奴隷市からの解放
メイの耳は、埃と汗の匂いが立ち込める奴隷市の喧騒の中で、ピクリと震えた。鉄の檻に閉じ込められた彼女の身体は、薄汚れた布切れ一枚でかろうじて覆われている。獣人の少女、メイ。かつて森の村で自由に駆け回っていた彼女は、数年前、奴隷狩りの手に落ち、今はこの暗い市場の片隅で息を潜めていた。鋭い爪、ふさふさの尾、獣の耳――それらが、彼女を「商品」として異質な存在に仕立て上げていた。
市場はざわめきに満ちていた。商人たちの怒号、買い手の冷ややかな品定め、鎖の擦れる音。メイは膝を抱え、檻の隅で身を縮こませていた。視線を上げないよう、ただじっと耐える。それが彼女の生きる術だった。
だが、その日、異様な気配が彼女の毛を逆立てた。ゆっくりと顔を上げると、群衆の中から一人の男が近づいてくるのが見えた。黒い外套をまとい、顔の半分を布で覆ったその男は、周囲の喧騒とは別世界の静けさをまとっていた。目だけが、鋭く、まるで闇の底を覗くように光っている。メイの金色の瞳と、その男の視線が交錯した瞬間、彼女の心臓が締め付けられるように跳ねた。
メイは思わず後ずさり、背中が冷たい牢屋の壁にぶつかった。「えっ…!?」声にならない声が漏れ、彼女の尾が不安げに揺れる。怖い。男の視線は、まるで彼女の全てを見透かすようだった。
男が口を開いた。声は低く、どこか冷ややかな響きを帯びている。「獣人か……お前、基礎魔法は使えるか?」
メイの喉が震えた。言葉を返す前に、彼女の手が無意識に握り締められる。「火の基礎魔法なら少しは…」震える指先で、彼女は小さな炎を灯した。オレンジ色の光が一瞬、檻の中を照らすが、すぐに揺れて弱々しく消えそうになる。「でも、怖くて上手く使えないんです…」彼女の声はか細く、恐怖に裏打ちされていた。
男の目がわずかに細められる。「火だけじゃなくて、水・風・土・光・闇……全て使えるか?基礎レベルでいい。」その声には、どこか試すような響きがあった。
メイの耳がピクピクと動いた。彼女は必死に記憶をたどり、答えを絞り出す。「火と光は…少しできます。でも水と風と土は怖くて…」彼女の爪が、緊張で床に食い込む。ガリガリと小さな音が響く。「闇は、なんだか懐かしい気がします…」なぜかその言葉だけが、彼女の口から自然にこぼれた。
男の口元に、意味深な笑みが浮かんだ。「風と土が苦手なのか、なるほど……確かに苦手なのもわかるな。」その笑みは、どこか底知れぬものを感じさせた。メイの背筋に冷たいものが走る。
「う、うぅ…」メイは無意識に爪を立て、喉の奥で小さな唸り声を上げた。尾が縮こまり、彼女の瞳は怯えで揺れる。「その笑顔、怖いです…私に何をするつもりなんですか…?」
男は一瞬黙り、彼女をじっと見つめた後、ふっと笑う。「面白いよ、コイツでいい。」彼は振り返り、近くに立つ商人に視線を移した。「商人よ、コイツを買いたい。いくらだ?」
商人と男の間で、素早く取引の話が始まった。金貨の音、書類の擦れる音。メイの心臓は早鐘のように鳴り響く。「や、やめてください…!」彼女は耳を倒し、必死に首を振った。声は涙に濡れている。「私を…私をどうするつもりなんですか…?」
男は再び彼女に目を向けた。その視線は、まるで彼女の魂を貫くようだった。
「悪いようにはしねぇって……言う事聞かねぇなら殺すまでだ……さぁ、ついて来い。俺はお前の主だ……」
メイの身体が震えた。ゆっくりと立ち上がり、彼女はか細い声で呟く。「くぅ…ん…お願いです、痛いことは…しないで…」彼女の金色の瞳には、恐怖と、かすかな諦めが宿っていた。