苦手なもの
南の海のお城に滞在中。
竜皇におやすみなさいのあいさつをして、自分の部屋に戻る。
でもなんだか寝付けなくて、テラスに出てみた。
南のお城は暖かくて、夜外に出ても涼しいくらい。
空を見上げると、星の光はまばら。月は流れの速い雲に隠れたり見えたり。そのうちに、雲に隠れて出てこなくなった。
雨が降るかな。
そう思って部屋に入って窓をきちんと閉めていたら、視界の端で、何かが光った。
気のせい、だよね。
カーテンを引こうとすると、もう一回。今度は確かに。
急に雲が出てきて、空がぴかって光るって言ったら。
どうしよう。
ぽつぽつと雨の音が聞こえてきた。
ど、どうしようっ。
机の下。
全然意味がない。
お布団の中。
だめ、薄いし。
ベッドの下。
潜り込むにはちょっと狭い。
窓の外の雨の音が大きくなってくる。
どうしようどうしよう。
どこならいい? どこなら聞こえない? 入り込めるような場所は?
目に付いた扉をあけていく。そうこうしている間に、窓を叩く雨音は激しくなって、一瞬、窓の外が明るく光った。
そして。
窓が震えるほどの轟音。
とにかく手近な扉の中に飛び込んだ。
目を堅く閉じて、両手で耳を塞ぐ。
何も聞きたくない。何も見たくない。何も思い出したくない。
それでも聞こえる、窓を打つ雨の音。空のうなり。
まぶたをしっかりと閉じているはずなのに、目に浮かぶ閃光。
見たことも聞いたこともないはずの光景。
一瞬の光に照らし出される広い回廊。
金属の擦れ合う音と怒鳴り声。
合間に轟く雷鳴と、それに重なる誰かの悲鳴。
廊下が照らされる度に床に倒れる人影。
漂う錆びた臭い。
こんな光景はしらない。見た事なんてない。
でも、泣いちゃいけない。声をあげちゃいけない。
突然、扉が開いた。
見つかった。
思わず身をすくませる。
「シエル?」
手が伸ばされる。
怖い。怖いっ。
「シエル?」
「いやぁぁっ!」
振り払ってできるだけ離れようとしても、行き止まりだった。
どうしようどうしよう。
「シエル」
屈み込む気配。
「私がわかるか?」
優しく問いただされて、薄く目を開けて見る。ロウソクとは違う、白っぽい光。それに照らされる深い蒼の髪。
この人誰?
一瞬そう思いそうになって、青銀の瞳を見つける。
これは竜皇。
ここは竜皇のお城。
他に誰もいない。
怖い人なんて来ない。
「りゅ…」
ほっとして手を伸ばしかけた時、窓が光った。
目を閉じて、耳を押さえて縮こまる。
直後、はっきりと振動を感じる大きな音。
うう、泣きそう。
頭をなでられて顔を上げる。
「りゅーおぉ」
なだめるように頭をなでてくれて、少し安心する。
「雷が――」
竜皇が何か言いかける。
雷が怖いんじゃないからっ。絶対違うんだからねっ。
「……苦手なのか?」
「ちがっ……え?」
反射的に否定の答えを返しそうになって、質問がちょっと違うことに気が付いた。
雷嫌い。音も光もイヤ。
こくんと頷いて肯定すると、
「そうか」
とだけ言って、腕を伸ばしてくる。
「だからといってそんな所に潜り込んでいないで、出ておいで」
そんな所。
そういえばここってどこ?
竜皇の側に浮かんでいる光を頼りに周りを見ると、服が掛けてある。衣装戸棚の中に飛び込んでたらしい。隠れるには十分な広さだったけど。
竜皇に手を伸ばし返すと、衣装戸棚からひっぱり出された。
と。
また。
窓が光る。
耳を押さえてしゃがみ込むと、何かに包まれた。
光に続く窓が割れそうな程の音が、少し遠くに聞こえるようになった気がする。
体がふわりと浮いた。
ベッドに座った竜皇の膝の上に抱き上げられて、小さい子をあやすみたいに背中をぽんぽんと叩かれる。
そこまでちっちゃくないのに。
でも、こうしてると落ち着く。
「竜皇」
間近にある竜皇の顔を見上げる。
「どうした?」
いつも通りの優しい竜皇。
「……笑わないの?」
もう小さくないんだから、って。
「誰しも、苦手な物のひとつくらいあるだろう」
「うん……」
あ、また光った。
竜皇にしがみつくと、背中をなでてくれる。
「神殿にいた頃はどうしていたんだ?」
「物置とか、衣装箱とか、大きい戸棚とか」
たまに内側から開けられなくなって、神殿長様とか、いろんな人にあきれられたりしてたけど。
「光が厭なのか? それとも音か?」
「どっちもやだ」
でももっとイヤなのは、雷が鳴ると目に浮かぶ光景。
覚えていないのに思い出す、恐怖感。
「……夢、見るの」
あれは悪夢。
起きているのに見えるけど、きっと夢。
「夢?」
「怖い人が来るから、隠れてなきゃダメなの」
そして私は身を隠して、わずかな隙間から外を見ている。
「雷が鳴って、叫び声が聞こえて……人が倒れてるの」
息を潜めて、見つからないように。
「声を出しちゃいけないの。怖くても泣いちゃいけないの」
そう、約束したから。
大好きな人と約束したから、守らないといけない。
「こんなの、知らないのに」
だけど忘れてるだけかもしれない。
あの場所はどこで、大好きな人は誰で、一体何が起きたのか。
私がぽつぽつとしゃべるのを聞いていてくれた竜皇は、少しだけ押し黙った。
「私が側に付いている」
静かだけど、力強い声。
「私より強い者がいると思うか?」
竜皇より強いもの?
そんなのないと思う。竜皇は神様なんだし、誰よりも強いはず。
「いないと思う」
「ならば安心しろ。何があっても守る」
「……うん」
竜皇の胸に寄りかかって目を閉じる。雷はいつの間にか聞こえなくなっていた。
うーん。
外の明るさに気が付いて目が覚めた。
「起きたか」
声が聞こえる。
……あれ?
「竜皇?」
目を開けると、竜皇がベッドの端に座っていた。
何でここにいるんだろう。
えーと。昨日はおやすみなさいのあいさつをして、部屋に戻って。そうしたら雷が……。
あ。
よく見ると、片手で竜皇の服をしっかりつかんでいた。これじゃ、竜皇は自分の部屋に戻れないよね。
「ごめんなさい」
「構わない」
慌てて手を離すけど、くっきりしっかりしわになってる。
「だって竜皇寝てないでしょ?」
「一日二日寝なくとも、何ら問題はない」
本当にそうなのかな? でも確かに眠そうな様子はない。
「顔を洗って着替えておいで。朝食にしよう」
「はーい」
ばたばたと身支度を整えて、朝食用の部屋へ行くと、竜皇とほかほかのご飯が待っていてくれた。
竜皇は人の姿をするようになってから、食事もお茶も一緒にしてくれるようになった。一人で食べるより、誰かと一緒の方がおいしい。
食後のお茶は私がいれる。
たまに失敗することもあるけど、ソイエさんのお屋敷で練習したから、かなり上達した……はず。
……あれ。
「……濃かった?」
「少しな」
竜皇は何にも文句を言わずに飲んでくれるけど、今朝のは失敗だったかも。色がかなり濃い。
いいお茶だったのに、おいしくいれられなくてごめんなさい。
そういえば。
「竜皇にも苦手なものってあるの?」
誰にでもあるって言ってたし。
竜皇は、ちょっと渋い顔をした。
そんなにお茶濃かったかな。
「……あるというか、いるというか」
竜皇でも苦手なものってあるんだ。
こんなこと思っちゃいけないのかもしれないけど、ちょっとだけ嬉しかった。
竜皇が苦手なのは「者」です。




