開かれた籠の鳥 2
竜皇視点。シエル編1部「赤と黒の眷属1~3」あたりの裏側です。
鳥は、空へ。
獣は、野へ。
それならば――人は、里へ。
いつものように、朝起き出してきて、幸せそうな顔で朝食を頬張り、いつものように皿を睨み、食後の紅茶をのんびりと満喫している少女に、話を切り出した。
『行儀見習いに行ってきなさい』
唐突に切り出した話に、少女は何事かとこちらを見た。
「ぎょーぎみならい?」
そして、カップを両手で持ったまま、首を傾げる。
『そうだ。わかるか』
まさか行儀見習いくらいは知っているかと思ったが、わからないのだろうか。
少女は暫し考えこみ、ああ、と頷いた。
「うん。神殿とか偉い人のお家に、勉強に行くことでしょ?」
そう言って、のんびりとカップを口に運び。
「私、神殿に返されちゃうのぉっ!?」
はたと気が付いたように、珍しく大きな声を上げて立ち上がる。
余程慌てていたのか、普段ならば有り得ない事に、カップをテーブルに叩き付けるように置き、その勢いでカップが倒れ、テーブルクロスに赤茶色の液体が広がった。
「きゃぁぁぁっ!」
こぼれ出たカップの中身に、転がるカップの姿に、そして、白い布に広がる赤茶色の染みに。視線をめまぐるしく動かしながら、困惑して声にならない悲鳴を上げ続ける少女に声を掛ける。
『……落ち着け』
「だってだって神殿に紅茶がカップでテーブルクロスをっ!」
相当に混乱しているらしい。
『落ち着けというのに』
なだめるようにもう一度言い、精霊にテーブルを片付けて、紅茶を入れなおす様に指示する。
「だってぇ……」
じわりと潤んだ眼が、私に向けられる。
どうやら『神殿』は予想以上に、少女にとって禁忌の言葉であったらしい。
『誰も神殿に戻すとは言っていない』
その点は、まず、誤解を解かなくてはならないだろう。
「神殿じゃないなら、どこ?」
少し落ち着いたのか、大人しく席に着き、入れ直させた紅茶に口を付け、聞き返してきた。
心なしか、わずかに青みのある深い緑の瞳に、不安そうな色がうかがえる。
神殿に拾われる以前の記憶がないのならば、少女の知る場所は、神殿と門前町の一部、それにこの城くらいのもの。不安になるのも仕方がない。
『巫女の眷属の話はしたと思うが』
「うん」
確認すると、少女は頷き返してきた。
巫女の眷属。
竜皇の巫女姫に仕える者。
巫女姫と、人の世の、神殿とはまた違った接点となる存在。
その役割は、巫女姫の衣食の世話を中心に多岐に亘り、単なる主従関係では説明しきれぬ、重要な支えとなる。故に『眷属』
人の中で、巫女姫の次に、巫女姫を例外とするならば、四方神殿の神殿長たちよりも、私――竜皇に近しい者だと言える。
『今いる巫女の眷属の名はソイエ。身分はフルヒリング王国プリマヴェーラ女公爵』
以前はもう一つ、長く代々巫女の眷属を努めていた一族がいたが、それも絶えてしまい、現在では、眷属はこのプリマヴェーラのみとなっている。
巫女姫を迎える気などなかった為、巫女の眷属の必要性も感じていなかったが、万が一の折に、依るべき相手が一つに限られるのはあまり好ましくないか。
しかしそれも、わずかな間の事だ。
恐らく、そのような心配など、抱く必要はなくなるだろう。
少女は暫し考え込むと、記憶の糸がつながったのか、尋ねてきた。
「竜髄石を持ってる人?」
驚いたことに、少女でもその名を知っているらしい。
確かに、様々な意味で、広く名が知られているようだが。
『竜髄石は、巫女の眷属の証として与えた物だ』
竜髄石は、竜皇が人に下賜する物。
神代の竜の骨が宝石と化したものだとも言われるが、実際の正体はよくわからない。
確かなのは、この北の果てにしか存在せず、眷属にしか掘り出せぬものであるという事、それに、石そのものが強い魔力を持っている事。心の弱い人間であれば、目にしただけで正気を失いかねない程に。そして、長く石を身につけていると、石の放つ魔力が所有者に蓄積し、魔力を持たせる事ができる。
その為、竜髄石は小さな国と同等の価値を持つとさえされるらしい。故に、所有していることを明かせば、竜髄石を求める者に命を狙われることも多い。正当な所有者から無理に奪い取れば、石の力は弱まるが、それでも人の身には過ぎたものだろう。
『まず、監視役に会わせよう』
「監視役?」
少女が、何故監視されなくてはならないのかと、わずかに不満気な表情を見せる。
『巫女の眷属としてふさわしくあるかを、監視する者だ。その地位を私利私欲の為に使わないか、役目を果たせるだけの人格であるか、財力があるか。そう言ったものを見極めるために、置いている』
基本的に、竜髄石を渡す相手は、竜皇と何かしらの関わりがあった人間。全てが巫女の眷属になるとは限らないが、竜が人の世に関わらねばならぬ時には、緩衝役となることを約束するものだ。
巫女の眷属であるならば、巫女を預けるに値する人格のものであるか、巫女の世話をするだけの財力があるかを。そうでなくとも、竜皇が人の世に干渉するときに、間に入って世界に影響を及ぼせる程度の地位を持っているか、などの条件が必要となる。
尤も、石を渡した時点で、その全てを兼ね備える者は珍しい。大抵は、人格以外については、石を預けた後に、得ていく事がほとんどだ。
それ故に「竜髄石を持つ物は、王になれる」とも言われている様だが、それは根本が間違っている。
竜髄石を持つが故に、王になるのではない。
王になる素質が有る者だから、石を託す相手たりえるのだ。
『竜髄石を守らせるためのものでもある』
それでも、竜髄石を悪用されることは避けなくてはならない。監視者を置くのは、その為でもある。
「人は? 守ってくれないの?」
『人間同士の諍いには、一切関知することは無い。それが、人と、神の眷属との間の掟だ』
少女は、やや納得がいかないような顔をしている。
しかし、これは不文律でありながら、絶対的な掟。
巫女の眷属が人の諍いの中で命を落とそうと、それが予見できようと、基本的に手出しすることはできない。
冷酷だと言われようが、その程度の者には、巫女の眷属たる資格がないと切り捨てる事になるのだ。
広間の奥、一段高くなった玉座に座り、少女を呼ぶ。
前足の爪の上が、神託や謁見の際の、巫女姫の定位置。
この少女を此処に座らせる事はもう、恐らくないだろうが。
『ウォレフ』
正面の入り口に向かい、声を掛ける。
扉が開き、入ってくるのは一見すれば人間の青年。
本性は漆黒の狼。プリマヴェーラ一族の監視役を、数十年任せている。
「参上いたしました」
人間のように膝を付いて、私に一礼をすると、足元の少女に目を向ける。
そういえば、直接会わせるのは初めてだったか。
「巫女姫様には、初めてお目にかかります。北東の守護、黒狼の一族、現在は巫女の眷属の監視役を務めております、ウォレフと申します。御見知り置きください」
「はい」
少女は、戸惑ったように短い返事をすると、私を見上げてきた。
「こくろうって?」
『狼だ。漆黒の狼』
答えるが、怪訝そうな顔で、ウォレフを見ている。
『眷属は、人に近い姿と、獣に近い姿を併せ持つ』
それは教えたはずだが。
確かに、ウォレフの姿は「人に近い」よりも「人間そのもの」であるかも知れないが。
いや、それよりも。
その期待に満ちた眼差しは、何だ?
ウォレフを見やると、わずかに困惑した表情を返してきた。
『……狼が、好きか?』
そういう問題ではない気もしたが、問いかけてみる。
「本物見たことないのっ」
確かに、この少女は好奇心が強く、何度か神獣などを呼び出したことはあるが。
『……だ、そうだが』
「巫女姫のお望みでしたら」
やや投げやりに言うと、諦めの混じった答えが返ってきた。
「では、御前ですが、失礼申し上げます」
そして、男が狼に姿を変える。
「うわぁっ」
少女の口から感嘆の声が上がる。
「竜皇、あのねっ」
次に来る言葉は予想ができた。
『……好きにするといい』
少女は真っ直ぐに狼に近づくと、毛並みを撫で始める。
何故かひどく楽しげだ。
やはり鱗よりも毛皮の方が好きなのだろう。
『面倒をかける』
少女には聞こえない、魔力を介した声で会話を進める。
『……慣れています』
達観した響きに、日頃の苦労の片鱗が伺えなくもない。
『ところで、本当によろしいのですか?』
『何か、問題があるのか?』
現在のプリマヴェーラの主はソイエ。直接会ったのは、代替わりをした十年前になるか。
この数年でフルヒリングの国情を安定させた、現在は大陸でも相当に名の通った存在である。
代替わりした時の事情から、監視役のウォレフが人の姿で付いていた。そして、禁忌に触れるのを承知で、今でも人の姿で傍らに在り続けるだけの相手でもあるのだろう。
『……何を問題とするかによりますが』
歯切れが悪い。
『巫女姫に人の世を学ばせるのが目的であるならば、他に巫女の眷属がおりませんので、仕方がありませんが』
『身分も、地位も、問題はないと思うが』
何よりも、まだ若い女であることが、少女にとっても馴染みやすいだろう。
『……何よりも、本人の性格に大きな問題が』
それは。
『自分の女の趣味が悪いという事になるが』
『何とでも。とにかく、異議を唱えましたことは、記憶に留め置かれますように。後々に、私に責任を求められても困ります』
投げやりに聞こえるのは気のせいか。
『何よりも、これだけ純真な方は非常に稀です。あえて、世俗に汚されることはないと思いますが』
『純真であることと、無知であることは、紙一重ではないのか?』
確かに、このまま巫女姫として置く分には、人の世の事など知らぬ方が良いのかも知れない。
しかし。
『まだ幼い。巫女姫となる事の重さを知った上で、選択ができるだけの判断力があるとは思えぬ』
狼の毛並みを撫でている少女を見る。
巫女姫となる選択をしたものの、その存在の重さを恐らく理解できてはいないだろう。巫女を選ぶ儀式の最中に、役目を問う事自体がその証拠。故に、答える時に、非常に大きな役割を、あえて伏せた。
そもそも、少女には選択肢がなかったのだ。
巫女姫となるか、身を寄せるあてもないまま神殿を出るか、という選択しか。
本来ならば、あと四年は神殿に身を預けておくべきだ。しかし、先の神殿長ならばともかく、現在の北神殿に預けておくことは、できなかった。巫
女姫の役割を知りながら、年端もいかぬ少女を儀式に臨ませるような神官達に、信用を置くことはできない。
『歳満ちるまで、養育を任せる』
『皇、それは……』
その間に、人の世の楽しみを知るだろう。
ひなびた地に、人ですらない者とともに在ろうとは、考えなくなるだろう。
恐らく、それでよいのだ。
『……後悔、なさいませんか?』
するかもしれぬ。
だが。
『鳥は、空を飛ぶものであるそうだ』
このまま、少女に巫女姫の責務を負わせても、きっと後悔するのだろう。
『ならば人は、里に在るべきものだろう』
『シエル』
名を呼ぶと、少女が顔を上げ、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
頭を床すれすれまで下げ、迎える。
「なに?」
『行ってくるがいい』
「いまから!?」
『そうだ』
急な話に驚くのも無理はないが。
「巫女の眷属の方には、巫女姫をお迎えする準備はできております」
ウォレフは人の姿に戻っていた。何かと不満があるようだが、命令には忠実だ。
「いつまで?」
何気ない問いに、一瞬、言葉が詰まった。
『――ある程度の知識を身につけてくるまで、だな』
何を言い訳じみた事を言っているのだろうか。
「ある程度って?」
『少なくとも、貴族の子女程度の、教養と知識、所作を』
行儀見習いらしい事を並べてみる。
「途中、帰ってきても、いいよね?」
まさか、そんな言葉が出てくるとは、思いもしなかった。
『――そう、したいのならば』
視線で、軽くウォレフを促す。
既に広間の隅にある鏡の前に立っていたウォレフが、物言いたげな表情で頷き、穏やかに少女に声を掛ける。
「では、巫女姫、参りましょうか」
「鏡?」
今まで布をかけて隠していた為に、気が付いていなかったらしい。
『空間を繋ぎ、離れた場所へ移動できる魔法がかかっている。今は、フルヒリング王国の王都にあるプリマヴェーラの館につないでいる。あの鏡を通り抜ければ、よい』
魔法に触れた事などないのだろう。
首を傾げる少女を促す。
『行くがいい』
恐らく、戻ることはないだろうが。
「うん」
だというのに、少女は私の鼻先に両手を広げて抱きついてきた。
「行ってきます」
そして、何度か振り返りながら、鏡の前に立つウォレフの元へ向かう。
初めて見る魔法にうろたえ、振り返ろうとする少女を止めさせる。
「参りましょうか、巫女姫」
「あ……はい」
ウォレフは最後に、やはり物言いたげな視線をこちらに向け、少女を連れて鏡の中へ吸い込まれていった。
これでよい。
ただの鏡に戻ったその面に映るのは、薄暗い広間。
広間を満たすのは、音を立てる者も、声を上げる者もない、静寂。
つい先程とは、少女の姿が消えただけだというのに。火の消えたような、とはこのようなことだろうか。
例えその姿が広間になくても、その存在がこの城の中にあるというだけで、城の空気は和み光が満ちていたようにさえ思える。
だが。
これでよいのだ。
これが、本来あるべき、竜皇の城の姿。
世界にただ独り、最後に残された神。
この世に生まれ出たときから、大陸を守護することを運命付けられた、誰よりも強力な力を持ち、同族もない、唯一の存在。
穏やかさも、輝きも必要はない。
必要な物は、威厳。
親しむべき存在ではなく、畏怖すべき者。
竜皇とは、そうでなくてはならない――。




