表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/7

7話

屋上に足を踏み入れると、冷たい風が悠真の頬を撫でた。午後の日差しが校舎の古びた手すりに影を落とし、どこか懐かしさを誘う。


悠真の視線の先には、ぽつんと佇む春花の姿があった。


彼女の長い黒髪が風に揺れ、光を受けてきらめいている。


遠目にはまるで彫刻のように美しく、だがその表情はどこか硬かった。


悠真は胸の奥にざわめきを感じながら、ゆっくりと彼女の方へ歩み寄った。


春花は気づいていた。悠真が近づいてくる音がするたび、彼女の肩が微かに震えた。だがその動きはすぐに消え、代わりに彼女は悠真を真っ直ぐに見つめた。悠真はその視線を受け止めきれず、ふいに目を逸らした。


視線の交差があまりにも重く、彼の心を縛り付けたのだ。


「何でここに呼んだんだ?」


悠真が最初に口を開いた。その声は少し硬く、どこかよそよそしさを含んでいた。

春花はしばらく黙っていたが、やがて小さく口を開いた。


「特別な話をするには丁度いいと思ったの。」


「特別な話?」悠真は眉をひそめ、春花の言葉の裏を探ろうとした。その途端、彼女がほんの少しだけ笑った。


「てか、屋上なんて入れたんだな」


「ええ、今日は特別よ。四条家の力を使えば、このくらいはね。」


彼女はさりげなく言ったが、その言葉にはどこか含みがあった。


悠真は息を飲んだ。四条家――彼女の家の影響力を改めて感じさせられた瞬間だった。どこか現実離れしたその環境を、自分とは違う世界のものだと頭では理解していたはずなのに、目の前の春花の姿は妙に現実感を持って迫ってくる。


「本題に入るわ。」


春花はそう言うと、一歩悠真に近づいた。その動きには緊張が感じられたが、彼女の瞳には強い意志が宿っていた。悠真は息を詰め、彼女の次の言葉を待った。

だが、次の瞬間、彼女が見せた行動は悠真の予想をはるかに超えていた。春花は深々と頭を下げたのだ。


「先日は危ないところを助けてくれて、本当にありがとう。」


彼女の声は静かで、だがはっきりと響いていた。


「先日?」


悠真は思わず問い返した。記憶をたどるうちに、ふとある場面が浮かんだ。夕暮れの路地裏、数人の男たちに絡まれていた気品のある女子高生。その姿が頭に蘇る。


「まさか……あの時の高校生ってお前だったのか?」


悠真の声には驚きが混じっていた。


春花は少し頬を赤らめながら顔を上げた。


「ええ、そうよ。まさか気づいていなかったなんて…」


悠真はしばし呆然とした。確かにその場の記憶は鮮烈だったが、彼女がその人物だとは全く考えもしなかった。


「あの時は必死だったし、それには春花さん、パーカーのフードを深く被っていたから。」


悠真は照れ隠しのように言葉を紡ぎ出した。


「そうだったわね。」


春花は少し笑った。続けて、


「本当にありがとう。助けてもらったからお礼をちゃんと伝えたかったの。ここからが本当の本題なのだけど、お礼をさせて欲しいの。」


春花はそのまま、真剣な眼差しで悠真を見つめた。彼女の表情にはどこか照れくさい感じもあった。

悠真は少し困ったように首を横に振った。


「お礼が欲しくて助けたわけじゃないよ。」


「それでも、私としては、何もお返しせずにいるのは気が引けます。」


春花は少し困ったように微笑んだ。


「お礼って、そういうものでしょ?」


その言葉に、悠真は少し考え込む。春花は四条家の娘だが、今の彼女は普段の威厳を崩して、まるで一人の女の子のように見える。


悠真は脳みそをフル回転させて思考を巡らせた。そこで、一つだけいい案を思いつくことができた。


「じゃあ、春花を呼び捨てで呼んでもいいか?」


悠真の提案に、春花は驚きの表情を浮かべたが、すぐに軽い笑みを浮かべて頷いた。


「え?それだけ?」


「いや、そんなに大したことじゃないけど… 春花さん”って呼んでるのもなんだか堅苦しくて。」


春花はちょっと考え込み、やがて軽く肩をすくめた。


「まあ、別にいいけど…それでお礼になるなら、どうぞ。」


悠真は少しホッとしたように、軽く笑いながら言った。


「ありがとう、じゃあ、春花。」


その言葉を口にした瞬間、春花の顔が一瞬だけ驚きに変わり、すぐに照れたように笑った。

「ふふ、なんだかちょっと新鮮ですね。」


「まあ、少しは距離が縮まった感じだろ?」悠真は少し照れながら言うと、春花は軽く笑って、頷いた。


「それじゃ、私も悠真って呼んでいい?」


春花は少し遠慮がちに言うと、悠真はすぐに答えた。


「もちろん、全然構わないよ。」


春花はその答えに嬉しそうに笑い、少し小さな声で言った。


「じゃあ、悠真。」


その名前を呼ばれると、悠真の胸の中で何か温かいものが広がるのを感じた。春花がまるで普通の友達のように接してくれるその瞬間が、なんだか不思議な気分だった。


その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、二人の間に流れていた穏やかな空気が少しだけ崩れる。


「もうこんな時間ですか。授業が始まってしまうので早く行きましょう、悠真!」


春花は弾けるような笑顔を見せた。悠真はつい笑ってしまった。


「うん」


悠真はその後ろを歩きながら、心の中でふと、春花が少しだけ普通の女の子に戻ったような気がした。普段の威厳や家のしきたりから解放された瞬間を見たようで、なんだか心が温かくなった。


――これが、春花が初めて心を開いてくれた瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ