髪を結う人
えっと、ここをこうして……。
……あれ、こうだっけ? あれ?
「うー」
鏡に向かって小さくうめく。
うまくいかない。
ななめ後ろで、半透明の人影が、クシを片手にしてちょっと困ったように立っている。
お城にいる精霊という、人ではないけどお城のお掃除お料理その他いろいろな細かいことをやってくれてる存在。何人……何体?いるのかわからないけれど、普段は透明で姿が見えない。ただ、物がふわふわ浮かんで動くのはちょっと変な感じなので、私の周りのことをやってくれてる時は、姿を見えるようにしてもらっている。
言葉は、私が言うのは通じても返事はない。でも、ぼんやりした白い影でも形が一応あるからか、仕草がなにか言いたげにも見える。
竜皇がいうには、感情も意思もないらしいけど。ついでにこの姿が「余計と気にならないか?」って言われた。
確かに幽霊みたいかなぁ。でも精霊と幽霊となにが違うんだろ?
そんなことより、今はこっち。
これをこっちに引っ張って、こう交差させて。……あれぇ。なんでうまくいかないんだろう。
「シエル。まだ寝ているのか?」
扉が叩かれて、竜皇の声がした。
「起きてるよー」
イスから立ち上がって扉を開けに行く。
「竜皇おはよう」
「おはよう。……なにやら大変なことになっているな」
私を見下ろしてそうつぶやくと、竜皇は髪を手ぐしでといてくれた。
「どうした?」
「自分で編もうと思ったの」
「やらせれば済むことだろう」
「うー」
前にソイエさんのお屋敷に行った時に、髪を編み込んでまとめてもらったのがかわいくて、この間もまたやってもらった。
その時にメイドさんの手元を鏡ごしに見ていたら、こうやるんですよって教えてくれたから、やってみたのに。
「私がやろうか?」
「竜皇できるの?」
ちょっと意外な気がしたけど、そういえば竜皇の髪は長い。いつもただ背中に流してるだけだけど、結ったりすることもあるのかな。何もしなくてもさらさらとまっすぐ。絹とは光沢が違うし、染めるのも難しそうな蒼。こういう糸があったらししゅうとかに使うときれいだろうなぁ。
さっきまで強情張ってたのになんだけど、竜皇が呼びに来たっていうことは朝ごはんの時間。そう思ったらお腹が空いてきたから、おとなしく竜皇にやってもらうことにした。
鏡の前のイスに座る。
「立った方がいい?」
私には少し高いイスだけど、座ったら、竜皇が髪を結うには低すぎるかもしれない。
「構わない。座っていなさい」
竜皇は精霊さんからクシを受け取ると、私の髪を丁寧にすいてくれる。
私が編もうとがんばってからまったところがほどけると、びよーんと一筋の髪が盛大にはねた。
「……成る程」
私の髪はまっすぐだけど少し硬い。そして、一回クセがつくとなかなかとれない。つまり寝グセがつくとかなり大変。
だから、編み込んでごまかしちゃおうかなって思ったんだけど。
「リボンはどれにするんだ?」
鏡台には、リボンが並べてある。服とおなじ水色、もっと濃い青、光沢のある白と、レース。幅も長さもばらばら。結び方も変わってくる。
「どれがいい?」
鏡ごしに逆に聞くと、竜皇はリボンを見比べて、細くて長い白いのを手に取った。
するするとリボンが髪と一緒に編み込まれていく。
うわーすごい。
最後に結んだリボンもきれいに整えられている。私がやると曲がったり長さがばらばらだったりするのに。
「これでいいか?」
「うんっ! 竜皇ありがとう」
「では食事にしようか。今日はプリマヴェーラの屋敷に行くのだったな」
あ、そうだった。急がないと。
「いらっしゃいませ姫ーっ」
いつも通り迎えに来てくれたウォレフさんについてお屋敷に行くと、ソイエさんが迎えてくれた。ぎゅーって抱きしめられるのもいつものこと。慣れたけどやっぱりくすぐったい。
「ソイエさん、今日はお休みですか?」
ソイエさんが髪の一部だけを結って、あとは背中に流してるのは、お仕事じゃないとき。
「ええ。ベルタとグレンも来ておりますわ」
ソイエさんに手を引かれてお茶会用の部屋に行くと、ベルタさんとグレンさんがいた。
あれ、いつもは午後から来ることが多いのに。今はちょっと遅いけどまだ朝だよ?
そんな疑問が顔に出ていたのか、ベルタさんが説明してくれた。
「少し用事がありまして、昨日からこちらの屋敷に滞在しておりますの」
そっか。王子様とかお妃様も、泊まりがけでお出かけすることくらいあるよね。
「お早う、姫。髪も可愛いね。あまり見たことがない結い方だけれど、どのあたりの国のものかな?」
言われてみれば、神殿ごとに神殿長の髪の結い方違うかも。
「竜皇がやってくれたのでよくわかりません」
そう答えると、部屋の中の空気が凍りついた。
な、なに?
多分その原因があるらしい方向を振り返ると、ソイエさんとベルタさんが厳しい顔で肩を寄せあってなにか話している。声は聞こえない。多分ウォレフさんが魔法で声を消してるみたいだから、お仕事でも思い出したのかな?
「ああ、竜皇様は普段は竜ではないんだね」
なんだか険しい顔の二人とはうって変わって、グレンさんがのんびりおだやかに言った。
「人の姿をとられてるのかな?」
「はい。一応」
一応「人」だけど髪が青かったり、目が竜の時と同じだったりして、人間ではないかも。……って。
「あ!」
竜皇が人になるの秘密だったかもっ!
あわてて口を押さえてウォレフさんを見ると、言いたいことはわかってくれたみたいだった。
「日頃から眷属が身近にいる上に、巫女姫の本来の意味を理解していれば、十分想像がつくことです。問題は御座いません」
よ、よかった……。
ほっと胸をなで下ろす。
「人とは寿命が違うだろうけれど、人間だといくつくらいにみえるのかな?」
答えても大丈夫なのかな。
ちらとウォレフさんを見る。特に止める様子もないし、話しても大丈夫みたい。
うーんと、竜皇の歳はー。
「グレンさんよりは上に見えます。ウォレフさんと同じくらい?」
……また、空気がはりつめた。
なんだろう。変なことは言ってないのに。
「なるほど。落ち着き処はそのくらいなのかな。ウォレフもここ十年くらい変わらないし」
グレンさんはひとり納得するようにうなずくと、少し離れた場所でごそごそと話していた二人に声をかけた。
「ベルタはともかく、ソイエは他人のことをとやかく言える立場じゃないよね?」
「私の場合は、私が落としたから別にいいのよ」
落とすってなんだろう?
「ウォレフなら別の姿のまま傍にいてもいいけど、竜ならたとえ巨大じゃなくても人の方の姿をとるよね」
「それはそうですわね。姫が怪我をしては大変ですし。いろいろ問題はありそうですけれど、進言できそうな立場の二人は確かに他人の事を言える立場ではありませんし」
ベルタさんがふぅ、とため息をつく。
「ケガしたことないですよ。一緒にいても問題もないです。竜皇優しいですもん」
「……結構ひどいことしてましたけどね」
うー、確かにお城に戻れなくなりそうになったりしたけど。
「ちなみに、竜皇の人の姿はどんな感じです?」
どんなって言われても。
「キレイです」
その一言で済みそうな感じ。
「外見の年齢はウォレフと同じくらい、でしたわね。背丈は?」
「ウォレフさんより高いかな」
ソイエさんがウォレフさんを見上げて、それから私を見て「うーん」とうなった。
「姫はまだ伸びるからね」
「私だって、もっと伸びると思ってたわよっ!」
「あらソイエ。いまだに背丈を気にしていましたの?」
「見下ろされて気分がいいわけないでしょ!」
ソイエさん確かにそんなに背が高い方じゃないけど、でもウォレフさんと並ぶと差が大きいのかな。
「でも、姫とウォレフくらいの年齢差なら本当に親子のようですわね。私とグレンが結婚したのも十六、七の時ですから」
「はい。竜皇、お父さんみたいです」
お父さんのこと全然覚えてないけど。あ、でも髪を結ってくれるしお母さんかな。
「……お父さん、か。大変だね」
間があって、グレンが小さく笑った。ちょっと視線があさっての方向を見てるのはなんでだろう。
「ソイエにとってのウォレフも、初めはそんなものかしら?」
「イヌはイヌよ」
ウォレフさんは犬じゃなくて狼だよね? 犬と狼似てるけど。
「まぁ、仲良くやってるならそれでいいんじゃないかな。姫、ちょっといい?」
グレンさんに手まねきされてそばに行く。
「ちょっと見せてね。ああ、成る程こうなってるのか。でも少し難しいかな」
私の頭を見下ろしながらのんびりと言う。少し難しいって?
「グレンさんも髪を結ったりするんですか?」
お菓子を作るだけじゃなくて、いろいろ器用な人なのは知ってるけど。でもグレンさんの髪は短いよね?
「子供の頃からあの二人と一緒だったからね。少しは」
そうなんだ。
「まぁ、単にベルタの髪を触るのが好きなんだけどね」
「そこ。天然にのろけてんじゃないわよ」
呆れたようにつぶやくソイエさんにグレンさんが問い返す。
「ソイエもウォレフにやらせてるよね?」
「しょうがないでしょ。髪結いなんて安心して任せられる相手は少ないんだから」
「私はグレンに強制したことはありませんわよ」
「いいわねー、あんたたちは」
穏やかに微笑むベルタさんと、ちょっとすねた感じのソイエさん。うんざりとため息をつくウォレフさん。
髪結いってそんなに大変なことだったの? 確かに、きれいに結うのは、それなりの技が必要だと思うけど。
「ソイエさんたちの髪って、そんなに結うの大変なんですか?」
とりあえず隣にいたグレンさんを見上げて聞いてみる。
「あのお姫様達は用心深いからね」
にっこりと答えてくれたけどよくわからない。用心?
「背後を取られる上に首筋を晒すわけですから」
「その上、髪飾りは尖っているものも多いですし、刃物を持たせることがあるのですから、用心も致しますわ」
そ、そうなの?
「って、言ってたの」
お城に帰って、寝るのに髪をほどこうと思ったら、どうなってるのかわからなくて。結局、竜皇にからまった髪をほどいてもらいながら、ソイエさんとベルタさんの話をした。
竜皇はなぜか深いため息。
「……碌な人生を歩んでいない娘たちだな」
「大変なんだねー」
ベルタさんは王太子妃で摂政だし、ソイエさん女公爵で大臣だし。
「少なくともプリマヴェーラの娘の方は、あの性格のせいで余計と事態を悪化させているようにも思えるが」
あ。そういえば。
「ソイエさんがね。人の方の竜皇見てみたいって」
竜皇の手が止まった。そして、少し間があって。
「断る」
きっぱりとそう言った。
「あ、やっぱり人の方の姿って人間に見せちゃだめなの?」
「そういうことはないが。過去には瞳や髪の色も変えて人間の姿に似せ、人里に出掛けていた竜皇もいる。眷属にはこのまま面会することも多い。巫女姫の眷属にも、この姿を見せることはままある」
「じゃあなんで?」
「プリマヴェーラの娘やその連れ合い達とこの姿で会うと、碌なことがない」
口調はものすごく苦い。何があったんだろう。ちょっと気になる……。
巫女姫の髪をいじるのは、歴代竜皇に概ね共通した趣味であったり。
閑話的な第二部はここで終了です。




