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第三話 二人の兄

 視界が狭い。目に見えるものもほとんどぼやけている。何を視ているのかさえ分からない。いや、自分が起きているのか、それともまだ夢の中なのかさえ分からないでいる。

 時間や場所の感覚も曖昧だ。ここがどこで今朝なのか夕方なのか、それも分からなかった。

 ただ辺りは薄暗く、昼間ではないだろうとは思えた。そしてここはおそらく自分の部屋の中で今自分はベッドの上で半身を起こしている状態だと気づく。

 そして自分が何者であるかを思い出した。

「う~。昨日は飲み過ぎた…」

 頭がガンガンする。二日酔いだろう。昨夜の宴会は明け方まで続いたので、主賓であった自分は、事の外羽目を外して飲みまくったのだった。

「あれだけ飲めば酔うよね…。ちょっと調子に乗り過ぎたかな…」

 自嘲気味に呟く。そして昨夜は今までで経験ない程に酒を飲んだことに今気づいた。

 しかしそれもご愛敬というもの。なぜなら自分は昨日この国で一番偉い人間になったからだ。

 アルメタリア大陸の東の海に臨む小国東海国。

 この東海国に昨日第三代目の新国王が誕生した。

それが彼、東海国第三代国王クフ―リ・ド・ネールソンである。

クフ―リは昨日の新国王戴冠式の後の晩餐会で、頻りにダンスに誘ってくる隣国の王侯貴族の娘達をほったらかして、昔から気の合う城の者達と朝まで酒をかっ食らって、どんちゃん騒ぎをしていたのだった。クフ―リからしてみればこれから始まる隣国との付き合いなどの面倒な外交政策に気を揉むよりも、一世一代の晴れ舞台を祝う夜には、昔からの馴染みの友たちと羽目を外して騒ぐ方が、よっぽど楽しくて有意義な事だったのだろう。

 この話が城の者達の間で話題に上がり、「さすがクフ―リ様は王様になっても庶民派だ」と噂になり、クフ―リの『普通さ』の特性はますます堅固になっていった。それが城下町にも伝わっていくと、城下町の人々は「新国王の王様になっても気取らないそんなところがいい」と感嘆する者達と、「そんな調子で大丈夫かね」と心配する者達とに二分される事となった。

 クフ―リが戴冠式の最中に転んだ失態の事は、新国王の体裁を考えてかん口令が敷かれていたが、人の話はどこからか必ず漏れるもの。戴冠式のあくる日のこの日の夜には城下町の大半の人が知る事となっていた。

 その事も噂話に上っては、「新国王さまは愛嬌がある」「ドジなところがかえって好感が持てる」といった好意的な受け取られ方をされている一方で、「政務でも失敗するんじゃないのか」とか「そんな事が隣国に知られれば他国から舐められるんじゃないのか」などといった若き新国王を心配する声が、早くもあちらこちらで湧き上がって来てもいるのだった。

 そんな城下町の喧騒も何の其の。城の中庭にはつい昨日まで国の第一王子だったゼルスが剣の稽古を独り黙々とこなしていた。2メートルを超す背丈に筋骨隆々な骨太な肉体。その立派な体躯を一目見ただけで、彼が屈強の戦士である事が伺える。顔つきも精悍で気鋭そのもの。ちょっとその姿を拝見すれば、彼こそが一軍の将に相応しいと誰しもが思うだろう。なぜハバル王はこの新進気鋭の息子に王位を継がせずに、彼よりも遥かに見劣りする弟を選んだのか。それは誰にも分らない事だった。

 額からは大量の汗が滴り落ち、薄手の肌着から剝き出しになっている肩や、その先の腕部全体に玉の様な汗が噴き出している。いや、良く観ると胸部も腹部も背部も汗だくで、それらを覆っている白地の薄い肌着は余すところなくぐっしょりと濡れている。季節はまだ初春。中庭に吹き抜ける風はまだ肌寒い。一体どれ程の時間剣を振っているのだろうか。

 そんな稽古に熱中しているゼルスの背後から彼に近づく者がいた。

「ゼルス兄上。今日も今日とてご精が出るようで何よりです」

 そう言ってその人物は口元を緩めた。長身長髪の細身の人物でゆったりとした衣服に身を包んでいる。ぱっと見、なんとも浮世離れした優雅な雰囲気を纏っている。

 ゼルスはその人物が誰であるか、その独特の声と独特な物の言いようで一瞥もくれずに分かった。

「何が言いたい?ランスロット」

 東海国第二王子と昨日まで呼ばれていたその人物ランスロットは如何にも愉快そうに笑いながらその実兄の質問に答えた。

「いえいえ、昨日はこの東海国にとってとてもめでたき日。本日はこの国の王族としてゼルス兄上とは共に祝いたく思い、たまたまにお姿をお見かけした故、お声をお掛けした所存であります。他意はござりませぬ故、ご容赦の程を」

「たまたま見かけたのに、共に祝いたいか。相変わらずふざけた物の言い様だな」

「他意はござりませぬ故…ご容赦の程を」

 とランスロットは悪びれる様子もなく抑揚のない調子で同じ言葉を連ねた。

 物事を直言するゼルスに対して、どこかふざけた台詞でのらりくらりと交わすランスロット。この対照的な二人の兄弟のやり取りはいつもこの様になる。お互い相手の真意が分かっているにも関わらず、この様に冗談のような会話になる。これはいつも本音で話しているゼルスが悪いのではなく、一重に何かと事あるごとにふざけようふざけようとするランスロットに問題があるのである。ゼルスも今のように機会があればその都度「ふざけるな」と諭すのだが、ランスロットは一向に聞いてくれない。とにかく口では何事も大仰に面白おかしく言うが、その反面、本当のところは全く意に介していないというのがランスロットという人間の他者との会話のやり方なのである。ゼルスもその事が良く分かっているので一々腹を立てたりはしない。

「それにしても昨日は傑作だったな。これから王になろうってヤツが自分の戴冠式で転ぶなんて古今東西聞いたことがないぞ」

「確かに…」

 ゼルスもランスロットも口元を緩める。今この二人はある意味王の座を掴み損ねた同志なのである。彼らを差し置いて王座を射止めた弟の情けない失敗が愉快でない筈がない。

「しかし、アレがこれからのこの国の王だ。つまり俺達の主君だ。俺もお前もこれからはアレに忠義を尽くさねばならん。少しはアレ…いや、クフ―リか。少しはクフ―リ王にもしっかりしてもらわんと困るな。今後もあんな失態を重ねられてはこの東海国の面子にも関わる」

「ゼルス兄上はクフ―リに忠義を尽くすと…?私は御免被りたいですね。あんなしょうもないヤツに忠誠など誓えませんよ。なぜ父上はあんな何の取柄もないヤツに王位を継がせたのかまったく不可解極まる。寄る年波と病に勝てず譲位なされたのでしょうが、それなら慣例通り長男であるゼルス兄上に王位を譲るのが筋というもの。それをよりによって世間から『平凡王子』と罵られていたクフ―リにとは…父上は一体何を血迷われたのか…」

「父上が決められた事だ。俺達が四の五の言っていても仕方がない。俺達は父上の命に従ってクフ―リ王を盛り立てていくだけだ」

「兄上は悔しくないのですか?あのクフ―リが我らを差し置いて王になったのですよ。あんな愚か者の弟に私が負けるなんて…私は認めません」

「お前は相変わらずクフ―リには容赦がないな。しかしな…あいつはお前が言う程無能じゃない。あいつは確かに平凡なありきたりなヤツかもしれないが、なかなか見所もある。あいつは俺達と違って人に優しいしな」

 これにランスロットは「ハハっ」と笑った。

「優しい?何を世迷い事を。そんなものが何の役に立ちます?王たる資質は如何に断固たる非情な決断を下せるかです。情に流される王などに国政は務まりませぬ」

「まぁお前の言う事も分かるがな…。まぁそういきり立つな。何にせよ、これからはクフ―リが俺達の王だ。同じ王族として共にあいつを盛り立てていこうじゃないか」

「心にもない事を…私は認めませぬよ…」

 軽い口調で諭すゼルスに、ランスロットは唇を噛んで悔しさを滲ませた。

 クフ―リに少しは理解のあるゼルスに対して断固否定派のランスロット。同じ王座を取り損ねた者同士、同じ兄弟でも弟に対する認識には若干の違いがある様だ。

 このクフ―リに対する想いの違いが今後彼ら兄弟の行く末を決定付ける事になるとは、この時この二人には知る由もなかったのである。

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