巫女姫シエル 3
広間を出て少し歩くと、副神殿長が立ち止まり、胸に手をあてて小さく息をついた。
そして、私に向かって言った。
「御見苦しい所を御覧にいれ、誠に申し訳ございません」
二人になっても、やっぱり堅苦しいんだなぁ。仕方がないけど。
「よくわかりませんけど、大変そうですね」
なんで副神殿長がそのまま昇進できないのか聞きたいけど、多分聞いちゃいけないんだろうなぁ。
そのまま少し歩いて招き入れられた部屋は、客室の中で一番格が上の部屋だった。神殿にいる間、おそうじはしてたけど、使ってるのを見たことがない。でも、おそうじに入った時とは、壁紙も床の敷物も変わってる。
「少し風を入れましょうか」
副神殿長が窓を開ける。柔らかな風が部屋に入って来た。北神殿くらいなら、夏の風はさわやかで心地いい。副神殿長は窓際に立ったまま、私に振り向いて言った。
「よろしければ、少しだけこちらにいらしていただけませんでしょうか」
なんだろう。
言われるままに窓に近づくと、窓から見下ろせる植え込みのそばに人の姿が見えた。それも何人も。隠れてるつもりなのかな? でもこの部屋は三階だし、上から見たら隠れてない。
……あ!
窓わくに手をかけると、下の人たちも気づいたみたいだった。
遠目でもわかる。料理長に、裏門番のお兄さんに、牛飼いと羊飼いのおばさんたち。
思わず手を振ると、向こうも周りを気にしながら小さく手を振り返してくれる。
声をかけようとしたら、せき払いが聞こえた。見ると、副神殿長が人差し指を立てた手を唇に当てている。
え、しゃべっちゃだめ?
「声を挙げるのはいけません」
神殿長が取り次ぐ言葉以外は聞こえないことにしていいって言われたし、身分の差なのかなぁ。副神殿長でもやっぱりそういう態度になっちゃうんだ。
「方々の護衛の神殿騎士が警備に当たっております。彼らが見つかると少々面倒なことになりますので」
そっか。前から北神殿にいた人だったら事情を知ってるし、なんとかなりそうだけど、ほかの偉い人についてる騎士だったら怒るかも。みんながひどい目にあったりするのは嫌だ。
副神殿長が手振りで帰るようにうながすと、少し振り返りながらみんなはその場から離れていった。
「みんな、元気なんですね」
「皆、いろいろと心配していました。でも、これで安心したでしょう。伝え聞いていても、自分の目で確かめたいものですからね」
普通に話し掛けられて、私も肩の力が抜けた。
「ただし、今回だけですよ。私も、本来ならば皆を追い返さなければならないのです」
やっぱり下働きの人に会っちゃダメなんだ。というか、こうやって普通にしゃべるもの良くないんだろうなぁきっと。
「ありがとうございます」
みんなは見つかったら怒られるかもしれないのに。副神殿長も何か言われるかもしれないのに。
「どういたしまして。では、こちらへどうぞ」
部屋の中央に置かれたテーブルの上には、お茶とお菓子。色とりどりの木イチゴ。干した果物がたくさん入った焼き菓子。一年前だったら、もう、あこがれだったものがずらっと並んでる。
「ほかの国を御覧になった後では、質素なものでしょうけれど、どうぞお召し上がりくださいませ」
そういって副神殿長が自ら入れてくれたお茶も、乾燥させた香草をあわせて作ったもの。
巫女姫へのもてなしも供物も、基本的にそれぞれの神殿が受け持っている地域のものが並べられる。
だから北には、南の色とりどりの果物のような華やかさも、東の香り高いお茶もない。確かに見た目は地味だし、ものすごく高価なものかというとそうでもない。
でも。
香草茶にする草を摘んで干したりするのや、厨房でお菓子を作るのを手伝ったりしてたから、手間が掛かっているし、高級なものではなくたってそうそう口に入るものじゃないことは知ってる。焼き菓子だって、焼いた後、何日も寝かせておくものだから、ずっと前から準備してくれていたってことだし。
焼き菓子に、煮詰めた木イチゴをかけて一口。
うん、おいしい。ソイエさんのお屋敷や、グレンさんが作ってくれるお菓子もおいしいけど、こういうのの方が安心する気がするから、やっぱり私は貴族とかじゃないと思うんだよね。
あ、そうだ。
「あの、一人では寂しいので、副神殿長もどうぞ」
そういえば、副神殿長以外の人はいないのかな?
去年いた巫女たちは多分みんな家に帰ったんだろうけど、巫女姫に仕える人、単純に女神官の修行中の人もいるはずなのに。
「では、お言葉に甘えまして」
斜め前の席に着いた副神殿長は、私の疑問が聞こえたかのように言った。
「修行中の巫女たちはおりますが、まだ巫女姫様の御前に出せるものではないものですから」
そして、ふっと表情をゆるめて続けた。
「それに、少しお話もしたかったですからね。――元気そうで安心しました」
「はい。みんな優しくしてくれます」
「表情も穏やかになりましたし、背も伸びて見違えるようですよ」
「でも、全然巫女姫らしく見えないみたいです」
他の神殿でも「これが?」っていう感じの目で見られるし。それに、表情がおだやかっていうより、最近目がたれてきた気がする。
「風格とは、その立場にあるものとして扱われることで身に付いていくものです。数年経てば、誰も異論を唱えられないようになりますよ」
そうなのかなぁ。
「竜皇様も大事にしてくださるようですね」
「はい」
ソイエさんには過保護過ぎって言われてるけど。
「……お姿を現されたことには驚きましたが」
私も驚いたからそれはしょうがないと思う。今日の竜皇ちょっと変だよね。
「でも、儀式の間との間が扉になってるなら、神殿長以外にも会うことがあったんですよね」
おそうじ用ならあんなに大きい扉いらないし。
「神託の折りに開かれたのは、私の知る限り――少なくともこの二十年ほどではなかったことです。あの様式は非常に古い時代のもので、現在では北神殿以外では見られないと聞きます」
確かに、他の三つの神殿は、竜皇が降りる場所から、神官が集まる広場まで遠い。こう比べてみると、まるで竜皇を遠ざけてるみたいだ。
「そんなに竜皇に会いたくないんでしょうか」
出迎える神殿長は気絶するし、竜皇が出てきたらみんな固まっちゃったし。確かに初めて見たときには大きくて驚いたけど、別に怖くないのに。
副神殿長は少し考えてから言った。
「しばらく例のないことでしたから、驚いているということはありますね。十年程前にはフルヒリングの王都に降りられたことがありますが、断罪のためでした。故あってのこととはいえ、半壊した王都を目にし、またその噂を耳にすれば、畏れ多いというより、単に恐ろしいと思う者も少なくはないでしょう」
ソイエさんに連れていってもらった塔の上から見た風景を考えると、かなり大変なことだったとは思う。
確かに、竜皇が不意に現れて街を壊したら怖いかもしれないけど。
でも。
反論する言葉が思い浮かばなくて、お茶を持ったまま悩んでいると、副神殿長が続けた。
「そもそも、巫女姫のいない時代には、竜皇様と神殿の間は疎遠になりがちなのだそうです。今の竜皇様に代替わりされてからは、百年近くも巫女姫をお迎えになられませんでしたから、距離が遠くなるのも仕方がないのかもしれません」
顔を上げて、副神殿長を見る。
「私がいたら、何か変わりますか?」
神殿長が気絶しなくなったり、竜皇がでてきても怖がらないで迎えてくれたりとか。
副神殿長は、少し言葉を選ぶように言った。
「ことの善し悪しはあるでしょうけれど、変化はすでに色々なところで起こり始めています」
「悪いこともあるんですか?」
「何かが変わるということは、ある者にとっては望ましくても、他の者にとっては不都合なことがあります。すべての人にとって好ましい変化というものは、そうそうないのですよ」
そうなのかな。難しい。みんな幸せになれたらいいのに。
「もっとも、人間の利害関係が多少変わるだけのことですから、あなたが気にすることはありません」
なんか最近、気にしなくていいとか、関わらなくていいとか、そんなことばっかり言われてる気がする。
そんな考えが顔に出ていたのか、副神殿長に聞かれた。
「不満ですか?」
「不満っていうより、それでいいのかなぁって思うんです。何のためにいるんだろうって」
だって、なにもしなくていいし、なにも気にしなくてもいいんだったら、巫女姫って何をしてたらいいんだろう。
「身分の高い方ほど、思うがままに振る舞えるようで、実は何かと縛られることの多いものです。神の傍にある巫女姫も、その立場にあれば悩みが多いものなのでしょう」
そこで一度言葉を区切ると、副神殿長は穏やかに続けた。
「そうですね。強いて言うならば、貴女は幸せでいなさい」
……?
「私、幸せですよ?」
だって竜皇もソイエさんも他の人もみんなやさしいし、ご飯もお菓子もおいしいし、もったいないくらいかわいい服を着せてもらってるし、びっくりするくらいぜいたくなお部屋を使わせてもらってるし、勉強させてもらってるし、なんの不自由もない。
そう答えると、副神殿長は優しく笑った。
「だから、貴女はそのままでいればいいのです」
「よく、わからないです」
「少なくとも、竜皇様の隣で貴女が笑っていたら、出迎えた神殿長も倒れるわけにはいかないでしょう?」
……前に気絶した人がさっきの広間にいましたけど。
あ、でもアマリルさんが倒れた時は、まだ私の姿が見えてなかったのかな。起こした後は割としゃきっとしてたし。
ほとんどの神殿長が気絶するって竜皇は言ってたけど、南神殿長も倒れなかったし。ファエルさんはちょっと別格な気はするけど。さっきの広間も、気絶した人はいなかった気がする。竜皇と一対一じゃないからかもしれないけど。
「巫女姫の役割である、神である竜皇様と人をつなぐことというのは、実際には、そういった当たり前に思えるほどにささやかなことであるのかもしれません。でも、巫女姫以外にはできないことです」
「そうですか?」
「竜皇様が、巫女姫以外の人間をそれほど近くに置かれることはありませんから」
そうなの、かなぁ。
「それならできるでしょう?」
「――はい」
念を押されてうなずく。
実際、それくらいしかできることはないような気もするし。
「では、そろそろ戻りましょうか。竜皇様もお待ちかねでしょうし、広間の方々も……少々お気の毒ですから」
あ、忘れてた。そう言えば広間が大変なことになってるんだった。
「よければ、お菓子は包みますよ」
そういえば、いつも用意されるのは一人や二人で食べるには多すぎる量。これって、この後どうなるんだろう。
「副神殿長」
「何でしょう?」
「巫女姫に用意された食事ってこの後どうなるんですか?」
だって捨てたらもったいない。一切れとかしか食べられないのに。
「神殿によるでしょうけれど、無駄にすることはないと思いますよ。祭壇に捧げた供物同様、下げた後は頂くことが多いでしょう。巫女姫様のお赦しがあるなら、なるべく多くの者に、少しでも行き渡るようにしようと思います」
「だったら、そうして下さい」
お祝い事のときだけ、ほんのちょっとでも口にできたお菓子。
私も、ものすごくうれしかったし、下働きの人たちも喜んでいたささやかなぜいたく。ちょっとだけでも、おすそわけできたらうれしい。
あ、でも。
「これも神殿のことに口出ししちゃうことになりますか?」
さっきのこととかも、前にお世話になってた人を特別扱いしちゃうことになるのかな。
「元からそのようにするつもりではありましたから問題はありません。ただ、先の神殿長様の方針でしたので、神殿長が替われば多少変わるかもしれませんけれど」
神殿長次第かぁ。
「なかなか決まらないんですね」
結局、広間の方はどうなったんだろう。
「四方神殿の長ともなれば、大国の王にも匹敵する地位です。政治的な問題も関わりますから、それなりの方が選ばれます。今回は巫女姫が選ばれた直後、しかも巫女を出した神殿で不祥事を起こしての退任の後ですから余計と。ただ、何方がその座についても、竜皇様や巫女姫に対する神殿の務めが変わる訳ではありませんし、実務はおそらく私が担当することに変わりはないでしょう」
だから、心配はしなくていいと笑ってくれる。
だけど、それで副神殿長が神殿長にはなれない理由もわかった。確か、家名はない。つまり貴族じゃない。
西のアマリルさんは王族、東のファエルさんは公爵家、南も多分貴族だし、候補の二人も一人は貴族、もう一人はえらい神官の娘。
でも、巫女姫だって本来はそれなりの家の人がなるはずなのに。
「巫女姫は、いいんですか?」
思わずつぶやくと、副神殿長はお菓子を箱に詰める手を止めた。
「竜皇様がお選びになったことですから」
「でも、昔の巫女姫はそういう人たちですよね?」
副神殿長は、一度扉の方を見て、周囲に気を配ってから小声で言った。
「基本的に巫女として神殿に入れば、立場上はその神殿長の養女となります。記録としては生家を併記する場合もありますが、四方神殿と中央神殿で記録が異なるものがあるのです。中央神殿の記録ではある程度の貴族や神官を輩出する一族の娘とされている人が、巫女姫を送り出した四方神殿の記録ではそれとは異なる、多くは格下の家の出身とされていたり、ただ神殿長の養女としか書かれていない場合があります。……むしろ違いがある方が多いですね」
「それは、書き忘れとかじゃなくて?」
「おそらく、貴女についてもそのような記録になるでしょう」
あ。それってつまり。
「記録とは、そのようなものなのです。でも、貴女が竜皇様に選ばれたことは揺るぎません。……昨年、少しでも疑ってしまったことは本当に悪かったと思っています」
「それは、仕方がないです」
それに、最初に信じてくれたのは副神殿長だったし。
「人は時とともに育ちますから、今は幼くとも問題はないのでしょうね。竜皇様についても、いろいろと噂されておりますが、貴女の様子を見る限り悪いことはないようですし」
副神殿長はぶつぶつとつぶやきながら、お菓子をつめ終わった箱にキレイにひもをかけると、「ああ、そうでした」と何かを思い出したように言った。
「先の神殿長様からペンを渡されていましたね。確か銀製で、花の模様が彫り込んである」
「はい。それがなにか?」
「最近やっと少し時間ができたので遺品を整理していましたら、組になっている小物を見つけました」
副神殿長が帯の中に挟み込んでいた布の包みを取り出す。
「『オニキスが大人になったら渡して欲しい』と手紙が添えてありました。今となっては立場も変わり、昔の関係を引きずるのはよくないのでしょうけれど、故人の意志ですし、本来なら巫女選びに立つ前に見つけられたはずのものですから渡しますね。このような包みで申し訳ないですけれど」
厚手だけれど、柔らかくてなめらかな手触りの布の中には平べったい銀の入れ物。細い鎖がついていて、その先は輪が付いている。輪は、多分ペンの軸の太さくらい。入れ物の大きさは手のひらに納まるくらいで、金具を見ると本みたいな形に開きそうだけど、なんだろう。
「これ、なんですか?」
「紙を挟んでおくものですよ」
そう言って、副神殿長は自分の帯から似たような形の物を取り出した。ただ、金属で縁取ってあるけど本体は布張り。そろいのペンも木の軸だ。
金具をひねって入れ物を開けると、内側の大きさに合わせて切った紙が何枚か二つ折りにして入れてあって、ちょうつがいの内側に渡した針金で紙の真ん中を押さえて薄い本のように使えるようになっていた。紙には細かい字でいろいろと書いてあるけど、儀式の準備についての覚え書きみたいだった。
「神官がよく持っているものです。ただ、それは開かないので何が入っているかはわかりませんけれど」
確かに開かない。金具壊れてるのかな。
「それをどうするかはお任せします。では、そろそろ行きましょうか」
あ、そうだった。後で竜皇に開けてもらおう。元の通りに布で包み直して服の中に挟むと、お菓子を入れた箱を持った副神殿長に付いて、広間へ歩きだした。
……竜皇、機嫌なおってるかなぁ。




