竜皇の巫女姫
広いテラスの上。
時刻は深夜になるらしいけれど、北の果てでは太陽が沈まない。
「白夜」っていうんだって。
でも、実際には、紅い月に照らされて、全てが赤みがかって見える。
周りの山の上の白い万年雪は、赤く月の光を返して、藍色の湖は紫色に。
白い石の床に描かれた何か複雑な模様は、よく見たら青い石が埋め込んであるみたいだけど、やっぱり少し紫色に見える。
その上に静かにたたずむのは。
紅い月光の中でも、ひときわ蒼い輝きの鱗。
姿そのものも大きいけれど、それ以上に、大きくて、重い、存在感と威厳。
青銀の瞳が、まっすぐに私をとらえた。
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神殿で、副神殿長にあいさつをして、竜皇様の所に戻ったあと。
『城までは少し時間がかかる。眠っていても構わない』
乗り物としてだされた鳥カゴの中は、ゆうにベッドが二つくらい入る広さがあった。
ふかふかのマットが敷きつめられて、大小いくつものクッションや毛布が置いてあって、たしかに、気持ちよくお昼寝できそう。
シーツやクッションの肌触りも、今まで使ったことがあるものとまったく違ってて、高級な布らしいことがわかる。
これで、カゴの格子がなかったら、お姫様のベッドみたい。
ちょっとはしゃぎそうになるのを、ぐっとこらえた。
『少し揺れるぞ』
竜皇様の翼が広がって、ふわりと浮かび上がる。
そして、ぐんぐんと、高く高く舞い上がる。
地面が、神殿が、下に小さくなる。
「う、わぁ!」
思わずカゴのはしに寄る。
すごく高い。でも、風もないし、そんなに揺れないし、怖くない。
むしろ、下に広がる景色に目を奪われる。
「すごぉい!」
思わず声を上げてしまってから、はた、と気付く。
そして、ちょっと前の会話も思い出して、ちょっと血が下がった気がした。
私……すごくぞんざいな言葉遣いになってる。
『度胸があるな』
竜皇様の声がした。
少し笑っているような感じだ。
「あ、あの、すいません。はしゃいだりして」
『構わぬ。言葉遣いも気にすることはない。楽なように喋ればいい』
いいのかな? 本当にいいのかな?
……いいや、えい。
「あのっ、竜皇様」
『竜皇で構わぬ。何だ?』
「えっと、いろいろ聞いてもいいですか?」
はるか下に広がる大地。
神殿の外は、せいぜい門前町までしか行ったことがない私にとっては、初めて見る世界。
聞きたいことがたくさんある。
『答えられる限り、答えよう』
どこにあるのかわからないって言われてた竜皇のお城は、実際には大陸の北の果てにあるんだって。
私がいた北神殿――竜皇が夏至に降りてくるから、夏至神殿とも言うんだけど、それ自体が、大陸の一番北にあるノールド王国の、更に北のはずれにある、らしい。
らしい、というのは、地図の北の端は、山脈で切れてて、その先に何があるかわからないから。
竜皇の話では、山脈を境にして、その北には、人間は入れないんだって。
そこから先は、動物でも人間じゃない種族――魔法生物って神殿で教わったけど、それは人間から呼んでる名前で、竜皇や本人たちは「眷属」っていうんだって竜皇が教えてくれた――が住んでいる土地で、大昔、人間と眷属の間でここで住む場所を分けようって決めたらしい。
大陸のあちこちに、そういう場所がいくつもあって、人間と、半獣半人で魔法を使える眷属がケンカをしないようにしてるんだとか。
そういった、違う種族の揉め事を治めたりするのも、竜皇のお仕事なんだって。
私が神殿から出たことがないって言うと、竜皇は飛ぶ速さを少しゆっくりにしてくれた。
そして、下に広がる畑や町や、そこに生えている草木や住んでいる人や動物、それに眷属の話もしてくれた。
いろんなことを知ってて、私のどんな小さなつまらない質問にも、ちゃんと答えてくれる。
竜皇としゃべるのは楽しい。
やがて道は途切れて、家も畑もなくなり、下に広がるのは広い森。
『このあたりになると、狩をする者がわずかにいる他は、ほとんど人が入ることはない』
ずーっと続く、深い緑のじゅうたんの上を進むと、霧の中に、切り立った崖が見えてきた。
『人間は「最果ての砦」と呼んでいるらしい。これが、人と、人でない者の境界だ』
崖だと思ったのは、ものすごく切り立った岩山だった。
神殿があった山も、結構高いと思ってたけど、全然違う。
確かに、人間がこの山を越えるのを拒んでいるような雰囲気がある。
よく見ると、山の上のほうが白い。なんだろう?
「あの、山の上の白いのって、なに?」
すでに、ですます調さえ消え失せてるけど、竜皇は構わないって言ってくれたので、甘えることにした。
ごめんなさい。
お嬢様じゃなくて下働きなんだもの。
『万年雪だ。この辺りの高い山の上は、夏でも雪が融けきらないほど寒く、一年中雪に覆われいる』
「寒いんだぁ……」
寒いの苦手だ。どうしよう。北の果てって、やっぱり寒いかな。
万年雪に覆われた切り立った山を越えると、また森。
川で少し区切られたり、泉や湖でぽっかり空間があく以外は何もなく、深い森が広がっている。
森の生き物や、ここに住んでる眷族のことを教えてくれながら、そのまましばらく飛び続けて、やがて、竜皇が言った。
『そろそろ城が見えてくる』
「え?」
前を見ると、さっきの「最果ての砦」と同じように、切り立った岩山が並んでいる。
違うのは、その山が、大きな湖を半分囲むように並んでいること。
「砦」って言う表現は、こっちの方があってるかも知れない。
湖は、吸い込まれそうな深い藍色。どのくらい深いのか、想像もつかない。
そして何より印象的なのは、湖の中央にある島。
島、というか、湖を取り囲む山を一部切り取って、湖の真ん中に置いたような感じ。
「これが……」
これが、竜皇のお城だった。
神殿は山の上にあった。それを本殿、上神殿と呼んで、その山のふもとには下神殿と門前町がある。
その町までをいれた神殿の領域と同じくらいの広さ。もしかしたらもっと広いかも。
切り立った崖の中腹には、大きなテラス状の広場。
それに面して、巨大な扉が見える。
その扉から上は、遠めにもかなり広そうな庭園や回廊が見える。いわゆる「お城」。
見た感じ、お城の部分は大きいことは大きいけれど、人間のお城とかとあんまり変わりなさそう。
人間用でも、神殿も回廊の幅とかやたら広いし、天井とか無意味に高いし。
とりあえず、竜皇が生活するには、狭そうな感じ。
そして、お城の最上階に当たる部分には、もうひとつのテラス。
広さは神殿の儀式の間と同じくらい。なにか複雑な模様が床に描いてある。
「すごぉい……」
どうやって、こんな所にこんなお城作ったんだろう。
『此処は、大陸の北の果て。湖を囲む山を越えれば、向こうは海だ』
「……うみ? 湖とどう違うの?」
海。聞いたことはあるけど、見たことは無い。
神殿から出たことないから、当たり前なんだけど。
『水であることに変わりはないが。そうだな、湖は周囲を陸に囲まれているが、海は大陸を囲んでいる』
「……?」
よく、わからない。
『世界は海に覆われている。その中に、大陸という巨大な島がある』
「むー、よくわからない」
だって、そうしたら海のはじっこはどうなってるの?
『あとで地図を見せてやろう』
竜皇はお城の上を何度か旋回する
お城の部分だけじゃなく、島というか岩山の中腹のテラスも、水面からはかなり高い位置にある。落ちたら冗談じゃすまないくらい。
でも、上から見た感じだと、ほかに城の入り口はなさそう。
「このお城って、空からじゃないと入れないの?」
『そうだ。だから、城の外に出たくなったときは必ず言いなさい。周囲は崖だ。翼の無い身では危険だろう』
「はい」
竜皇は中腹の大きなテラスに下りた。
そして、カゴが降ろされる。
自然に開いた入り口からカゴをから出ると、テラスに面した巨大な扉が開いた。
竜皇でも楽に通れそうな大きな廊下。それが続いて、その先にはもうひとつの扉。
奥の扉も開いて、その奥に大きな広間があるらしいことがわかる。
『我が城へようこそ、新しき巫女姫』
そして、深夜、月が中天に上ったら儀式があるからと言われて、連れてこられたのは、お城の最上階の、床に何か模様があるテラス。
私の正面には、竜皇がたたずんでいる。
そして。
私にまっすぐに視線を合わせて。
静かに、竜皇は呼びかけてきた。
『少女よ』
私もまっすぐに見つめ返す。
もう、怖くはない。
ただの人間と、神の差は感じるけど。
『其方は、何を望む?』
私の……望み? それは……。
「竜皇の巫女に」
不思議なほど、迷いはなかった。
『人の噂では、竜皇は巫女を喰らうのだと言う。それでもか?』
「はい」
何でだろう。私、笑ってる気がする。
例えそうなら、それでも全然構わない。そんな気がする。
『……物好きなことだ』
竜皇は、ちょっと溜息をついたらしかった。
『少女よ、名は?』
そういえば、一回も名前で呼ばれたことがない。
「オニキスです」
『それは、真の名前か?』
ああ、そういう意味か。
「神殿に拾われる前のことは、なにも覚えていません。だから、自分がどういう生まれなのか、なんていう名前なのか、わかりません。オニキスというのは、前の神殿長様がつけてくれた呼び名です」
真の名前。
一般の人には、名前は一つしかないけど、王族とか、貴族とかそういう人たちは、表向きの名前のほかに「真の名前」というのを持っている。
大体は、真の名前を略して表向きの名前にしてることが多いらしい。
なにか、魔術的な意味があるって聞いたことがある。真の名前はその人あらわしていて、その人を支配することができるんだって。
『では、其方に、竜皇の巫女としての名を与える』
姿勢をただして、竜皇をまっすぐに見つめる。
『シエルラスティア』
言葉と同時に、体に襲い掛かってくる重圧感。
竜皇に名前を与えられた瞬間から、私の真の名前はそれになっている。
竜皇の魔力のある声で、真の名前を呼ばれることの重圧感なんだろう。
「シエルラスティア」
呟いてみる。
『ティア』というのは、たしか『女神』っていう意味だった。
王族でも、一部の国でしか使えない、高貴な名前だって聞いたことがある。
ただ、その前の『シエルラス』の意味はわからない。
『誰かに名乗る必要なない。真名であるゆ故に、私も普段その名で呼ぶ事は無い』
でも。
「名前を聞かれたときは?」
『神殿の者には巫女姫と呼ばせればよい。巫女という身分を明かせないときは、オニキスでも、他の名でも、好きな名を名乗ればよい』
「はい」
シエルラスティア。ちゃんと覚えておこう。
『我も普段は「シエル」と呼ぶことにする。良いか?』
良いも何も、他にどうしろっていうんだろう。
「はい。名前をありがとうございます」
作法どおりに一礼して、それから竜皇を見上げる。
「ところで、どういう意味ですか?」
竜皇は、少し沈黙して、言った。
『それは、いずれ話そう』
なんとなく、納得がいかない気もするけど。
まぁいいか。
そんなわけで、私は正式に、竜皇の巫女……巫女姫になったらしかった。




