episode
竜皇視点、十数年前の出来事です、
episode「秋の国の王」
「申し訳ありませんが、手短かにお願い致します」
ここ数年では珍しく独りで私を出迎えた男は、挨拶もそこそこにそう言ってのけた。
神託を授けに来た神を迎える人間としては無礼極まりない態度だが、ある程度人となりは知っている。何かしら事情があるのだろう。
翼を畳むと男に向かって問いかけてみた。
『妃はどうした。逃げられたか』
「夫婦仲はこの上なく良好です。力ある言葉を放つ方が、縁起でもないことを仰らないでください」
私――竜皇の言葉には力がある。
常に『力ある言葉』を使っている訳ではないが、それでも不意に発した言葉が魔力を帯びることはある。竜髄石を持つ者には、そう簡単に影響が及ぶことはないはずだが、この上なく妻を愛するこの男には気に入らないものらしい。
大陸の東西南北の端にある四方神殿は、神託を受けると共に竜皇の妃――巫女姫の候補を教育するのが役目であるため、基本的には女性神官がその長となる。その中で秋に降りる西神殿の長だけが男でも赦されていた。
他の高位の男性神官とは似て異なる装束。何よりの違いは頭上に戴いた冠。その中央に輝くのは、深い青でありながら、光の加減によって様々な色彩を交えてみせる宝石。
竜髄石と呼ばれる、竜皇に下賜された者のみが持ち得るものである。
かつての巫女姫が気紛れに幼子を拾い育てた。その子供は長じて竜皇と巫女姫の元を離れると、大陸の西にアウテナ王家を興したとされる。
王冠の竜髄石はその竜皇の養い子から子孫に伝えられたものであり、この伝説故に竜髄石を持つものは王になると人々に言われるようになったらしい。
――人々に伝わる伝承とはまた異なる、竜皇のみが知る事情はいろいろあるのだが。
ともあれ、アウテナの王は竜皇の神託を受ける神官であり、同時に大陸西方の神殿を束ねる長であり、また、今は不在だが竜皇に巫女姫がいれば、巫女姫の眷属として世話役を勤める者でもある。
当代の王は先程無礼な発言をしたこの男だ。
通常は四方神殿の長が女である慣例に従い、女王でないならば妃や姫など王族の女も立ち会うのだが、この数年出迎えに来ていた妃の姿が見えない。
『逃げられたのでなければどうした?』
「臨月で、お迎えに上がれる状態ではないものですから」
『そうか』
通常ならば祝う言葉のひとつも言うべきところだが、安易にそうも言いきれないところがある。
『いつ頃の予定だ?』
「陣痛が始まっていて、今日にもということです。ですから出来るだけ側に居たいのです」
手短かに済ませろというのはそのせいか。
私が降り立つ神殿の程近く、王宮に意識を向ける。何度か対面している王妃の様子を探るのは、力をもってすれば造作もない。
『恐らく夜半頃だろう』
「それほどかかるものですか」
『傍にいたいと言い張ったところで、男手は不要と追い出されて来たのではないのか。勤めは怠らず果たして来いと』
「……口調は違いますがほぼ同じですね」
実に予想を裏切らない者達だ。それが、王にはあまり向かないところでもあるのだろうが。
どこぞの、当主である女のみならずその連れ合いまでもがことごとく想定外な家と、足して割れば程良いだろうに。
『嬉しいか?』
問えば、泣き笑いの入り交じった表情を浮かべた。
「当然です。嬉しいですよ、父親としては。ただ、生まれてくる子供には……すまないと、思います」
大陸に数多ある国の中でも歴史が古く、竜皇との関わりから大陸一の名家と言われるアウテナ王家だが、それでも近年は国を支える枠組みに歪みが生じてきていた。
王達が無能だったわけではない。聖と俗の権力を併せ持てば、どこかに矛盾が生じるものだ。
現に今日この場で私が降ろす神託は、大陸の西域に余すところなく伝えなければならない。それが例え敵対関係にあり、今にも戦火が上がろうとしている隣国であろうと。神の言葉を戦術に用いてはならないのだ。
神殿にしても、いつしか竜を神として祈りながらもそのあり方を変えてきた。
私が神託に降りる四方神殿は古い習慣を比較的守っているが、中央神殿は聖を騙りながらも神である竜皇を離れ、その組織は世俗の権力と化している。
人にとって竜がともにあった過去は遥かに遠すぎ、竜皇が何故神託を与えるのかを、その中でも中央神殿に降りなくなったのは何故かを忘れ去られてて久しい。
疑問に思う者はそれなりにいるのだろうが、それを口に上らせることも、追及することも忌避されているのだろう。
神殿の派閥争い、周辺諸国とのいさかい。神官としての勤めと王としての采配。時に相反するそれらを全てをこなすのは、それなりの才があっても難しい。
「……では、今年の神託をお願い致します」
神官の顔に戻って居住まいを正す男に、神託を授ける。
戦の勝敗は私の関知するところではない。ただ、天の恵みの見通しだけが、私から伝えることが出来るものだ。
天の恵みに人間の作る国境は関係がない。特定の国を助ける為に、雨風を止めることもしない。戦が起こる気配が読めようと、戦いの結果が予見できようと、それを人々に明かすこともない。
私が天候を予想しても天の動きが変わることはないが、人々の諍いに口をはさむか否かでその結果は大きく変わる。
故に、今対面している男がいずれ迎える非業の死が見えようと、口に出す事はない。
そして、目の前にいる竜――神が、不吉な未来を知っていたとしても己を助ける事はないと理解する者でなければ、竜髄石を持ち巫女姫の眷属となる資格は持たない。
神託を受けその内容を理解すると、男は深く一礼した。
そして顔を上げると言った。
「一つ、折り入ってお願いがあるのですが」
珍しいことを言う。竜と人との関係十分承知のはずだが。
『聞くことは聞くが、叶えられることは少ないぞ』
念の為そういうと、男は頷いた。
「それは十分心得ています」
『ならば、聞こう』
「お願いしたいのは子供のことです」
男は穏やかな顔で続けた。
「何かがあった折りに、お助け下さいとも、お守りくださいとも申しません」
ぽつりぽつりと語る言葉に耳を傾ける。
「ただ、祝福をお恵み下さい。生き抜いていけるように、強くあるように」
竜髄石を与えた一族に跡取りが産まれれば、乞われるまでもなく祝福を与えることくらいはする。それをあえて望むのは、形式だけではないものを願うからなのだろう。
「お願い申しあげます」
深く頭を垂れる男を前に考える。
安請け合いをする気はない。また、祝福する程度ならば、元からその者が持つ能力に自信を与えるほどの効果に過ぎない。それでも、過酷な環境に生きる者にとっては大きな違いになるのだろう。
「強さとは?」
問い返す。
魔力が強い者と、腕力の強い者を単純に比較することはできない。動物ならば、地を駆ける速さや、牙や爪の鋭さが強さになるだろうが、鳥と獣と魚と、それぞれの王者のうちどれがもっとも強いと単純に比べられるものではない。人間ならば、知性も出自も力となる。
男は、しばし考え込んでから答えた。
「私は、周囲を変えるだけの力を持ちませんでした」
『己の都合のよいように周囲を変える生き物など、人間くらいなものだ』
「そうかもしれません。ですが、私は王です。ですから、皆を導き、変えていかなければならなかったのだと思います」
年若くして即位してから、地道に改革を進めていることは知っている。だが、その程度では、長年蓄積した歪みは、簡単に正せはしないのだろう。
「恐らく、私が今の王制においては、最後の王になります」
確か、王家を祭祀の中心に、政治は宰相達に委ねる方向へ進めていた。
妃を国内の候補を選ばず、遠く離れた東国の神殿を守る一族から迎えたのも、本人の個人的な意向を通したに過ぎないが、王家が祭祀寄りへ進む意志示したものといえる。
とはいえ、不安定な国情のなか、改革が終わるまで国そのものが持つか否かも危ういのだろう。
「生まれるのが息子であろうと、娘であろうと波乱の人生になるでしょう。地位を失い、身分を隠して生きる事になるかもしれません。ただ、何処でどのように生きることになっても、そこで幸せを見つけられるようになって欲しいと思うのです」
王の言葉に魔力を乗せる。
私が祝福を与えるより、父の祈りの方が子にとっては力になるだろう。
「それで」
数ヶ月後、鏡越しに挨拶に来たアウテナ王と王妃に問いかける。
「子への祝福を望みながら、その子供を連れて来ないというのはどういう了見か」
子供が生まれた報告と祝福を受ける目的であるはずなのに、そこに赤子の姿はない。
『怖がって泣いたら可哀想ですから』
「確かにお前はひきつけを起こしそうなくらいに泣いていたな」
二十数年前に大泣きしていた赤子は、今ではこんなにも図々しく育っている。
人間の一生は短い。平穏な人生に程遠い身ならば尚更に。
『この場に我が子も連れて参りますのが筋であることは、重々承知致しております』
王妃が口を開く。以前よりは体つきは多少丸みを帯びたようだが、それでいてやつれたようでもある。何かと気苦労が多いのだろう。
『アウテナ王の第一子として、女子が生まれましたことをご報告申し上げます』
『これがとても可愛いんですよ』
でれでれに親馬鹿になっている王を無視して王妃を見る。
父親がこんな状態になっている場合、母親は得てして冷静なものだ。そしてこの二人もその通りだった。
『名はリュタスティアと付けました』
女神を表す『ティア』という名は、竜皇の妃である巫女姫のみが名乗るべきものだが、例外的に竜皇の養女から始まるアウテナ王家の正嫡の王女にも赦される。名付けには問題ない。
『ただ、竜髄石を継がせないつもりでおります』
きっぱりと言い切った王妃に、黙ったまま説明を促す。
竜髄石は竜皇とのつながりを示すもの。竜皇の力の象徴であり、人間にとってはそれなりに役に立つものであるはずだ。
かつて出会ったあのとんでもない娘も、半ば強奪するように持っていった竜髄石を存分に用いてプリマヴェーラ女公爵の座に着いた。
『竜髄石は力ですが、それは望まずに得た者にとっては時に呪いにも等しくなります。ですから、いずれ本人が望めば託しますが、それまでは、娘と竜皇様との縁は断っておこうと思うのです』
「何を言っているか、わかっているか」
人間の方から竜皇に絶縁を申し出るとは良い度胸だ。
『承知しております』
『娘には生きて欲しいと思います。ですから、命を狙われる要素は極力排除したいのです』
王が付け加えた。夫婦の決意は固いらしい。
「……よかろう」
『有り難うございます』
そろって頭を垂れた二人に別れを告げて、鏡を使った対話を終えた。
どのみち、巫女姫を迎える気はない。何かあってもプリマヴェーラの家があれば巫女姫の眷属は足りる。
それに、幼い者の無残な姿を見ずに済むのならば、私とてその方がいい。
「……本当に良かったのかな」
「竜皇様は、情が深い割に妙なところで律儀な方ですから。関わりのある子供だと規律がどうのといって助けられず、それでいて、見ず知らずの子供ならば気まぐれだとか言いながら助けそうですもの。だから、これで良いんです」
対話を閉じた向こうで、そんな会話がなされていたことなど知る由もない。
そして、いずれ王妃の言葉通りになることなど。
母の勝利。




