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君を愛する権利がほしいと言う彼は他の誰かを愛している(に違いないと思われている)

作者: 葉月くらら

「私は浮気は咎めません。私の正妻としての立場を守っていただければ、心も身体もどちらもご自由にどうぞ」

「は?」



 夜も更けた時間帯。

 寝台の横にあるランプがぼんやりと少々大きすぎるベッドで向かい合っている二人を照らしていた。

 赤毛に若葉色の瞳をした青年はぽかんとした顔をして、花嫁である女性を見つめている。栗色のくせっけを背中に降ろしたまだ少々あどけなさの残る花嫁、オリヴィアはしごくさっぱりとした顔で言うのだ。


「貴族同士の結婚がどういうものかは、私も理解しておりますわ。カイル様」


 二人は今日、神の前で誓いを立てて夫婦になった。

 そしてこれからいよいよ初夜、という段階になってオリヴィアがロマンチックな雰囲気には似つかわしくない話を始めたのだ。

 夫となったカイルは困惑していた。そりゃあ、する。


「待ってくれ、オリヴィア。それはどういう意味だ?」

「これから真に夫婦になるにあたって私のスタンスはお伝えしておこうかと思ったのです。結婚は契約。カイル様には我がバートン伯爵家から援助する代わりに穀物や家畜を他領より安価に融通していただくことになりました。そのための私達の結婚です」

「……それは確かにそうだが、浮気をしていいというのはどういうことだ。俺が気に入らないのか?」

「いいえ、カイル様はいい人だと思います。ですが、貴族の夫婦というのは上辺だけのものでしょう?」


 しごく真面目な様子でオリヴィアが告げる。その言葉に一切の嘘はないようだった。だからこそ、事態は深刻だとカイルには思えた。


「君は俺と上辺だけの夫婦になるつもりなのか」

「もちろん妻としての義務は果たしますし家族としてカイル様をお支えします」

「……それが契約だから?」

「そうです」


 まったく眩暈がしそうな会話だった。

 幸せな結婚式から一転、どうやら花嫁であるオリヴィアとは結婚や夫婦の解釈に重大な齟齬があるらしい。


「俺は君を愛する権利が欲しい。そうプロポーズしたはずだが」


 あんな恥ずかしい言葉を吐くことはもう生涯無いと思っていたのに自分で確認のためにまた言う羽目になるとは。それは三ヶ月ほど前、彼女に結婚の申し込みをした時の言葉だった。

 どこか素朴で愛らしい大きな瞳を瞬いてオリヴィアが首を傾げた。


「はい、そうおっしゃいました。でも、燃え上がる愛は一時のものですから」


 どこか達観したように彼女は苦笑する。

 今度こそカイルは絶望で倒れそうだった。




 二人に結婚の話が持ち上がったのは一年ほど前のことだった。

 広大な農地を持つブランシュ伯爵家の長男であるカイルは、その少し前に父を急な病で亡くしていた。作物の良く育つ国の食糧庫と言われるような土地だったが、ここ数年は災害に襲われることが多く収穫量が激減していた。そのため他領や国に借金もあり慣れない領地経営にカイルは苦労していた。

 そんな時に隣領のバートン伯爵から娘のオリヴィアとの縁談を持ち掛けられたのだ。バートン伯爵領は商売や工業で成り立っている。その反面、農地は少なく作物は他領から買い付けることが多いらしい。

 そのためオリヴィアと結婚することでバートン伯爵家がブランシュ家に多額の援助をし、その代わりに作物や家畜を他領より安く提供する。そういう約束をともなった結婚だった。

 つまりは政略結婚なわけだ。



(珍しくもないことではあるが)


 カイルは一人、夜の庭で煙草をふかしていた。

 とりあえず初夜は一旦ストップとなり、冷静になるため一人になったのだ。

 初めてオリヴィアと出会った日のことを思い返す。彼女は庭園で侍女達と一緒に花の世話をしていた。一つに高い位置でまとめた栗色の髪が風に揺れて、青空のような瞳がきらきらと輝いていた。特別美人というわけではなかったが、かざらない笑顔が可愛らしい人だとカイルは一目で彼女を好きになったのだった。

 カイルは口下手な男だった、

 特に女性相手にはそうだ。それでも必死に彼なりに拙い言葉で彼女への好意を伝えてきたつもりだ。

 まずは名前を呼んでいいか許可をもらい、プレゼントを贈り、花を贈り、書くのに三日もかかった愛を綴った手紙も送った。デートも何度かした。

 そのたび彼女は「ありがとうございます。嬉しいです」と微笑んだ。

 そしてとんとん拍子に結婚まで進んだけれど、今思い返してみると、オリヴィアが、あのカイルが一目惚れした飾らない笑顔を見せてくれたことは一度もなかったように思う。

 いつも行儀よく上品な令嬢としての作られた微笑みをオリヴィアはしていた。


(浮気をしていいだなんて、彼女は俺を愛していないのだろうか? ……いや、そもそもの結婚観がいくらなんでも偏りすぎではないか? どうしてあんな寂しいことを言うんだ彼女は)


 貴族の結婚は政略結婚――。

 確かにそれはそうだし、カイルの両親だってそうだった。だからと言って亡くなった両親はとても仲陸奥まじかったし、けして浮気を容認なんてしていなかったと思う。

 世の中には仮面夫婦という者達がいるらしいとは聞いてはいたが、まさか自分たちがそうなるのだろうか?

 結婚第一日目だというのに恐ろしい予感にカイルはゾッとした。


(い、いや駄目だ。それは駄目だ。……とにかく。彼女の気持ちをもっと、ちゃんと確かめなくては)


 初夜はそれからでもいい。

 まずはちゃんと心が繋がれなければ意味がないとカイルは決意した。

 まずはオリヴィアの心を開こうと。



「おはようございます、カイル様。昨夜は私が何か失礼なことをしてしまったようで、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした」


 翌朝、食堂はさすがに微妙な空気だった。

 それは当然だろう。初夜が途中解散になったのだから。給仕をしている執事やメイド達は我関せずという表情を装って入るが、実際は気が気ではないだろう。

 そして食堂に入って来たオリヴィアが頭を下げたのを見て、カイルは首を横に振った。


「……いや、こちらも急に出て行って悪かった。君の立場も考えずに、その」


 そこでちらりと執事とメイドに視線を送ると、心得たとばかりに退室し、食堂は二人きりになる。オリヴィアへ着席を促し、カイルは口を開いた。


「俺と君はずいぶんと結婚に対する考えが違っていたのだなと、驚いてしまったんだ。こんなことは、もっと早くに話し合うべきだった」

「その……私は何か間違ったことを言ったのでしょうか? ご不快な思いをさせたことはわかるのですが、原因が私にはわからなくて」


 部屋に入って来た時の謝罪でそうだろうなとカイルは思っていた。

 オリヴィアは昨夜の会話の何がいけなかったのかが、わかっていないのだ。オリヴィアの青空のような澄んだ瞳が曇っている。

 どうしたらいいのだろう、とカイルは思った。


「俺は、夫婦どちらも浮気していいとは思わない。結婚するのならば上辺だけの関係ではなく心からちゃんと……その、あ、愛し合う夫婦となりたい」


 セリフが恥ずかしすぎてちょっと噛んでしまった。

 俯いていたオリヴィアが顔を上げ、大きな丸い目をさらに見開く。


「……それは、おとぎ話の中だけの話しではないのでしょうか?」

「え……」

「私の両親はどちらも外に恋人がいましたし、祖父もたくさんの愛人を囲っていました。表向きは良い両親、良い祖父母でしたけど。ちなみに兄にも愛人がいます。昨年結婚した友人の旦那様にも平民の愛人が。だからもう、そういうものなのかと」

「……そ、それは、なんと」


 あのおしどり夫婦にしか見えないオリヴィアの両親の真実の姿にカイルは何も言えなくなる。少なくともカイルの両親は愛人がいなかったし、友人達にもそんな不誠実な奴はいない、と思う。

 まるで違う世界をオリヴィアは生きてきたのだ。

 だから彼女は結婚をこんなにも冷めた視点で見ているのだ。


「結婚は家と家との契約。恋や愛とは別物です。実家ではそのため、外で恋人を作ることを容認していました」

「ええ……」


 平然と愛らしい顔でそう語るオリヴィア。生まれた時からそんな環境にいた彼女は、そのことに疑問を何も持っていないのだ。


「だから、カイル様も私にたくさんのプレゼントやお手紙をくださったり、デートに連れ出してくれたのではありませんか?」

「……は?」


 ことりと首をかしげてオリヴィアが残酷なことを言う。悲しいことにカイルが勇気を振り絞ってオリヴィアに好きになってもらいたいとアピールしたことはすべて打算の上に成り立っていたのだと彼女に思われていた。

 思わず怒りで立ち上がろうとしたカイルだったが、オリヴィアの言葉に動きを止めた。


「とても嬉しかったですけど、かえって申し訳なかったです。私なんかのためにそこまでしていただくのは。貴族の娘など嫁ぐくらいしか役に立たないのですし」

「……オリヴィア」

「はい?」


 フゥー……、と一度息を吐いてカイルは顔を上げた。


「確かにきっかけは政略結婚だったが、俺は君と本当の夫婦になりたいと思う」

「それは一体……」

「俺のことをちゃんと好きになってもらいたい」


 オリヴィアは戸惑った顔をする。

 今はそれでいいとカイルは思っていた。

 オリヴィアが結婚に夢を見れないのも、自分を卑下するのも今までの環境のせいなのだろう。私なんか、などと思ってしまうくらいに彼女の心は閉じてしまっているのだ。どうしてもっと早く気づけなかったのだろうとカイルは己に怒りが沸いた。


「俺は、絶対浮気はしないし、君だけを生涯愛する」

「カイル様……」


 だからいつかオリヴィアにも同じ気持ちになってほしいと思った。

 そして、こんなクサいセリフは生涯言わないだろうと思っていたセリフばかり連発しているこの二日間で、羞恥心もだいぶ消えてきたなあとカイルは遠い目をした。



「まあ、この花壇を使っていいのですか?」

「必要ならもっと広げても大丈夫だ」

「ありがとうございます、カイル様」


 嫁いでくるにあたって何か欲しいものはないかとオリヴィアに聞いた時、唯一の望みは庭仕事がしたいということたった。そのため二階にある彼女の部屋からよく見える日当たりの良い場所に花壇を作らせたのだ。

 植物を育てることはオリヴィアの趣味なのだ。

 さっそく何を植えようかと侍女達と相談しているオリヴィアはとても嬉しそうだ。

 これは本当に喜んでいるのだなと、カイルは内心ほっとする。


「オリヴィア、もしよければ俺も何か植えていいか」

「カイル様が? ええ、もちろんです」

「それじゃ、最初の記念に何か植えようか」


 相談した結果、二人で植えたのはブルーベリーの苗木だった。

 カイルがせっかくなら食べ物が良いなと言ったからである。

 オリヴィアにはクスクスと笑われてしまったが、彼女の笑顔が見られたからいいやと思った。



「すまないな、新婚旅行もできなくて……」

「問題ありませんわ。なにより、今は忙しい次期なのは私もわかってますもの。それなのにこんな連れ出していただいただけでありがたいです」


 結婚式から一ヶ月後、二人はひさしぶりの休日を利用して近くの港町まで来ていた。

 本当ならばどこか海外や王都などきらびやかなところへ新婚旅行へ行くのが貴族なのだが、なにしろカイルはまだ若く不慣れな領主だった。父親が急な病で亡くなってしまったため引継ぎもろくにできないまま領主になったので、旅行などする余裕はない。

 だからせめて少ない休日は、オリヴィアと共に過ごすようにしていた。


「何か食べたいものはあるか? 見たいものは」

「それなら海を見に行きたいです」


 薄ピンク色のワンピースにつばの広い麦わら帽子をかぶったオリヴィアはとても可愛い。しかしそれを一目見た瞬間、可愛すぎてカイルは言葉が詰まってしまった。どうにかその気持ちを伝えたいと思うのに、口はモゴモゴするばかりだ。


「カイル様、どうかされたのですか?」

「い、いや! その……」

「わあーっ、あのお姉ちゃんとってもかわいいね」

「あら、ありがとう」


 通りすがりの親子連れの子供に先を越された。

 にこっと微笑んでオリヴィアが手を振っている。

 むむむ……と大人げなく子供を睨みそうになったところで、オリヴィアがこちらを向いたのでさっとカイルは視線をそらした。


「ふふ、子供にほめられちゃいました」

「そ、そうだな。き、きょうの君は、かっかわいい、からな」

「え」


 青空のような瞳を丸くしてぽかんと立ち尽くすオリヴィアの手を取ってカイルは早足で歩きだした。

 理由は特にない。

 なんか恥ずかしかったからだ。

 そのまま二人で海まで行って、海と船を見て、屋台で買った食事を食べてその日は帰った。

 その間カイルは何を話したかをあまり覚えていないのだった。



「緊張しているのですか?」

「多少はな。あまりこういう場は慣れなくて」

「似合っておりますよ」

「そうか?」


 慣れない燕尾服にカイルはぎこちなくエスコートするオリヴィアを見下ろした。

 似合ってますよという彼女こそ、とても素敵だ。結婚してから新しく仕立てたという若葉色のドレスにきちんと結い上げた髪はぐっと彼女を大人っぽく見せていた。

 今夜は彼女の父であるバートン伯爵が主催する夜会に出席していた。

 カイルは娘婿として、彼女の父の取引先に挨拶をするのが役目だ。

 なによりここで縁を作っておけばブランシュ領の領地経営にも役に立つ。


「これはカイル殿! 今日はよく来てくれた。娘とはつつがなくやってくれているかね?」

「ええ、はい。今日はお招きいただきありがとうございます」

「お父様、お母様、お久しぶりでございます」


 栗色の髪に白髪が混じる壮年の男性……バートン伯爵と隣の夫人が上機嫌で振り返る。カイルは色々と、本当に色々と言いたいことはあったが、短い挨拶にとどめた。

 隣でオリヴィアが立派な淑女の礼を見せる。


「オリヴィア、今日はカイル殿とゆっくりしていくがいい。ブランシュ夫人として立派にやっているようで安心したぞ」

「ええそうね。オリヴィア、あとで色々お話を聞かせて頂戴ね。ねえ、あなた」

「ははは、そうだなあ」

「は、はあ……」


 オリヴィアの方もあいまいに微笑んでいる。

 実は初夜もまだなんてここで言えるわけがない。

 それにしてもこの仲睦まじそうな二人が、それぞれ別の恋人を持っているとは。何も知らない頃のカイルは、とても仲が良さそうな素晴らしいご夫婦だと思っていたのだが。

 とりあえず今日は役割に徹しようと、カイルは心を無にすることにした。


「あれ、オリヴィア? オリヴィアじゃないか!」

「……アレン?」


 バートン伯爵夫妻への挨拶が終わったところで、一人の青年が声をかけていた。近づいてきた黒髪の青年はオリヴィアと知り合いのようだ。


「やっぱり今日は来ていたんだね。ひさしぶり、オリヴィア。ああ、そちらは……」

「夫のブランシュ伯爵よ。カイル様、こちらは幼馴染のアレン・ブランソン様です。ブランソン商会のご子息で」

「ああ、ブランソン商会を経営されている……。初めまして、オリヴィアの夫のカイル・ブランシュです。どうぞよろしく」


 ブランソン商会はこの国でも手広く商売をして国中に支店のある大商会だ。特にバートン伯爵領には本店があり、懇意にしているという。カイルもオリヴィアと結婚するにあたり、婚礼衣装等を買い付けた記憶があった。

 精悍な笑顔で差し出されたアレンの手をカイルも爽やかな笑顔で握り返す。


「初めまして、お会いできて嬉しいです。彼女とは子供の頃からの付き合いでして」

「そうだったのですか」


 実は一時期アレンとオリヴィアが婚約するのでは、という噂が過去にあった。風の噂で聞こえてきたことだし、その時はオリヴィアと出会う前だったので聞き流していたことをカイルは急に思い出していた。

 アレンが紫の情熱的な瞳でオリヴィアを見つめる。


「それにしても、少し見ないうちに立派なレディになったなあ。見違えたよ」

「まあ、アレンはいつもそんなことばっかり」


 そんなことばっかり言っているのか。

 思わずピクリと頬が引きつりそうになるのを我慢してカイルは微笑みで耐えた。人の妻を前にしてずいぶんとギラギラした視線を送ってくるじゃないか。

 咄嗟にカイルはオリヴィアの肩を抱いた。


「それでは、他の方への挨拶がまだですので」

「あ、はい。旦那様、すみません」

「ええ、ではまた」



 あっさりとアレンは離れて行った。

 その後は他の招待客への挨拶周りを終えて、カイルは早めにオリヴィアと夜会を抜け出した。

 まだ帰るには少し早い時間だ。

 会場を離れて、人気のない薄暗い廊下でカイルは足を止めた。オリヴィアが戸惑ってカイルを見上げる。


「カイル様……?」

「オリヴィア……、アレンから渡されたものを見せてくれ」

「え……」


 組んでいた彼女の腕をほどいてその細い手首を掴むと、彼女の手のひらに小さく畳まれた紙片があった。

 アレンは別れ際にそっとオリヴィアにこれを渡していたのだ。

 オリヴィアは特に抵抗する様子もなく、その紙をカイルに渡した。


『二時間後にバルコニーで』


 ぐしゃりとカイルが紙を握りつぶす。


「あいつ……!」

「なんと書いてあったのですか? 一応渡されたので持ってはいたのですが、ずっと挨拶周りでしたので見てる暇がなくて」

「……き、君は知らなくていい」

「私への手紙なのに、ですか?」


 夫であるカイルの目の前で、よくもまあこんなことができたものだ。

 内容はわからずともこんな手紙を持たされて平然としているオリヴィアにも少し腹が立った。

 だから、つい彼女の両肩を掴んでしまった。華奢な彼女の身体は簡単に押されて近くの壁に背がついてしまう。


「彼は、君と逢引きがしたいらしい。それを知ったら、君は行くのか? 結婚と恋愛は別だから」

「行きません。そんなの疲れますので」

「……え」


 きょとんとした顔でこちらを見上げるオリヴィアはため息をついた。


「ご不快な思いをさせて申し訳ありません。昔からアレンは私を気に入っているみたいでしつこいのです。私はそんな気はまったくないのですが」

「そ、そうなのか……」

「それに私は浮気なんて疲れることしたくありません。結婚相手がいるのに別の人と恋愛するほど時間も気力もありません」


 それをやっているのがオリヴィアの両親だったり兄だったりするのだが。

 冷めた目でオリヴィアは呟いた。


「そういうのはもう周囲でたくさん見たのでお腹いっぱいなのです」

「オリヴィア……」


 オリヴィアはそっとカイルの手を握った。


「帰りましょう、カイル様」

「……ああ、そうだな」


 カイルはオリヴィアに手を引かれてとぼとぼと歩き出した。

 頭が少しずつ冷静になっていく。


「オリヴィア」

「なんでしょう? カイル様」

「その、すまなかった」


 いくらアレンに苛立っていたからといって、オリヴィアにとても失礼な態度をとってしまった。

 彼女を愛すると誓ったのに、いや、誓っているからこそ冷静ではいられなくなった。

 情けない、とうなだれているとオリヴィアの足が止まった。

 顔を上げると、彼女がこちらを振り向いていた。


「どうしてカイル様が謝るのですか?」

「それは……君を信じ切れなかったからだ。アレンに嫉妬して八つ当たりした」

「信じられないのは当然です。浮気を容認するような妻なのですから」

「でも俺は君を生涯愛すると誓ったんだ。だったらあんなことをするべきじゃなかった」


 嫉妬に駆られて彼女に怒りを向けるなんて、恥ずべきことだ。

 じっとこちらを見つめていたオリヴィアの瞳は暗い場所で見ると、美しい夜空のようだ。なぜか彼女がふっと笑ったような気がした。


「カイル様、ところで今日のドレスはどうですか?」

「え? ああ、その、とても似合うと思うが」


 急にどうしたというのだろう。

 ぽかんとした顔で正直な感想を告げる。素朴で可愛らしい雰囲気のオリヴィアに若草色のドレスはよく似合っていた。


「このドレスは、カイル様の瞳と同じ色なんですよ」

「え……」


 社交界では、パートナーの瞳や髪の色と同じドレスや装飾を身に着けることがある。

 つまりは、オリヴィアもそれを意識してくれたということで。

 彼女から言われるまでまったくそのことに考えが及ばなかったカイルはただ真っ赤になってオリヴィアと馬車に乗ったのだった。



 それから瞬く間に日々は過ぎ、二人が結婚式を挙げてから半年が経とうとしていた。

 オリヴィアが花壇の前で難しそうな顔をしている。

 それを執務室から見かけたカイルは、気分転換と言い訳しながら庭に出て行った。


「オリヴィア、どうかしたのか?」

「カイル様。ブルーベリーの苗木の成長があまりよくなくて」

「そうなのか?」


 結婚式の翌日に二人で植えたブルーベリーの苗木はカイルの腰ほどの高さになっていたが、まだ葉も少なく実もできていないようだ。

 オリヴィアの花壇はこの半年ほどでたくさんの花々やハーブなどであふれていたが、ブルーベリーの場所だけはまだちょっと寂しかった。


「もう少し葉が生い茂ってもいいと思うのですが」

「肥料を変えてみてはどうだ?」

「そうですねえ」


 半年も経つと、なんとなく会話も気安くなってくる。

 いまだに初夜は済んでいないのだが。

 とにかく今はオリヴィアから信頼してもらおうとカイルは思っていた。


「何年先になるかはわかりませんけど」

「うん?」

「ブルーベリーの実ができるようになったら、収穫してタルトにしたいのです」

「それはいいなあ、あとジャムもほしい」

「いいですね。そうしたらパンも焼かなくちゃいけませんね」


 カイル様は食いしん坊ですからね、とオリヴィアが笑う。

 その微笑みは初めてカイルが出会った時のオリヴィアの飾らないものだ。ようやく最近、彼女がその笑顔を見せてくれるようになってカイルはとても嬉しかった。

 単に一緒に暮らし始めてカイルに慣れたのか、それとも心を開いてくれたのかはわからないけれど。

 特別なことはないけれど、こんな穏やかな日々がカイルはとても愛おしい。

 オリヴィアも一緒の気持ちだったらいいなとカイルは思った。



 そんなある日、領地の農地開拓の件で一人の女性がやって来た。


「フレデリカ・フェルトンです。よろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしく頼む。カイル・ブランシェだ」


 フレデリカは利発そうな女性だった。長いブラウンの髪を一つにまとめた美人で、ドレスではなく男物の服を着ている。

 彼女は農地開拓を担当する周辺の町の町長の娘で、領主であるカイルと領民たちとの橋渡しをする秘書のような仕事をしていた。


「……ここにはもう少し人数が必要でしょう。あと農地を開拓するにあたっての器具が足りなくて」

「なるほど、ではこちらから融通しよう。どれほど必要だ?」

「そうですね……」


 この新しい農地の開拓はブランシュ領の今後にもかかわる大事な事業だった。農地を増やして生産量を上げれば、天候などで一時的に収穫が減るような事態も耐えられるようになる。

 そのためカイルは忙しく働いていた。

 現場へよく顔も出し、周辺の住民達とも交流し、他の領地の貴族達への根回しなどもある。おかげで最近はなかなか屋敷へ帰れない日も多かった。

 屋敷へ帰ればフレデリカがやって来て、また打ち合わせだ。


「ブランシュ卿、こちらの書類なのですが」

「ああ、ちょっと待ってくれ」


 さて、と目を通そうとしたところでふと窓の外にブルーベリーの木が見えた。少し前より大きくなっただろうか。葉が増えたような気がする。


(オリヴィア……最近はなかなか話せていないな)


 同じ屋敷に住んでいるというのに、最近は顔を合わせていない。ブルーベリーの木を見ていると、ふと栗色の頭が見えた。

 オリヴィアが侍女たちと花壇の世話をしているようだった。


「あ、そうでした、ブランシュ卿。実は今日、奥様からこちらをいただきました。ありがとうございます」

「ああ、手作りのクッキーか。オリヴィアがそんなことを……」


 フレデリカが取り出したのは可愛らしくラッピングされたクッキーの袋だった。

 オリヴィアは菓子作りが得意だ。きっとカイルがいない間に作ってくれたのだろう。時々執務室に届けられていることもある菓子をカイルは楽しみにしていた。


「君にはいつも助けられているからな。妻も感謝してくれているのだろう」

「……可愛らしい奥様ですね」

「?」


 ふふ、とフレデリカが笑う。

 確かにオリヴィアは可愛らしいが。

 意図するところがわからず、ぱちぱちと瞬いていると耐えきれずにフレデリカが笑う。


「奥様は、私に釘を刺したのですよ。最近、私が仕事とはいえブランシュ卿とずっと一緒なのでご心配になったのでしょう。安心させてあげてください」

「ええ!?」


 まったく予想していなかった答えにカイルは思わず素で驚いた。

 カイルはどうもオリヴィアからの好意に自信が持てない。

 結婚式当日に『結婚は家と家との契約。夫婦は上辺だけの関係』と言われてしまったのだから、仕方のない部分でもある。

 もちろんこの半年で、オリヴィアが少しずつカイルに心を許してくれているのも感じていたが。


「奥様からは『夫が大変お世話になっております。仕事での夫はどのような感じなのでしょうか? どんなお話をされているのですか?』と根掘り葉掘り聞かれましたよ。私はちゃんと自分には婚約者がいますのでと言っておきましたけど」

「それでオリヴィアが納得するかどうかは微妙だな……」


 なにしろ浮気上等な家族の中で育ったオリヴィアだ。婚約者がいようと恋愛と結婚は別なので浮気する可能性はあると思っていそうだ。フレデリカには大変失礼な話だが。


「オリヴィアが嫉妬……そんなことがあるのか……?」

「ご夫婦ですから普通のあるのでは?」


 事情を知らないフレデリカは怪訝な顔をしているが、カイルにとっては奇跡のような話だ。

 とにかくオリヴィアを不安にしておくわけにはいかない、とその日は早めに仕事を切り上げることにしたのだった。



「オリヴィア、最近何か変わったことはあるか?」

「いいえ? いたって平穏な日々です。カイル様がお忙しすぎるので、お身体が心配ですが」


 その日の晩、久しぶりに夕食を共にしたカイルはそわそわと正面に座るオリヴィアの様子を伺った。

 最近新しく花壇に植えた花の話や、新しく挑戦したお菓子のレシピの話。屋敷の侍女達と一緒に刺繍を始めた話。それに夜会で知り合った貴族の婦人達のお茶会に招かれた話など、どれも他愛もない、とても平和な話ばかりだ。

 そんなオリヴィアの話しを聞くのも心癒されて楽しいのだが、聞きだしたいのはフレデリカのことだ。


「その、フレデリカ・フェルトン殿にも菓子を送ったと聞いたんだが」

「ええ、カイル様がお世話になっていますので」


 その表情には嫉妬なんてまったく見えない。

 きゅるんとした大きな瞳でオリヴィアは喜んでもらえましたでしょうか? なんてのんきに言っているのを聞いて、カイルは内心脱力した。

 これはフレデリカが考えすぎだったのだろう。

 そして少しだけ残念に感じている自分にカイルはため息をついた。

 ――嫉妬してもらえたら嬉しい、なんてあまりにも大人げない。

 彼女が不安を感じていないのなら、それが一番じゃないか。

 そう考えて無理やり自分を納得させた。



 その日の晩、カイルは雨が風で窓に打ち付けられる音で目を覚ました。


「……しまった、眠ってしまっていたか」


 夜半まで執務室で仕事をしていたカイルは、そのまま机に突っ伏して眠っていたらしい。

 窓は風でカタカタと揺れて、ザァザァと雨が打ち付けてくる。いつの間にか降り出した雨はまるで嵐のようだった。

 外の様子を見ようと窓に近づくと、花壇の方に誰かが走っていくのが見えた。

 雨除けの外套から栗色の長い髪がひと房、零れ落ちている。


「……オリヴィア!?」


 時刻はすでに真夜中だ。

 屋敷の人々はほとんどが寝静まっている。どうしてこんな時間にオリヴィアが一人で庭に出て行くのだろう。

 慌ててカイルも外に飛び出した。


「オリヴィア!」

「……カイル様!?」


 外に出ると風が思った以上に強い。

 花壇の花はすでに風で大部分が散ってしまっていた。オリヴィアは今にも風で折れそうなブルーベリーの木に支柱を立て保護用のシートをかけようとしていた。

 強い風に吹かれてバランスを崩したオリヴィアをカイルが支える。


「こんな時に一体何を……」

「雨の音で目を覚ましたら外がこんな有様でしたので。このままだとブルーベリーの木が折れてしまうと思ったので」

「それなら誰かを呼べばよかっただろう。こんなに濡れて」

「すみません。ブルーベリーの木が嵐で折れそうになっている姿を見たら、いてもたってもいられなくて」


 仕方ない、とカイルがオリヴィアの手から支柱を取ると手早く木に沿わせて立てて固定した。それから二人で風よけのシートを設置する。

 終わる頃には二人ともずぶ濡れだった。


「お、奥様! 旦那様! すぐにお湯とタオルの準備を!」

「すまない、オリヴィアを先に頼む」


 屋敷に戻ると、二人の様子に気がついた使用人が慌てて二人にタオルを渡してくれた。

 これではすぐにでも温まらないと風邪をひいてしまうだろう。


「カイル様、申し訳ありません……。ご迷惑を」

「……迷惑ではない。だがあまり心配させないでくれ」

「ごめんなさい。でも、嫌だったんです。どうしても、あのブルーベリーが折れてしまうのは」


 そんなに嫌だったのか、とカイルは意外に思った。

 基本的にオリヴィアはあっさりしている。何事にもそこまで執着しない。だから彼女がたった一本のブルーベリーの木にこだわる理由がわからなかった。


「また植えるのでは駄目なのか?」

「駄目です。だってあれは、カイル様と二人で一緒に植えた、ブルーベリーですから」

「奥様、湯あみの準備が整いましたよ」


 カイルが何か口を開く前に、オリヴィアは侍女によりさっさと浴場へ連れて行かれてしまったのだった。



 結局翌日、オリヴィアは見事に熱を出した。

 申し訳ありませんと、真っ赤な顔でしょんぼりと落ち込んだ様子の彼女の額にカイルは絞ったタオルを乗せた。


「気にするな。きっと疲れが出たんだろう。まだこちらに来て半年ほどだしな」

「……カイル、様は……」

「俺はこの通り元気だ」

「よかったです。私のせいでお風邪を召されたらと思ったら……」

「そんなに軟弱ではない」


 フン、とカイルは胸を張って答えて汗で張り付いたオリヴィアの前髪を指ではらう。


「その、昨日の話しなんだが」

「はい」

「ブルーベリーの木を守りたかった理由だ」


 なんと聞けばいいか、カイルは昨夜からずっとぐるぐると考えていた。

 あれは本当にただの気まぐれだった。オリヴィアと、一緒に何かしたいなと思ったのだ。だから二人で相談してブルーベリーを植えた。

 それだけのことだったのだ。

 まさかそれをオリヴィアがそんなに大切に思ってくれていたなんて。

 それは『上辺だけの夫婦』がすることだろうか?


「二人で植えたものがそんなに大切だったのか?」

「……それ、は」


 元々熱で赤かったオリヴィアの顔がさらに赤くなる。

 じっと至近距離で見つめれば、彼女はがばりを布団を頭からかぶってしまった。


「風邪がうつりますので」

「あ、こら! 逃げるな! ちゃんと答えてくれ!」

「た、大切なのは、記念ですから。最初に二人で植えたものですし……」


 くるまった布団の中からモゴモゴと声が聞こえる。さらにコンコンと小さな咳が聞こえてきた。

 これ以上追及するのは、風邪の身にはかわいそうだろうとカイルはため息をついた。

 ぽん、とオリヴィアの布団に手を置く。


「オリヴィア、風邪が治ったらじっくりと話しをしよう」

「は……ぃ」


 いつもあっさりとしているオリヴィアでは考えられないほど、自信なさげなか細い返事が聞こえてきた。



 ところがオリヴィアは風邪がすっかり良くなると、とんでもない行動に出た。


「離縁してくださいませ」

「…………」


 農地開拓の仕事もひと段落し、久しぶりにゆっくりと過ごせる休日。オリヴィアの部屋に呼び出されたカイルの前に、離婚届が突き付けられた。

 なんだこれ。


「り、理由を聞いても?」

「私がカイル様との結婚生活を送っていく自信がなくなりました。父には私からこれ以降も今までどおり援助を続けるようお願いしますので……」

「いやだ」


 カイルは目の前の離婚届を真っ二つに破り捨てた。

 あっとオリヴィアが目を丸くする。


「俺は君と離婚するつもりはない。これからも君だけを愛するつもりだ」

「そ、そんなこと、言われても……。この先、別に好きな人ができたらどうするんですか? フレデリカ様とか……」

「そんな相手は現れないし、フレデリカは仕事上の関係でしかない」

「先のことはわからないです」


 オリヴィアの瞳は不安で揺れていた。

 平気な顔をしていたが、本当はフレデリカのこともずっと気にしていたのだろう。

 結婚式当日のあの夜、彼女の考えていることがさっぱりわからなかった。けれど今は手に取るようにわかる。今は彼女もカイルと同じように恋をしているからだ。

 カイルはオリヴィアの隣に座って彼女の両手を握った。


「君は人を愛するのが怖いんだろう? どうせ愛したって裏切られると思っているんだろう」

「……ええ、そうです。だって、皆そうでしたもの」


 オリヴィアが苦しげに顔をゆがめて涙を零した。


「お母様は、最初お父様に愛人がいるとわかったとき、とても苦しんで泣いていました。そしてお父様が愛人と別れる気がないと知ると、自分も外に愛人を作りました。兄の奥様だってそう。いつも辛そうで……。友人も」

「家族や友人のそんな様子、見るのはとても辛かったんだろう」


 そういうものだ、と納得しないと心が保てなかったのだろう。

 浮気なんて当たり前。貴族の結婚はただの契約。夫婦は上辺だけのもの。そう思い込んでオリヴィアは自分の心を守ってきたのだ。


「私は、本当に好きな人にそんな裏切りをされたら耐えられません。だから、離縁してください」

「……ああもう! オリヴィア、君は本当に可愛いな!」

「へ?」


 たまらなくなってカイルはオリヴィアを抱きしめた。

 本当に好きな人、だなんて言われたら、それは天にも昇る心地だ。

 オリヴィアの言葉は、愛の告白でしかない。

 

「オリヴィア、お願いだ。勇気を出してくれ。俺は絶対に君以外を好きになることなんてない」

「カイル様……」


 カイルはオリヴィアから一度離れて跪いた。

 そっと彼女の細い手を取る。


「俺に君を、君だけを愛する権利をくれないか?」


 はっとオリヴィアが青空のような瞳を見張ってカイルを見つめる。その瞳からポロポロと雫がいくつかこぼれた頃、ゆっくりと彼女は頷いた。


「オリヴィア」

「私以外の誰かを好きになった時は許しませんからね」

「そのときは、この心臓に剣を突き立てたててくれていい」


 泣き笑いのオリヴィアを抱きしめてカイルは笑った。

 彼女を裏切る自分など、きっと自分でも嫌悪するだろうから、この胸を貫いてもらってかまわない。

 我ながら恥ずかしいセリフだなと思った。

 けれど疑いようもなくそれが本音だったので、カイルは苦笑したのだった。



 ――それから数年後。

 ブランシュ家の屋敷にはタルトの焼ける良い香りが漂っていた。


「カイル様、ブルーベリーのタルトが焼けましたよ」

「ああ、では休憩にするか」


 控えめにノックされた執務室の扉からオリヴィアが顔を出す。

 先日収穫したブルーベリーでタルトを焼いていたのだ。ちなみに残ったブルーベリーはジャムにして朝食のパンと一緒に食べる予定だ。


「おとうさまー!!」

「おとしゃま」


 カイルがテラスに顔を出すと、すでに可愛い息子と娘がテーブルに着いていた。

 それまでキリリと仕事用の顔を保っていたのが、少しだけふにゃりと崩れる。特に娘はオリヴィアに似ているので、つい甘くなってしまう。

 駆け寄って来た娘を抱っこして席に座る。


「たくさん実が収穫できるようになったなあ」

「本当ですね。最初はちゃんと実がなるのかも不安でしたけど」


 テラスから見えるオリヴィアの花壇は今日もたくさん花や植物でにぎわっている。その中でも立派に成長したブルーベリーには今年もたくさんの実がなっていたが、最初の数年は花は咲くが実は少なく、小さかった。それでも二人で根気強く世話した結果、ここ一年ほどで料理に使えるほど収穫できるようになったのだ。

 焼きたてのタルトはとても美味しかった。

 上に乗ったブルーベリーは瑞々しくて甘酸っぱい。

 二人であのブルーベリーの苗を植えた日のことをカイルは思い出していた。

 あの頃はまだ、こんな日が来るなんて思いもしなかった。

 タルトを食べ終えた子供達が花壇のそばで遊んでいる姿を眺めていると、ぽつりとオリヴィアが呟いた。


「カイル様、私、幸せです。あの日、勇気を出してあなたの手を取って本当に良かった」

「ああ、俺も幸せだ。君やあの子達に会えた」


 ふふ、と笑うオリヴィアの瞳には涙が浮かんでいる。そっとカイルは彼女の肩を抱き寄せた。

 あの告白から二人は本当の夫婦になった。

 それからも大変なことは色々あるが、カイルは領主としてようやく一人前になり、オリヴィアは伯爵夫人として彼を支えている。

 そういえばあの後、どうして自分を好きになってくれたのかと聞いたらオリヴィアは『なんとなく、気がついたらいつの間にか』という曖昧な答えをくれた。特に決定打とかは無かったらしい。

 なんだか拍子抜けをしたのだけれど、オリヴィアはカイルが自分に向ける愛情や優しさに気づいていたらしい。

 だからきっとそれが積み重なった結果なのだと彼女は笑った。

 これからもそうやって二人で色々なものを積み重ねていけたらとカイルは思っている。


「ねえ、カイル様。お願いがあるのですけれど……」

「お願い?」

「はい、あのですね」


 珍しく恥ずかしがる様子は結婚したばかりの頃のようで可愛らしい。

 一体どうしたのだろうとカイルが覗き込むと、思い切ったようにオリヴィアが顔を上げた。


「あの、この先ずっと、ずっと先まで、私だけが、カイル様を愛する権利をいただけないでしょうか?」


 ぽかんとして、ぱちりと一度瞬いて、それからぶわりと頬が熱くなった。

 彼女から、そんな言葉を貰えるなんて。嬉しすぎてこのまま天に昇ってしまいそうだと思った。もちろん、そんなことはもったいないのでしないけれど。

 だからカイルはオリヴィアを思いきり抱き締めた。


「それはこれまでも、これからもずっと君だけの権利だ!」



END

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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