必要なもの
メイたちは酒場へと戻ってきた。仕事の終わりを告げる夕陽が、窓から差し込む光となって木のテーブルを優しく染める。酒場の喧騒は、まるで生き物の鼓動のように脈打ち、仲間との談笑が日課となっていた。メイの胸に握られた紫の魔石は、ブドウ園での勝利と仲間たちの笑顔を映す鏡のようだった。彼女の獣の耳は、酒場のざわめきにそっと揺れ、ふさふさの尾は静かな喜びを刻むように小さく振れる。この場所は、奴隷市の日々を遠ざける聖域であり、メイの心に新たな根を下ろす土壌だった。
ソルベがカウンターから顔を上げ、温かな笑みを浮かべた。
「おかえり。皆、仕事の方はどうだった? 今日はブドウ園の護衛だったよね?」
古い暖炉の火のように穏やかな声が、皆の疲れた心を包み込む。
メイは少し緊張しながらも、尾をパタパタと振った。
「は、はい! みんなで上手くできました…!」
彼女の金色の瞳には、シャドウバードを追い払った達成感が輝き、仲間への信頼が小さな波となって心に広がる。
ソルベが笑みを深め、興味深そうに尋ねた。
「シャドウバードってのは、小さいし、素早いし、結構厄介な相手だろう? まぁ、俺からしたらダグラスが仕事をサボってないかの方が気になる。仕事はどんな感じだった?」
ダグラスが大声で叫んだ。
「うるせぇ! 俺は真面目にやってたっての! メイ、言ってやれ!」
彼の陽気な声は、酒場の空気を弾ける果実のように揺らし、皆の笑いを誘う。
メイは尾を力強く振り、必死に弁護した。
「あ、あの…! ダグラスさんは本当に頑張ってました! 私が証人です…!」
彼女の声は純粋で、清らかな小川が石を跳ねるように響く。ダグラスの陽気さが、彼女の心に温かな風を吹き込んでいた。
ソルベが嬉しそうに笑い、目を細めた。
「ハハハ、メイがそこまで言うならダグラスの事は信じてやるか。よし、ダグラス一杯奢ってやろう。」
ダグラスが拳を振り上げ、叫んだ。
「当然だ!」
ソルベはメイに優しい笑みを向けた。
「それに、メイと、ルミナと、ケントもお疲れ様。君達もジュース飲むかい?」
メイは嬉しそうに尾を振り、頬を赤らめた。
「は、はい! ありがとうございます…! みんなで一緒に飲めるの、幸せです…わんっ!」
彼女の声は、春の花が開くように弾け、酒場の温もりが心の奥まで染み入る。紫の魔石を握る手は、仲間との絆を確かに感じていた。
ソルベ、メイ、ルミナ、ケントの四人がテーブルを囲み、運ばれてきたジュースのグラスがカランと音を立てた。ソルベがグラスを手に、穏やかに言った。
「えっと…メイとルミナはこの街に来て四日目だったね。もう慣れてきたかな? 何か、困った事があったら相談に乗るよ? 大丈夫かい?」
ルミナが横目でメイをちらりと見つめた。その視線は、静かな湖面に映る月光のように優しく、メイをそっと励ます。
メイはルミナの視線を感じ、少し緊張しながら答えた。
「み、みんなが優しくしてくれるので…大丈夫です…!」
彼女の声は小さくとも、仲間への感謝が温かな波紋となって広がる。奴隷市での孤独を思い出すたび、この街の優しさが彼女の心を癒していた。
ソルベが頷き、視線を柔らかくした。
「うんうん。じゃあ、視点を変えての質問だ。この街にもっとこんな物があったら…みたいに思う物って何かあったりするかな?」
メイは少し考え、耳をピクッと動かした。
「えっと…図書館とか…あったら嬉しいです…」
彼女の声は小さく、風に揺れる草花のようだった。
「本を、読んでみたいので…」
彼女の金色の瞳には、知への憧れと、街へのささやかな希望が宿る。
ソルベが小さくため息をつき、背もたれに凭れた。
「はぁ…図書館ねぇ…わかる、わかる…やっぱり、そうか…ケント、お前も図書館欲しがってたよな?」
ケントが穏やかに答えた。
「そうっすね。なんだかんだで調べ物とかしたい時はありますからねぇ。」
彼の声は静かだが、どこか真剣さが滲む。
ソルベがルミナに目を向けた。
「…ルミナはどう思う?」
ルミナが落ち着いた声で応えた。
「そうですね。私も皆の為には必要かと。」
彼女の赤い瞳は、まるで深遠な星空のように、街の未来を見据えているようだった。
メイは皆が図書館を望んでいると知り、瞳を輝かせた。
「図書館…作れるんですか?」
彼女の声は、夜明けの光が雲を突き抜けるように、希望に満ちていた。
ソルベが大きく天を見上げ、背もたれに深く凭れかかった。
「金だよ、ちくしょう…最悪、場所なんてのは広場でもなんでもいいんだよ…本置くスペースさえあればそれでいい…ただ、その本を集める金が必要だろ…? やっぱり、皆、求めてるけど、なかなかねぇ…」
彼は頭を抱え、重い荷物を背負う旅人のように呻いた。
メイは小さな声で、しかし必死に提案した。
「あ、あの…! 私、お手伝いできます! 本を集めるの…」
彼女の尾がそっと揺れ、声には街への愛着と、仲間と共に何かを成し遂げたいという願いが宿っていた。図書館という言葉は、彼女の心に新たな灯火を点すようだった。
突然、酒場の扉が勢いよく開き、マークがソルベに向かって叫んだ。
「おい、ソルベ! 大変だ! リチャードがやらかしやがった!」
彼の声は、嵐の前触れのように酒場の空気を切り裂いた。