ある男の価値
段本雅也の一生が終わったのは、とある日の夜だった。
日本人男性の平均寿命、81.05歳を大きく下回る35歳と言う若さでの死だった。死因はアレルギーによる急性呼吸不全。何故のアレルギーであったかと言うと猫だ。
段本は家で猫を飼い、その猫と共に寝ていたのである。
それがいつしかアレルギーとなって、段本を死に至らしめたのであった。
「呆気ないなぁ」
間抜けた死因を、死神の操る船の上で聞きながら段本は呟いた。船とは言っても高瀬舟のような背の低い川舟である。船首と船尾には、それぞれ死神がいて、船を操っている。対面に座るのは、また別の死神である。顔のあたりに靄がかかり、性別のほどはわからない。もっともわかったとしても何もない。
段本の心はすっかりと肩の荷が降りたかのように、晴れ渡っていた。
「しかし、死神さんよ。一つ思うのがあるので聞いて欲しいんだ」
「なんでしょうか」
「俺の一生に価値があったのかってこと」
死神は考え込む様子を見せたが、しばらくして、口を開く。
「多くの人が、ここで私にそれを聞いてきます。自分は何の為に生まれて、何の為に生き、何を成して死ぬのか。多くの人がそれを知りたがる」
死神は靄がかかった顔を向けたままに言う。
「あなたはなぜ知りたがるのですか? 教えてもらえれば、私も、教えましょう。それが私の方針です」
「俺がどうして知りたいのか、か。そんなもの決まってる」
段本は両方の手を大きく広げた。
「俺はこれでも頑張って生きてきたからな。勉強もスポーツも頑張った。いい大学に入っていい企業にも入れた。つまらは、俺の人生には価値があったはずだ」
「なるほど」
「それで、その具体的な意味を俺は知りたい。俺がやった事がどんな価値があり、それがどうなるかを知りたいんだ。俺の仕事が後年でどんな風に評価されるとか、職場で語られていくとかもそうだけど、俺は何がゴールで、それを満たしたから死んだのか」
死神はそこまで聞くと満足したのか、手を挙げて制した。
「良いでしょう。では、あなたが何の為に生まれて、それを成したから死ぬのか、教えます」
段本は膝の上に手を置いて、死神の言葉を待った。
自分の人生は華々しい人生であった。それだから、それに見合った人生の目的が、本人には知らされていない神からの目的があったはずだ。
死神がゆっくりと言った。
「あなたの人生のゴールは、1月29日に交差点を渡ったことです」
死神が次の言葉を言うのを待った。が、一向に言葉を継ぐ気配がない。
「なんだ、それ。ふざけてんのか」
「ふざけてはいません。あなたは1月29日にとある交差点を渡った。それが重要な目的、あなたの人生の価値だったのです。少なくとも、上司の価値観の中においては」
段本が力無く項垂れる。
それを気にすることなく、死神は続けた。
「あなたが交差点を渡った時、一人の少年があなたの姿を見た。それをみた少年が後の総理大臣を育てる教師となります」
「それだけ?」
「それだけです。あなたの人生における神からの最大目標は、それだけでした。他の学業や何やらというのは、別に意味がないことです。もっと言えば、あなたには、それだけの価値しか、本来はなかったのです」
死神はあっさりとそう言った。
段本をのせた船は寄り道をすること無く、進んでいく。




