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竜皇といっしょ。  作者: 凍雅
番外編
39/41

開かれた籠の鳥 4

竜皇視点。シエル編1部「赤と黒の眷属4~7」「『姫』1~3」あたりの裏側です。

「イヌ」のぬいぐるみの使い道はもちろんそういうので。

 あの時。

 日の沈まぬ夜、紅き月の下で。

『其方に、竜皇の巫女としての名を与える』

 その身を縛り付ける名を。

『シエルラスティア』

 与えたのは、何故だったのだろう――。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「また来たのか」

「これも務めですので」

 少女を預けてから、ウォレフは三日と空けずに、報告と称して城を訪れていた。

 しかし、それが次第に五日に一度になり、更に間が空くようになってきている。

 話を聞く限りでは、少女はプリマヴェーラの主と上手くやっているようで、特に報告を受ける必要もない。

 そもそも、もう、手放した少女だ。

「本日は、姫より伝言が」

 故に、その言葉は意外なものだった。

 視線を向ける。

 それは、只人であれば、息の根が止まる程の冷気を帯びているはずだが、人ならぬ身のこの男には効く筈もない。

「巫女姫の秋の装束をあつらえておりまして」

 それは。

「大変お似合いでいらっしゃいましたよ」

 それは、もう、少女が身にまとう必要のないもの。

「姫より御伝言です。巫女の勉強は竜皇に教えてもらうしかない、早く帰って教えて貰わなければいけないはずだ、と」


 ――莫迦な。


「姫は今でも、こちらに戻りたがっておいでです」


 ――そんな事が、あるはずが。

「――何故だ」

 やっと、咽から絞り出した声は、酷くかすれていた。

「私では、わかりかねます」

 それならば、何故伝えるのか。

「ですから、私は只、伝言をお伝えするだけです」

 何故だ。

 何故、巫女姫の装束を用意する。

 何故、巫女姫であり続けようとする。

 何故――。

「皇」

 静かな呼びかけに、思考の渦から脱する。

「何故だ」

「……姫も、そう思っておいででしょう」

 何故だ。

 人の世で、人としての楽しみを知った筈ではないのか。

 それとも。

「念の為申しあげますが、屋敷の者達との関係は良好です。無論、ソイエとも」

 察したのか、問う前に答えが返ってきた。

 それならば、なおさら。

「姫が、御自身で選ばれたのだとは、思われないのですか?」

 そんなことがあるはずが――。

「御自身で、お確かめ下さい」

 それは、私に少女に会えと。

 何の為に、今まで避けてきたのか。

 それがわからぬ訳でもあるまいに――。




 竜は、己以外に同族もない。

 神と呼ばれる位置やその力に並ぶ者も、この時代、この世界には存在しない。

 孤独であるが故なのか、己と他者との距離が上手く測れない。

 言ってしまえば、関心を持つものと持たぬものへの態度が、極端に過ぎるということ。

 関心がなければ、目の前で殺戮が行われていようが、一切関知しない。

 その反対に。

 これ、と選んだものへの執着には、激しいものがある。

 妄執と呼んでもよい。

 さらに、愚かなのか、素直であるのか、なかなか心変わりをしない。

 巫女姫は、その際たる物。

 人から見れば、巫女姫は竜皇に仕える者。人と神の間を繋ぐ者。

 しかし、それは全くの間違いだ。

 巫女姫は、竜皇にとって唯一の存在。

 この世で唯一、神である竜を御しうる存在。

 それ故に、卑小な人の身でありながら『女神』の名が与えられる。

 竜が、選んだ巫女に対し向けるのは、並ならぬ、執着。

 その幸福を祈りながら、その関心が他のものへ移ることを懼れ、閉じ込める。

 巫女姫の乗り物が鳥籠の形であるのは、その身の上を表した物。

 聡ければ、一目見た瞬間に理解するだろう。そうでなくとも、いずれ宣託の折りに籠に乗れば気が付くはずだ。

 巫女姫とは、竜に捕らえられた小鳥であるのだと。




 それから数日。

 ウォレフは毎日のようにやって来ている。

 しかし。

「どうした?」

「……いえ、何でもありません」

 日々、何かやつれていくような気がしていたが、流石に今日は異常だった。

 浅黒い肌は、それでもわかるほどに血の気を失くし、額には脂汗が滲んでいる。

 何らかの魔術的な干渉を受けている事は明らかで、本人がそれに気づかぬ訳もない。それを排除もせず、甘んじて受けているということは、相手はあの女なのだろう。

「呪詛か。お前が同意しているとはいえ、人の身でそこまでの術を組み上げるとは大した物だな」

 能力だけで言うならば、ウォレフの能力は大陸でも屈指。本来ならば、黒狼の一族の長、更には東方の眷属を束ねる身となっていてもおかしくはない程だ。

「……呪詛されるのに、同意した覚えなどありませ、――っ!」

 喉元を押さえ低く呻く。

 同意はしなくとも、恐らく何かの代償として受け入れることになっているのだろう。

 狼は本来、何かに固執するような種ではないはずだが、様々な意味で規格外であるらしい。


 否。

 それ以前に、弱みを握っていたとしても、此処までやるあの女の方が、人間の規格から著しく逸脱しているという方が、事実に近いだろう。


「とにかく、一度、巫女姫と直接お話下さい」

 荒い息の下で、この数日繰り返した言葉を紡ぐ。

「歳満ちるまで、養育を任せると、そう言った筈だ」

 同じだけ繰り返した言葉を返す。

「その間、全くお会いにならないとは、伺っておりません」

 呪詛が効いているのか、珍しく喰らいついてくる。

「まして、紫の日は間近。貴方はまた、人間から謂れのない謗りを甘んじて受けるのですか!」

 秋の紫の日、つまりは西神殿への神託の日に巫女姫を伴っていなければ、『竜は巫女を喰らう』との噂を確信させることになるのだろう。

 それも、やむを得ない。

 沈黙を肯定と取ったのだろう。

 ウォレフは、ぎり、と唇を噛み締め、何かを言いかけ。

「――――!!」

 声にならない絶叫と共に、悶絶した。


『あ、やば』


 ウォレフに絡みつく魔力から、僅かに焦りの混じった――この状況でも僅かしか焦っていない、呟きが伝わった。

「……皇」

 膝を付き、途絶えそうになった息を整えながら、低い声がした。

「鏡をつなぎます。場合によっては、鏡越しにお話いただくことにもなるかと、思いますので、そのように」

 よろめきながら、広間の端へ歩いていく男を見送り、玉座へ戻る。

『これでよいか』

「はい」

 男の手が鏡に触れると、鏡の中に映りこんだ暗い広間が大きく歪み、そして、光に満ちた部屋を映し出した。




「ソイエ! 貴様何を!」

 黄金に輝く数多の蝋燭の灯火の下。

 深紅の絨毯の上には、やはり紅のドレスをまとった、眩い赤銅の髪の女。

『あら、ちゃんと生きてるのね。頑丈で何よりだわ』

 恐ろしいことに、その言葉には僅かな安堵が見られるものの、悪気は微塵も感じられない。

「だから、何をしたと聞いている!」

 日頃冷静な狼が、此処まで吼えるのも珍しい。死に掛けたのだから、当然だろうが。

『ええと、ちょっとやりすぎて、綿が出ちゃったわね』

「明らかにやりすぎだ! こっちは腸を抉り出されるかと思っただろうが!」


 ……『わた』?


 見ると、女の足元には狼が転がっており、確かに腹が裂けて『わた』、ぬいぐるみの詰め物である綿が飛び出している。

 恐らく、あれが呪詛の元なのだろう。

 狼の姿を模した形代を使い、形代に害を加えることで、本体へとその影響をもたらす。

 故に、形代がその有様ならば、本体にも、腸を抉り出されるほどの痛みがあるはず。

 いかに眷属といえど、それほどの痛みを、容易に耐えられる物ではない。

 そもそも、どのような経緯かはわからないが、良くあんな物騒な物を作ろうとし、また作るのを赦したものだ。

『話が一向に進まないからよ。アンタで話が進まないなら、私が話す』

 何か包みを持ったまま、鏡に近寄ってくる。

『そっちに行けると、有難いんだけど?』

 ウォレフが無言で私を見る。

 形代が壊れたことで呪詛の縛りは消えたようだが、本人には、もうあの女をやり込めるだけの気力がないのだろう。

『仕方があるまい』

 呼ばぬほうが賢明だと本能が警鐘を鳴らしているが、この場はそうするより他ない。

「では、連れて参ります」




「ご無沙汰致しております。プリマヴェーラの主、ソイエに御座います」

 十年前、ウォレフに半ば隠れるように対面した少女は、臆することなく、正面に立って一礼した。

 上げた貌、透明度の高い赤褐色の瞳に宿る怒りに近い厳しい感情は、かつて代替わりの挨拶をした折と変わらない。

 否。より、激しくなっている。

「この度は、巫女姫様を当家へお預けくださいまして、有難く存じます」

 神を前にしても毅然と、女は立っている。

「ですが、此度の竜皇様のなさりようには、一言申し上げたく、参上いたしました」

『神に、意見すると?』

「はい」

 はっきりと、言い切った。

「私は、竜皇様に仕える身ではありません。この身は、巫女姫の眷属」

 真っ直ぐに、決意を込めた視線が向けられる。

「巫女姫は人でなく、眷属でなく、神でなく。生まれながらに孤高な竜とは違い、巫女姫となることで孤独になる者。竜と共にあることが、その使命。存在意義である使命すら、それを与えたはずの竜に否定されたならば、巫女姫はどうすればよいのですか」

 静かでありながら、回避することを赦さぬ問いかけ。

「故に、私達が存在致します。巫女姫の眷属の意味は、単に巫女姫の生活を支えるだけではありません。神に眷属があるように、巫女姫には私達眷属がおります。ただ、竜と眷属の関係が、力による上下関係に根ざしているのとは違い、巫女姫とその眷属の関係は情によるもの。人間の約束という、ささやかなもの。けれどそれは、時として、力による主従よりも、魔術を用いた契約よりも強い物となる」

 一つ、息を吐いて、赤い女は続けた。

「巫女姫の眷属の最大の勤めは、万一のとき、絶対に巫女姫の味方である事。竜と対立し、眷属、人間、この世界の全てを敵に回したとしても」

 静かな口調のまま、声に熱が込められる。

「私は、あの子の味方です」

 通常ならば、人間の戯言と流してしまうところだ。

 しかし。


『お前に何ができる』

「何も」


 問いに対し、怒りすら覚える程に、簡潔な答えだった。

『何?』

「必要なのは、姫を支持する存在がいるということ。姫の孤独を僅かでも和らげるようにすること。姫の為に、良かれと思うことを為すことなどは二の次です。ですが」

 じり、と一歩踏み出してくる。

 その瞳は、怒りに染まる。

「本来であれば、姫をお預かりしたときに、確認しておくべきことでした」

 それも、自身のものではなく、他者の為の怒り。

「本来、巫女選びの儀式に立つ筈のない、幼い子供。その少女を、憐れんで助けただけなのだと」

 白い細い指が、その胸元に飾る竜髄石を撫でる。

「事情は違えど、姫は、この石を頂いたプリマヴェーラの祖と、同じ様な身の上なのだと、思っておりました」

 あの女と同種に入れられるのは、非常に不愉快だが、そう思うのも道理だろう。

「七〇年以上前、神殿に利用し尽され、逃げ延びる最後の手段として巫女選びの儀式に臨んだ曾祖母を助け、この地に、我が血筋にもたらして下さいましたことは、この上なく感謝いたしております」

 あれは、助けたと呼ぶのだろうか。

 竜を前にしても、一切の怯えを見せず、端的に己の要求を突きつけてきた女。

「その後、神たる竜皇様に不名誉な噂を付きまとわせることになったことについては、お詫びの申し上げようも御座いません」

 私はそこまで悪食ではない。

 それに、あの女なら、万一喰らったところで、自力で腹を蹴破って出てきかねない。

「ですが」


 見上げてきた不遜な貌に、覚えがある。

 あまりに似すぎている。


「巫女姫としての名を与えているそうですね」

 対する者が神であろうと、一切退くことのない眼差し。

「ならば、お尋ねします。戯れに拾われたのならば、何故、銘を与えたのです」

 そして、怒鳴るのではないが、広間に響き渡る声で。

「銘を与えたならば、何故、捨てるのですか」


 それは、神への糾弾だった。


 元より、この娘は神を畏れず、祈りもしない。そして、怨嗟の声すら遠慮なく吐き出す。

「ソイエ、それ以上は」

「黙りなさい。神の怒りに触れるのならばそれで結構。真実を糾弾され、怒りに任せて只人を殺す、選んだ巫女さえ弄んで捨てる、その程度の神ならば、そんな邪神の守護など受けたくもないわ」

 見るに見かねたウォレフの声も振り返ることもなく一蹴し、ただ、私に向かい合う。

「何が、姫にとって一番良いことかを決めるのは、姫自身。勝手な思い込みで、姫の選択肢を狭めるべきではないでしょう」


 ずっと小脇に抱えていた包みを解く。

 中から現れたのは、青いぬいぐるみ。

「これが、何だかお分かりになりますか?」

 ぬいぐるみだ。その程度のことはわかる。だが、その姿は。


『――竜』


「はい。唯一、あの子が自分から欲しがったものです」

 唯一?

「竜皇は、あの子の笑顔を見たことがありますか? あの子が何かを望むのを聞いたことがありますか?」

 当然だ。少女は表情が豊かで、いつも笑って……笑って、いた、はずだ。

「一見すれば、いつも笑っていたようにも見えるでしょう。でも、それが半ば条件反射、神殿での生活の中で培った仮面であることを、わかっていて見過ごしていませんか。それに、きっと、あの子は泣いてもいないはず。笑っても、泣いても、それは、素直な感情の発露ではない。感情は、ずっと奥に封じられている」

 女は一つ溜息を吐いた。

「望み――欲求に至っては、もっと、抑圧している。あの子はきっと、他人に促されなければ、どれほど空腹でも食事すら要求して来ない。ずっと、声を掛けられるまで、求めても良いのだという許しを得るまで、耐えるでしょう。暑さも寒さも、寂しさすら、耐えることは知っていても、救いを求めることは知らない」

 それには、思い当たることがあった。

 少女は何かをしたいとか、何かが欲しいとか、そういう言い方は一切しない。

「それでも、望んでいるであろうものを、先読みして与えることはできる。でも、それではきっと、あの子が一番求めている物が、あの子の手に届かない」


 女は、姿勢を糺した。

「姫より、一つ、質問をお預かりしております」

 質問。それは。

「そのままの言葉でお伝えします」

 自然、こちらも居住まいを糺す。


「『私……竜皇にも捨てられたの?』と」


 それは。

「答えは二つに一つです。ですが、答えがどちらであろうと、ご自身で伝えるべきでしょう。伝言では、絶対に納得するはずがありません」

 まさか、そのように思っていたとは。

「申し上げる事は以上です。姫の問いにだけは、はっきりとお答え下さい。もしも、竜皇が捨てるのならば、私が頂きますのでご心配なく。ただ、その折、その御身の鱗の二、三枚は頂いて参ります」

 鱗を?

『何の為に』

「流石に神には効かないかも知れませんが、この中に入れます」

 ぬいぐるみを掲げる。

 それは、それを形代にするということか。

「神には神の想いがあり、苦しみがあるのでしょう。ですけれど、私のような卑小な人間としては」

 白い指が、ぬいぐるみの喉を絞める。

「女の子を泣かせるような男には、それ相応の罰を与えなければ気が済みませんのよ」

 その、紅い唇に浮かべた笑みは、いっそ壮絶と呼べる。

「今のところ、とても大事にしていらっしゃるようですから、詰め物が飛び出したり、手足や首がもげることはないと思いますし、神にどの程度呪詛が届くものかは、わかりませんが」

 それでいて、瞳は冷酷なまでの怒りを湛え。


「あの子の苦しみの一部でも、感じ取ればよろしいですわ」


 断罪するように、言い放った。

女公爵様無双。

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