青年僧侶とトラ子 山を下りる
現在執筆中の小説の冒頭部分です。
短いですので、映画でいうところのPVみたいなものとしてお楽しみいただければと思います。
反応などいただければ、執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。
夜明けは近い。
薄明りが霧に乱反射して、大地を白く染めている。
果てしなく森が続く中に、群島のように岩山がぽこんぽこんと突き出している。
天地開闢以来、シノホン山地に訪れる静寂である。
ひとつの岩山の上で、男と虎が対峙している。両者10歩の距離である。
男、リューミンの上裸の若い体には、山中の生活の中で自然についた筋肉が美しく、からだの表面のうっすらとした汗脂は、日の光をあびてつややかだった。
彼は、唇をきっと結んでいるが、涼やかな目元には余裕があった。
虎は、全長3メートルの巨体。腹には、十字の傷がある。
静寂を破って、虎が地面を蹴った。リューミンに対してとびかかる。虎の体は、弧を描いて、まっすぐとリューミンに向かっていく。
虎が近づいてくるその僅かの一拍。リューミンは、落ち着いていた。
右腕を、顔をかばうように掲げて少しかがむ。虎の腕を下から跳ね上げるように受け流すと、左こぶしを虎の腹に叩き込んだ。
ズム、と鈍い音がして、虎の体勢が崩れる。
虎が「にゃおん」と、苦し気に顔を歪ませる。しかし、獣の巨体は容易には吹き飛ばされない。
虎は、宙返りして着地を決めると、もう一度、リューミンにとびかかるべく、体のバネをぎゅっと引き絞った。
対して、リューミンも構える。
次の瞬間、虎のパンチがリューミンの顔を直撃した。ネコパンチ。
リューミンの鼻からは赤い血が垂れている。
リューミンは、キッと虎を睨むと、大股でズンズン歩いて虎に接近した。
両者一歩の距離。
リューミンはくるりと虎に対して背を向けると、両足を地面に踏ん張って、虎の顔面に肩甲骨を思いっきりぶつけた。体当たり。
虎が吹き飛び、背後の樹木に叩きつけられる。
リューミンは、ふう、と深く息を吐いた。青く剃られた頭に、じんわりと汗がにじんでいる。早朝のさわやかな風に吹かれて、ひんやりと気持ちがいい。
掌をかざして、まぶしい東の空を眺めると、すでに、太陽は、地平線から指二本分ほど昇っていた。
「おい、虎。ここまでだ。」
振り返って虎に呼びかける。
虎は、毛むくじゃらの手で、これまた毛むくじゃらの腹をさすっている。そしてお座りの姿勢をとると、悔しそうに「にゃおん」とつぶやいた。
リューミンは、東の空に対して向き直ると、両手をあわせて目をつむり、しばし静寂に身を任せていた。
日は空の真ん中に輝いている。
草ぶきの小屋。中央に囲炉裏がある。壁には、笠や鎌、鋤鍬などいままでの日常で使っていた道具が掛かっている。他の壁には、簡単な書棚があり、巻物が置いてある。
リューミンは、山中の庵で、出立の準備をしていた。
準備と言っても、持ち物は少ない。
背嚢に、茶碗と若干の金貨、そして、数巻の巻物を入れる。
リューミンは準備が終わると、庵の裏手-その場所だけ、木々がひらけてシノホン山地が見渡せる-に行った。右手に笠を持ち、
「師匠、行ってきます。」
塚に手を合わせてつぶやいた。
師が逝去してから2年と1か月、ついに3年の喪が明けた。リューミンは22歳になっていた。
「さあ、出発ですね」
背後から女の明るい声によって促される。リューミンはうなずく。「ああ」。
ん?女の声?
振り返ると、年のころ18,9くらいの女の子が立っていた。地面の上に裸足だ。
髪の毛は一見鮮やかな黄色だが、ところどころ虎のように白黒のぶち模様がある。リューミンより少し低い身長の体をマントで包んでいる。
誰だ?この山中に女?熟練した修行僧でも容易にはたどりつけない山奥の霊場だぞ。
「りゅーみん?」女は、きょとんと、首をかしげる。
「誰だ、どうして俺の名を知っている?」
「やだにゃー。わたしだよわたし。虎だよ」
にゃーと言って、マントの間から出した腕を虎っぽく構えてみる。
何だこいつ。
「だめー?」
虎と名乗る女は、腕を組んで、うーんとしばらく考え込むと、ピコンと頭の上に豆電球が点いたように、人差し指を立てた。「そうだ」。
女は、マントの前面を、バッと広げた。全裸。
きゃー恥ずかしい。とでも言うと思ったか。師の下で長年修業したリューミンは女の裸体などに恥じ入りはしない。リューミンは女の奇行を冷めた目で見ていた。
しかし、次の瞬間、リューミンの目は女の腹に釘付けになった。
そこには確かに十字の傷があった。虎と同じ、十字の傷である。
そういば、師匠から聞いたことがある。虎の中でも、神性を帯びた霊虎は、まれに人間の姿を借りて人と交流することがあると。
もとより、今朝の虎は霊虎である。そんなことは百も承知だ。
しかし、なぜ。
なぜ、いま、人間の姿で?
リューミンの頭の中は、ぐるぐると混乱している。
ともあれ、彼の口から出た言葉は、まあ、その通りだろう。
「おい、服を着ろ。」




