第七話 訓練場での手合わせ
その日、クフ―リは城の訓練場で剣の訓練に励んでいた。
一国の王たる者、剣術の一つも極めていなければいけない―そういう固定観念みたいなものがこの世界にはある。
故にクフ―リも王子であった幼少期から今に至るまで、定期的に剣術の訓練に精を出してきていた。
クフ―リの剣術の腕前は、他の能力に漏れず、これまた『平凡』な腕前という評価だった。
強くもなければ弱くもない。また強くなろうという意識の程も程ほどであり、練習意欲に於いても、これまた程ほどなものであるので、自然とその剣術の能力自体も程ほどにしか習得出来ていない。この様に各々多岐に渡ることに於いて、元来持ち合わせた素質だけでなく、その修練に於ける意識自体も相まって、すべからく『平凡な能力の人物』という評価に落ち着いている―それがクフ―リという人間の特性であるのだった。
そういう評価を下されている事をクフ―リ本人がどう思っているのかというと。
実はクフ―リ本人はその事についてさほど気にしてはいないらしい。
どうも自分自身にさして何も才能がない事を本人自身が良く分かっているらしい。
自覚があるがゆえに、周りの人たちからそう陰口を叩かれていても余り気にならないみたいなのだ。
かと言って別に悪口を言われても全く平気という訳ではなく、陰口は人の口には戸を立てられないから仕方がないと諦めるという事であり、もし面と向かって悪口を言われたら、それは怒るという事らしい。この辺りの寛容さもやはり『普通』であり『平凡』なのである。勿論、生まれた時から国の王子であり、今は国王であるクフ―リに面と向かって悪口を言える者は、同じ王族である彼の家族くらいしか見当たらないのではあるが…。
ハッハッハー!
威勢の良い掛け声と共に渾身の一振りを繰り出す。
額から飛び散る汗に屋内訓練場に差し込んでくる陽光が当たりキラキラと煌めく。
クフ―リはこれでちょうど三百回目の素振りを終えた所だった。
体中から汗が吹き出し、運動用のシャツをべっとりと肌に張り付かせていた。
呼吸は乱れ、肩で息をするのがやっとの様子だ。
「王様。少し休まれてはいかがですかな?」
お疲れのクフ―リを見兼ねて兵団長のダッドンがそう声を掛けてきた。
このダッドンが東海国の全兵士を預かる兵団長であり、この訓練場での最高責任者だった。
「そうさせてもらうよ、ダッドン兵団長。私もそろそろ疲れてきた所だった」
そう答えて、早足に傍に駆け寄って来た侍女から手ぬぐいを受け取ると、額の汗を拭った。
クフ―リが「ふぅー」と一息付いたのを確認してから、ダッドンは言葉を続ける。
「それにしても王様の太刀筋はなかなかのものです。これも幼少期から真面目に訓練に精を出してこられたからでしょう。後五年も続ければ、私などはきっと足元にも及ばない腕前になっておられますじゃ」
そう言って愉快気に笑う。
「お世辞はいいよ、ダッドン兵団長」
クフ―リも釣られて笑いながらそう答えた。
しかし、これにはダッドンは目を丸くして、
「お世辞などではありません。本当に良い筋をしていらっしゃる。私が言うのですから間違いありません」
とちょっと意地になって言い張る。
剣の腕前では兵団屈指のダッドンがそこまで言うならそうなのだろうと、クフ―リは自分を無理やり納得させるしかなかった。
そこで屋内訓練場内がにわかに騒がしくなった。
「おぉ、ゼルスさまだ」「ゼルス王子さま…いやゼルス王兄殿下だ…」
クフ―リが兵達の視線の先に目をやると、兵達の言葉通りそこに兄ゼルスの姿があった。
ゼルスも剣術の訓練に来た所だったのだ。
ゼルスは訓練場の壁に立てかけてある訓練用の木製の剣を取ると、黙々と素振りをし始めた。ビュンビュンビュンとなんとも軽快に、それでいて力強く木製の剣を振り下ろす。剣術の達人であるゼルスならではの豪快な素振りだ。
しかし兵団長のダッドンの表情は険しかった。それもその筈で、ゼルスは王であるクフ―リが同じ訓練場に先に来ているのにも関わらず一向に挨拶に来ない。クフ―リの周囲にはいかつい鎧を着込んだ遠目からでも目立つ近衛兵がズラリと列をなして陣取っているので、クフ―リの存在に気づいていない筈がないのにである。
これには物分かりの良いダッドン兵団長も思わずしかめっ面になった。
ダッドンは訓練中の兵士達の間をズンズンとかき分けていって、ゼルスの前までやって来た。
「これはゼルスさま。今日も訓練に精が出られるようでなによりです。あちらに王さまもいらしていますから、ご一緒にどうですか」
とやんわりとクフ―リの存在をアピールした。
するとゼルスは一呼吸間をおいて、
「そうか、父上も来ているのか…それは気づかなんだ…。それでは挨拶でもしてこようか…」
この言葉にびっくり仰天したダッドンは、慌ててまくし立てた。
「いやいやいや、ゼルスさま、そうではありませぬ。クフ―リさまです。現国王のクフ―リ陛下に御座ります」
「…クフ―リ……。ああ、そうか。クフ―リか。クフ―リ王が王様だったな…」
と如何にもわざとらしい様子で今気づいたふりをする。
やはり、このゼルス兄上、愚弟クフ―リが自分を差し置いて王位を継いだ事が面白くないようだ。
ダッドンとしても、そんなゼルスの心内が分かるので、とぼけている事を敢えて突きはしないが、それでも王室の習わしとしてここは王の兄ゼルスに現王クフ―リに対して臣下の礼を取ってもらわねばならなかった。
「ささ、ゼルスさま。あちらでクフ―リさまとご一緒になされませ…」
ゼルスは一瞬怪訝な顔つきをしたが、次いでパッと顔を晴れさせた。
「ならば、ご一緒させてもらおうか」
そう明るい様子で言ったので、ダッドンはとりあえずホッとし、気の晴れた口調でゼルスをクフ―リの下へと案内した。
向こうからダッドンに連れられてやって来たゼルスと、ふと目が合ったクフ―リは、表情を作ってニカッと笑った。
「ゼルス兄上、お久しぶりです。戴冠式以来ですね。最近のご機嫌の程は如何ですか」
クフ―リの屈託のない様子に少し面食らったゼルスは、一瞬目を見開いて驚く様な表情をみせたが、直ぐに普段のポーカーフェイスに戻った。
「これは国王陛下。私の様な一介の武人に対する格別のお心遣い痛み入ります。例え兄弟としての縁とはいえ恐れ入ります。本日は剣術の訓練でお越しで?ならば一つお手合わせお願い出来ませぬか」
といきなり手合いを申し出てきた。例え木製の剣での模擬戦といえども打ち所が悪ければ大けがをする事もある。まして剛の剣を振るう屈強の戦士であるゼルスを相手にするのは、クフ―リの中途半端な剣術の腕前では危険過ぎる。
クフ―リとて決して馬鹿ではない。自分に王座を奪われた自分より遥かに優秀な実兄が、この一か月間この城の中で、どんな思いで息を殺すように生きてきていたか?それぐらい判るつもりだ。
そしてそれは兵団長であるダッドンとて同じだった。
腹いせにクフ―リ王を痛めつけるつもりか。
ダッドンはハラハラした。クフ―リがどう答えるか気が気でない。新国王に怪我でもされたら訓練の全権を預かる自分の責任問題にもなりかねない。
そんなダッドンの心中など知らぬとばかりに、クフ―リはこのゼルスの申し出をすぐさまに受けてしまう。
「いいでしょう。ゼルス兄上とは一度やってみたかったのです。お手合わせお願いします」
そうして若き新国王とその兄の模擬戦は幕を開ける。
しかし事態はダッドンが思い描いたものとは違った様相を呈する事となる。
ゼルスに必死に打ちかかるクフ―リ。それを軽々といなすゼルス。そんな攻防が続く。しかし何十合と打ち合い続けても一向にどちらも一本も取れない。そしてゼルスの打ち込みは明らかに手加減された軽い物ばかり。
それはまるでゼルスがクフ―リに剣術の指導を施しているようにしか見えなかった。
どんなに打ち込んでも軽々といなされてしまう事にクフ―リは自分とゼルスとの剣術の腕前に歴然とした差がある事を痛感した。いや、それは始めから分かっていた事だった。歴戦のつわものとして名高い兄ゼルスに半端者の自分が太刀打ちできる筈がなかったのだ。
まるで子ども扱いをされている事に焦ったが、次第にゼルスが自分を鍛えてくれているという事実に、さすがにクフ―リも気づいた。
そうしてクフ―リは打ち込むのを辞めた。ゼルスの意図が判ったからだ。理由は良くは分らないがこの兄は今自分を鍛えてくれているだけだ。そんな必要はない。自分はただ自分の腕前が強者であるゼルスに通用するかどうか試したかっただけなのだ。全力で向かって行ってもまるで子ども扱いにされ全く通用しない。それが今の自分とゼルスとの実力差である。それが判った以上これ以上この模擬戦を続ける意味はない。
クフ―リは構えていた木製の剣をスっと下すとゼルスに深々と頭を下げた。
「ゼルス兄上。ありがとう御座いました」
そう言ってこの模擬戦は終了した。クフ―リの顔は晴れ晴れとしていた。自分の事を恨めしく思っているかもしれないと考えていた実の兄が、その自分を鍛えようとしてくれた。真意はどうであれ、ただ単純にそれが嬉しかったのだ。
そしてゼルスの表情も実に明るいものだった。
納得がいった。そんな表情だった。
それは自分の中のクフ―リに対するわだかまりが、クフ―リの剣術を見てやるという慈善にも似た行為によって、この時ばかりは霧消したような気分になっていたからだった。
むしゃくしゃした時には体を動かすに限る。
生粋の武人でもあるゼルスはそんな感慨に耽るのだった。
この様にして王位を巡ってのこの兄弟の確執は雪解け模様を見せるかに思えた。
しかし人の気持ちとはそんなに簡単なものではないのだろうと、この時年配の人生の熟練者でもあるダッドン兵団長などには、そう思えるのだった。