第六話 やってられない王様
クフ―リが国王になって一か月が経とうとしていた。
この間東海国の国情にさしたる変化はなかった。
それは一重に宰相であるウォーレンの手腕による所が大きかった。
前王ハバル時代の政治を宰相であるウォーレンがそのまま引き継ぐ形で行っていたのである。
いくら国の最高権力者である王のクフ―リが政治の素人でも、それを補佐する宰相のウォーレンが前政権時代同様に全面的に治世をカバーしているのである。国の政治体制がいささかも揺るいでいないのは当然だった。
乱暴に言ってしまえば、今東海国を実質的に動かしているのはクフ―リではなくてウォーレンだという事になる。ウォーレンさえいれば国は回る。クフ―リはただウォーレンの施策通りに首を縦に振っていればいいだけなのである。
そんな自らの状況にもクフ―リ自身は何の意にも介してない様子だった。
それもそのはず、クフ―リにはまだ王たる自覚が全くといっていいほど無かった。自分が先頭に立って国をきりもみしていくという事がどういうことかなど、全く理解していないのである。ただウォーレンが出してくる施策におんぶにだっこしてればそれでいい。希代の名宰相として名高いウォーレンの言う事を訊いていれば、とりあえずは大きな失敗をする事はないだろう。と、そうタカをくくっているのである。
対してその名宰相のウォーレン本人は少し困惑していた。国の政策にではなく、クフ―リの王としての教育についてだった。ウォーレンはクフ―リが初めの内は政治の事が余り良くは分からないだろうから、自ら手本を見せて少しずつ教えていこうと考えていたのだが…。この一か月間指導をしていて気づいたのだが、このクフ―リ王、予想以上に物覚えが悪い。その上政務を自分に任せっきりで自分自身でやろうという気が全く見えない。王子時代のクフ―リの巷での評判は『平凡』だったが、これでは平凡どころか並以下の酷い有り様だ。とにかく自身が国のトップであるという意識が皆無で、常に人に任せきりであり、政治に対して真摯に向き合おうとしない。クフ―リがまだ若く、経験不足だという点を差し引いても、これにはさしものウォーレン宰相もその頭脳明晰な頭を少し悩ませている所だった。
「あ~もうっ、やってらんねぇ~」
クフ―リはそう吐き捨てるように言った。
彼は今城下町にお忍びで来ていた。
もちろん暇だったからではなく、多忙な政務を放り出してきての事だった。
実際クフ―リは王になったこの一か月間というものは実に忙しい日々だった。
明けても暮れても来る日も来る日も、政務政務政務の毎日でほとほとうんざりしていた。
一体何度さぼって城を抜け出してやろうかと思ったことか…。
それを今日、つい今し方実行してしまった。
放蕩王子時代のなまけ癖がついに出てしまったのだ。
「さぁ~て、何して遊ぼうっかなぁ~っと。いや、先ずはメシメシ!うまい物でも食おうっと!」
クフ―リは意気揚々としてきた。程よい空腹が彼の今の解放感をくすぐる。今なら何でも食える。何でも出来る。自由になる時間も金もいくらでもあるのだ。
「よし!やっぱ肉だな肉!それに酒!」
クフ―リは城下町の繁華街に足を向けると適当な酒場を探す。
そして一軒の店へ目星を付けると躊躇なく入っていった。
「ヘイっ!いらっしゃい!」
店に入るなり店員の威勢のいい掛け声が飛んできた。クフ―リは店内をキョロキョロと見まわしてからカウンター席の空いている椅子に腰掛けて、まぶかに被っていたフードを下した。間もなくして店員が水の入ったグラスを持って注文を訊きにやってくる。そこで店員はある事に気づいた。そう、その客が馴染みの客でつい一か月前まではこの国の王子で今現在は王になっている人物だという事に。
「あっこれはクフ―リさまじゃぁねぇですか。王子、お久しぶりで…。あっ今は王様でしたよね…。こりゃすいません」
そう言ってがははと笑った。
「やぁ久しぶり。今日はお忍びなんだ。王になってから初めてのね…。まぁこれからもちょくちょく来ると思うからよろしく頼むよ」
「あっヘイッ。わかりやした。いつもご贔屓の程ありがとうございます。今後とも宜しくお願いします―それで、今日もいつものやつでよろしいですか?」
と注文を訊きながら水の入ったグラスをクフ―リの前のテーブルに一際丁寧に置く。
「あぁ、いつもの肉と酒、頼むよ」
「畏まりました。少々お待ちください」
店員は恭しく頭を下げてからいそいそと厨房へと入っていった。
しばらくしてから厨房から出てきた店員はクフ―リにペコリとお辞儀をして「注文を承りました」と暗に返答した。
人心地したクフ―リは水の入ったグラスを口に運んで乾いた口を潤した。
そしてしばらく物思いに耽るクフ―リ。
この一か月というものなんと忙しかったことか。毎日毎日政治の実務と勉強の繰り返しで遊ぶ暇所か寝る暇さえ削られてしまっている始末。
毎晩遅くまでウォーレン宰相による勉強会が開かれ、あまり出来のよろしくない頭をフル回転させられているのである。王子時代、放蕩王子として自由気ままに生きていたクフ―リにとっては地獄さながらの生活になっていたのだった。
(あ~あ。あのウォーレン宰相はどうにかならないかな~。卒中でも起こして寝込めばいいのに…)
とそんな物騒な事を考えるのだった。
そんな思案を巡らせていると、ちょっと経ってから酒場の中が何やら騒がしくなった。
「おい、あれクフ―リさまだ…」
「ほんとだ。王子だ…いや、王さまだ」
「王さまになってもこの店に来られるのか…」
とこの店の常連客らしき人々がクフ―リの方をチラチラと見ている。
クフ―リの方も、「あぁ馴染みの客がいるな」と確認して、手をチョコッと挙げて、「私に構わぬように」と一声発した。
「あっ、へい」「わかりました王子っ、あっ、いや王さま」
そう小さい声で返答すると、顔馴染みの常連客達は何やらばつが悪そうにそそくさとクフ―リから視線を外し、各々のテーブルに置かれた料理や酒を再び楽しみ出した。
クフ―リはこれでいらぬ邪魔が入らなくなったと安堵し、料理と酒が運ばれてくるまで再び物思いに耽るのだった。
今しばらくこの酒場で美味い肉と酒に舌鼓を打てる。至極の時だ。しかしそれが終われば再び城に戻ってあのウォーレンのしつこい授業を何時間と受け続ける事になる。
その事を考えただけでクフ―リは頭が痛くなってきた。何か、先ほどまでお腹が空いていた筈なのに、胸がムカムカしてきてもう何も食べたくない気がして来た。
(あ~あ、ほんとやってやれねぇ~よ。まったく…)
クフ―リは頭の中で何度も毒付いた。
折角この国で一番偉い王さまになれたというのに、これでは話が違うではないか。
王さまとはもっとこう、デンと構えていて、威厳ある様子で臣下達にあれこれ命令するもの―そんなイメージを抱いていた筈だ。
それがこれではまるでウォーレン先生から政治学を習っている落ちこぼれの一生徒にしか思えない。
本当にやってられない―その一言だった。