだろうし……それに、貴女の知識は将来、俺が我が家を継ぐときの投資とも言える。万が一のことが起きれば勿論手は借りるだろうし、そうではないにせよ、領地の管理の手を借りる相手として、貴女以上に心強い相手を俺は知らない。……どうだろうか、カロリーネ嬢」
フィリベルト様は席を立ち、私へと近づく。
そして私へと手を差し出す。
「俺と婚約してくれないか」
――まさか、あの出会いがこんな未来へ繋がるだなんて。
私は驚き半分で、目の前の光景を見つめる。
それから、美しい青色の瞳と目が合ったのをきっかけに……
私はその手を取るのだった。
「勿論、喜んで」
その言葉を聞いたフィリベルト様が笑みを深める。
「これから、よろしく頼むよ。カロリーネ」
「ええ。こちらこそ」
互いに短い挨拶をすると。フィリベルト様は私の手を引く。
「ではまず手始めに、我が家の庭園でも見に行こうか」
「え?」
「財に関する知識で提供できる物は少ないだろうが――それらの悩みを忘れる方法ならばいくらか心当たりがあってね」
「それは……大変、ありがたいですわ」
私は笑みを返しながら、フィリベルト様に腕を引かれていく。
彼の背中を見つめながら、鼓動が僅かに速くなるのを私は感じていた。
今まで感じた事のない、不思議な胸の高鳴り。
何故だかそれは、無視できずとも、心地よいものだったのだった。
そしてそれは――私達の関係が変わる未来を静かに示すものだったことを、この時の私はまだ知らなかった。
***
その後の話。
私の家はフィリベルトの家の支援をきっかけに財政状況を立て直すことに成功し、今では兄が安定した領地経営を担っている。
父は肩身が狭そうだが、少なくともこれまでの行いを反省しているようで……今後は厳しくなった母と家を継げる程に成長した兄の監視によって、同じ事が起こることもなさそうだ。
噂ではヨーゼフはガブリエラと結婚したそうだけれど、私が家族やフィリベルトと共に家の立て直しに奔走し、社交界へ舞い戻った頃にはその名前を聞く事も姿を聞く事もなくなっていた。
どうやら両親に甘やかされたガブリエラはヨーゼフの家の財を使い続け、最後には賭け事で借金まで背負ったとか。
ヨーゼフは家を継いですぐにこれまで続いた家の歴史を潰してしまう事となったらしい。
今、彼の家が持っていた領地は他の貴族が治めているのだとか。
ああ、なんだ。
やはりどんな人間であっても努力は必要だったのだ。
私はそう思った。
「だって人生は……何が起こるか分からないものなのだものね」
寝室のソファに腰を下ろし、私は大きくなったお腹を撫でる。
すると隣で甘えるように頭を預けていたフィリベルトが、同じ様に私のお腹を撫でながら笑う。
「俺や君が、こうして幸せな毎日を過ごしているように?」
意外な返しに私は瞬きをする。
フィリベルトを見れば、彼は目尻を下げて甘い視線を私へ向けていた。
そんな彼が愛おしくて、思わず笑みが零れる。
「ええ……その通りよ」
それから私達は互いに口づけを交わし、笑い合う。
こうして、いつしかの貧乏令嬢は幸せを勝ち取った。
私達の幸福な日々は――まだまだ始まったばかり。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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