開かれた籠の鳥 1
竜皇視点。シエル編第一部「竜皇の巫女姫」あたりの裏側です。
開け放った窓の側で、少女が小鳥と戯れている。
城の庭に棲み、今まで人間を見たことが無い小鳥達は、臆することなく、かえって物珍しげに、少女にまとわりついている。
一方の少女も、読んでいた本を閉じて、小鳥たちに応じている。
「うにゃぁ! 髪がからまるから、頭はだめーっ」
いや、小鳥達に遊ばれているというか。
『籠がいるか?』
「カゴ? なんで?」
振り返った拍子に、小鳥は飛び立った。
「あー」
『逃げてしまったではないか』
「うん。でも、また遊びに来てくれたらいいし」
窓の外へ去って行く鳥たちに未練の欠片も見せず、にこやかに手を振ると、少女は本を抱え、私のほうへと歩いてくる。
「それで、なんでカゴなの?」
何故かと問われる事自体が予想外だったが、この少女の育った環境を考えるならば、仕方がないのかもしれない。
『人は、小鳥を籠に入れて愛でるのではないのか?』
「うーん」
少女は、まだ幼さの残る姿に似合わぬ、険しい表情で考え込んだ。
この表情の次に出てくる質問というのは、大概、答え難いものが多い。
「なんで? 鳥は空を飛ぶものでしょ? 閉じ込めちゃったら、飛べないじゃない」
何故か。
そのようなことは、竜である私にはわからない。理解できたとしても、腑に落ちないものが残るだろう。
――否。
残った、だろう。
気付かないのだろうか。
自らが、その小鳥であることに。
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少女は大広間の隅に仮の部屋としてしつらえた天幕で覆った寝台の端に腰掛けて、本を広げている。
私がすぐ傍で寝そべっていても、恐れる素振りは欠片もない。
むしろ、広間の上にある、人の為にある城の無数の部屋の中から、好きな部屋を選んで使えと言っているにも関わらず「迷子になるから」と広間の片隅に好んで居ついている。
その小さな体は、私が軽く身じろぎしただけでも、尻尾に跳ね飛ばされ、爪に引き裂かれ、足に踏みつけられ、翼の生む風に吹き飛んでしまうというのに。
実際、軽く息を吐いただけで、その風に体が宙に浮いてしまっていた。
このような物騒な生き物の傍にいたいという気持ちは、まったくもって理解の範囲を超える。
神殿の下働きをしていたとはいえ、北神殿の先の神殿長が特別に目をかけていたらしく、基本的な読み書きや礼儀作法などの教育は受けていたようだ。
言葉遣いは少々ぞんざいではあるが、特に不愉快に思うことも無い。
むしろ、私に対してこれほどに砕けた物言いをする者は、人間はもちろん眷属にも、ここしばらくはいなかったので、却って新鮮ですらある。
好奇心が強いのか、今まで知識欲が満たされなかった反動もあるのか、少女からは、ごく些細な疑問からかなり複雑な学問について、さらに、先程のような聞かれたところで上手く答えの見つけられないようなものまで、次々と問いかけが出てくる。それに答えるのも、他に娯楽も無いこのような辺境の地に連れてきた私の務めだろう。
何より、幼い時分の記憶が無い故か、神殿というある種閉ざされた空間で育ったせいか、ある程度の年齢になれば疑問にも思わなくなるような些細な事を深く考えて、「どうして?」と問いかけてくる少女の相手をするのはなかなかに面白い。
魔力を使って表情を見ることは簡単だが、それでは少女の方から私の表情が見えない。
とはいえ、硬い鱗に覆われ、人間のように柔軟な動きも持たない竜の表情など、そう簡単に読み取れるものではないのだが。
身を伏せ、首も顎も床につけ、横顔を向ける。
それで、やっと視線の高さが合わせられる。
「ねぇ、いつも思うんだけど、その姿勢って苦しくないの?」
軽く小首を傾げて、問いかけてくる。
姿勢がどうのというよりも、一挙一動に気を配らねばならないことの方がよほど気疲れするが、それも些細なことだ。
『問題はない』
「そうなの?」
少女は再び本に目を落とす。
活発で、時折落ち着きのなさも見えるが、基本的には物静かな少女だ。
環境の変化に戸惑いは見せているものの、順応力は高いらしく、一部分を除きこの城の暮らしにも慣れてきている。
それはつまり、今までも独りでいることが苦痛にならないような生活をしていたということなのだろう。
神殿に拾われた孤児で、しかも神殿に保護されるまでの記憶が無い為に正確な年齢はわからず、十二歳ということにしているが、恐らく、まだそれにはわずかに月満ちていないだろう。尤も、数年もすれば、数ヶ月の差など大した違いにはならず、さほど問題ではなくなるので気には留めていないが。
それでも、歳相応よりも小柄な体が気にかかる。
神殿ではきちんと食事をしていたというが、神殿の食事は、既に成長期が終わり、しかも日常あまり身体を動かさない神職者を基本にしている。育ち盛りで運動量も多い少女には、栄養が足りないだろう。
城の管理をさせている精霊が食卓の用意を始めた。夏至を過ぎて間もない今の時期、この北の果てでは、外の明るさなど時刻の目安にはならない。
テーブルにクロスを掛け、精霊が出来上がった食事を運んできた所で、匂いに気が付いて少女が顔を上げた。
「あれ? もうそんなじか……」
呟きと同時に、少女の体が空腹を訴える。
「……う」
頭よりも、腹の方がよほど正確な時間感覚を持っているようだ。
「……聞こえた?」
『何の事だ?』
「絶対聞こえてたでしょ!」
『さあな』
少しむっとした顔を向けながら、少女は栞を挟んで本を置くと、用意された食卓に着く。
並べられた食事は、粗食といった方が良さそうなものだが、少女にとっては十分満ち足りるものであるらしい。
精霊の用意した水差しで手を洗うと、並んだ食事を前に、手をあわせる。
「いただきまーすっ」
来たばかりの頃は、神殿で食事の時に行う祈りの文句を言っていたが、目の前で竜皇――私に祈りを捧げられても、なんとも気まずいものがあるので止めさせた。
食器は先代の巫女姫が使っていた物。
その時代でもかなり高価な品だったのだから、百年近く経った今では骨董品。おそらく、それなりの付加価値が付くのだろう。
その瀟洒な器に対し、用意された食事は器が嘆きそうなほどに質素。
具沢山のスープに果物、パンにはバターとジャム。
何か食べたい物はあるかと聞いたところ、出てきたのがこれだ。
曰く「パンにバターがついていて、甘い物もあったら幸せ」なのだと。
改めて、神殿での食事を聞きだせば、野菜のスープとパンだけだという。それでは、神殿は基本的に粗食で、しかも下働きとはいえ粗末過ぎはしないだろうか。
しかし、他に食べたい物が思い浮かばないのというのが、更に重症だ。
門前町へ行くときに、市の屋台で売っている物を見かけた事があっても、小遣いというものを持たない身なので、しみじみと見た事もないという。
「だって、いい匂いだけでもおなかすくのに、しみじみ見たら、ものすごく物欲しそうに見えちゃうじゃない。そんなことしたら、神殿はこどもにちゃんとごはん食べさせてないのか、って思われちゃうでしょ」というのが持論らしいが、実際、食事は与えられていても充分でなかったことは確かだろう。
しかし、それでも「世の中には、ちゃんとごはんが食べられない人がたくさんいるの。ちゃんと養ってもらってただけで、十分なんだから」と言う。どうやら、神殿の門前町にある孤児院の食事はもっと粗末であるようだ。
食だけでなく、衣服についても、何に関しても、無欲。というよりも、欲を持とうにも世の中には何があるのかという知識がなく、しかも、贅沢をすることに対し強い抵抗感を持っている。
城に来て、他に人がいないという環境にも、傍には巨大な竜がいるということにも順応しながら、どうにも慣れようとしないのが、この部分だ。
巫女姫は、竜皇のすぐ傍に仕える神の代理人。
それ故に、用意される物は、食事から衣服、身の回りの小物に至るまで、最高級の品であるのが当然だ。
それが、どうしても慣れないのだという。
実際、食事をした後によく食器を睨みつけている。恐らく、どれほどの価値があるものか品定めしているのだろう。
初めのうちは、食事をする度に、食器に触るのさえ怯えていたくらいだから、まぁ、多少慣れてきたとはいえる。
皿を割ったりなどした日には、どれほどの恐慌状態になるのか、考えるだけでも恐ろしい物があるが。
「ねぇ。竜皇はごはん食べないの?」
果物を剥きながら、問いかけてくる。
『人間のような食事は必要としない。食物を摂ることは不可能ではないが、嗜好品という以外の意味は無い』
人の世界では、竜皇は己の居城に連れ帰った巫女を喰らうのだと言われているらしい。
その噂の元凶となった出来事が一体何であったのかわかるだけに、そのような話が流布することは理解できる。しかし、納得できない物がある。
――喰らうにしても、私にも好みという物がある。あんな女を喰らっては、酷い食あたりを起こすに違いない。
しかし、その噂を知って、誓約の場で巫女を喰らうかも知れぬと言った私に、この少女は穏やかに、それでも全く構わないと笑って見せた。
その笑みは、今でも目に焼きついている。
生に対する諦念でもなく、犠牲になるという意志を見せるのでもなく、ただ、穏やかな微笑。
幼い姿には似合わないが、それは確かに「巫女姫」の微笑といえるものだった。
「じゃあ、何か、ごはんに代わるものがあるの?」
『世界は、様々な生き物の生命力で満ちている。命を奪って取り込まずとも、世界に流れる精気の流れを取り込むことで生命は維持できる』
「生命力が流れてる、ってどういうこと?」
『一つ一つの生き物は、例えれば蝋燭のような物だ。命は、それに灯った炎。大半の生き物は、他の生き物の命の灯火を消し、蝋の部分を己に継ぎ足すことで命をながらえている。しかし、命という炎は、そこにあるだけで光や熱を発している。世界に流れる生命力というのは、そういった命の灯火から溢れ出た光や熱といったものが集まったものだ』
「ふうん。じゃあ、世界に生き物がたくさんいたほうがいいの?」
『そうでもない。人も眷属も獣も小動物も、植物でさえ、全てが世界に満ちる生命力の源になっている。数だけがあっても、その命に活力がなければ、その場所の生命力は弱くなる。むしろ量よりも質だろう。それぞれの生き物が、その命のありようにふさわしく、活力に満ちていることが望ましい』
「そっかぁ」
食事の食器が片付けられ、食後の茶が入れられる。
精霊の姿が見えない少女には、食器が勝手に浮き上がり、動いているように見えて不気味であるらしい。
「おいしー」
『そうか』
贅沢なものを拒絶する中で、何故か茶だけはすんなりと受け入れた。
清貧をよしとする神殿において、来客のもてなしの品であり、また数少ない赦された嗜好品である茶は、少女の知識の中で思い至る最高の贅沢なのだろう。
それにしても、食事をしている時といい、紅茶を飲んでいるときといい、実に幸せそうな顔をする。
「竜皇といっしょにお茶のんだり、ごはん食べたりできたらいいのになって思ったの」
その感覚は、やはり理解の範疇を超えているが。
竜の体躯に合わせた食事となれば、それは人間が食事とするものとは、形状からして大きく異なるだろう。
己の体よりも大きな物を飲み込む姿や、中で泳げそうなほど大きな器で茶を飲む姿を見ながら、平然と食事ができるものだろうか。
つくづく、変わった少女だと思う。
それが、この少女の魅力でもあるのだろうが。
「それじゃ、おやすみなさい」
食後にまた本を読んで、途中出てくる言葉でわからない物を説明し、本を読み終わった後、いくつかの綴りの練習やその他に何やら書き物をして、床に就く。
『おやすみ、シエル』
言葉を返し、天幕を閉める姿を確認する。
広すぎて落ち着かないと、寝台の端の方で眠る癖は治らないらしい。
程なくして、静かな寝息が聞こえてくるのを確認し、体を伸ばす。
寝台は魔力で守っているので、翼を動かしても天幕が風に揺れることも無い。
広間の窓を開け放って、風を通す。
本来ならば、外に出て飛んだ方が効率が高いのだが、城全体が私の魔力の護りの中とはいえ、眠っている少女を独り置いて城を空けるのは気が咎めた。
大気の流れの中、似ている様で異なる、精気の流れを体に取り入れる。
それとともに、この北大陸の様子が、皮膚から伝わってくる。
詳細ではなく、活力に満ちた地域、精気を失った土地、多くの血が流されている場所といったように、生命の活力の程度を知る程度だが。
最近は、血生臭い場所や、精気を失った土地が増えてきている。
『それぞれの生き物が、その命のありようにふさわしく、活力に満ちていることが望ましい』
そうは言ったものの、その命にふさわしい在り様とは、どのような物だろうか。
鳥は空を飛ぶもの。獣は大地を駆けるもの。
それならば。
人とは、一体何だろうか。




