『姫』3
「うわぁ! かわいい!」
「お気に召しまして?」
「うん! だけど、ここ、なんですか?」
久しぶりにお休みのソイエさんに連れてきてもらった、王都の外れの、お家と呼ぶには大きいし、お屋敷というには小さいくらいの家。
家の大きさに対して広過ぎるくらいの庭は一面芝生になっていて、芝生の上には大きな犬が何種類かと、たくさんの子犬が、走り回ってたり、転げまわってたり、寝そべってたり。
何で、こんなにいっぱい犬がいるんだろう?
「当家では、いろいろな犬を繁殖させております。犬の牧場のようなものですな」
この家の人らしいおじさんが、そう答えてくれた。
「犬をこんなに飼って、どうするの?」
「目的は様々ですが、子犬は、いろいろな所にお譲りいたしております」
もちろんそれなりの対価は頂きますが、と言っておじさんは笑うけれど、私にはよくわからない。
「私は、屋敷の番犬になるような犬が欲しくて、此処に来ました」
私が納得してないのを見て、ソイエさんが説明してくれた。
「ですから、それなりに大きく、主人の命令をよく聞く、賢くて、必要なら不審者に攻撃することも厭わないような性格の犬が欲しいので」
そう言って、指差したのは庭の向こうの方で走り回っている、大きそうな犬。
「ああいった種類の犬の子供が生まれたら、何匹か譲って欲しいと頼んでいたのです」
そういえば、ソイエさんのお屋敷の庭には、ちょっと怖い顔つきの犬が何匹もいる。
「よく躾ければ、人間の見張りよりもよっぽど役に立ちますのよ」
「じゃあ、あっちの犬は?」
私が指したのは、体は大きいけれど、ちょっと涼しい木陰でのんびりお昼寝している犬の親子。
「あれは本来、もっと寒い地域で、荷物を運ばせるのに使っていた犬です。気性が大人しくて賢く、人の命令をよく聞きますので、隠居された方が身近に置かれたり、お子様の遊び相手にお求めになる方もいらっしゃいます」
ふぅん。
「じゃあ、あっちの小さい犬は?」
今いる建物のテラスの隣には大きな広い部屋があって、その中には庭を小さくしたような光景。庭にいる大きな犬の子犬くらいの大きさしかない犬と、さらに小さいその子犬。
「貴族のお嬢様などが、愛玩用にお求めになりますな」
あいがん……?
「あいがん?」
ソイエさんを振り返る。
「手元に置いて可愛がる為、ということになりますかしら。あのような小さな犬は、大体家の中で飼います」
「犬なのに?」
「ええ。鳥を籠に入れて飼うのと、同じ様なものですわね」
それがね、わからないの。
「なんで? 鳥は空を飛ぶものだし、犬――獣は、地面を走るものでしょう? なんで閉じ込めるの?」
そう言うと、この家のおじさんは困ったような顔をして黙り込み、ソイエさんは何だか複雑な表情でウォレフさんと顔を見合わせた後、私の頭を撫でた。
「……人間の勝手なのでしょうけれどね、いろいろありますのよ」
うーん。なんか納得いかない。
ソイエさんがお屋敷に連れて行く子犬を選んでいる間、好きなだけ犬と遊んでていいっていわれたので、庭に出て走り回る子犬たちに近づくと、犬の方から寄ってきてくれた。
じゃれついてくれる、わんこがかわいい。かわいい。
「あら、大人気ですわね」
三匹の子犬を連れて戻ってきたソイエさんは、子犬に囲まれた私を見てくすりと笑い、少し離れた場所にちょっと冷たい目を向けて、呟いた。
「あっちも」
その視線の先を見ると、犬に囲まれたウォレフさん。こっちに歩いてこようとしてるみたいだけど、何匹もの大きな犬にじゃれ付かれて、歩きにくそう。
「しかも、メスばっかりだし」
そっか。ウォレフさんって、オオカミだもんね。犬には、なんとなくわかるのかな?
でも、ソイエさん。なんか怖いよ?
私の周りにいた子犬たち、みんな逃げちゃったよ? さっきからずっと私のそばにまとわりついて離れないコだけ一匹残ってるけど、私にくっついてすごく震えてるし。ソイエさんが連れてきた子犬も、ソイエさんの足元でなんだかおびえてるけど……。
「選んだのはその子犬か?」
まとわりつく犬をかわしながらやっと近くに来たウォレフさんに、ソイエさんはなんだかそっけない。
「そ。いい子でしょ」
「……お前、何でいきなり機嫌が悪いんだ?」
ウォレフさんは首をかしげながら、子犬を一匹ずつ見ていく。
というか、もしかして話してる?
「これと、これは素直で良さそうだな。体格もいい。この一匹は、ちょっと癖が強いな。気性も少し荒い」
「番犬だもの。それくらいでいいでしょう?」
「そうだな。今いるのと上手く馴染めるかが問題だが、まぁ、大丈夫だろう」
「そう。じゃ、この子達を連れて帰るわね」
「ところで、また全部オスか?」
「うちには、メス犬は要らないの」
何気ないウォレフさんの言葉に、ばしっと叩きつけるように答えるソイエさん。
子犬が四匹とも、びくっと体をすくめた。
私もかなり怖かった。
ウォレフさんだけは一瞬あっけにとられて、そして、笑いをかみ殺している。
な、何がおかしいの? あんなに怖かったのに、笑うところなの!?
「ふん」
それを見たソイエさんは、不機嫌そうにウォレフさんに背を向け、そして、私と、私にくっついている子犬を見た。
「姫、その子犬はどうされます?」
「どう、って?」
「連れて帰りますか?」
え?
ソイエさんから異様に怖い気配がなくなったからか、子犬はちょこちょこ動きだし、芝生に座った私のひざの上に登ろうとしている。
「うーん」
かわいいけど、でも。
「その犬も、姫に懐いているようですし」
「でも、連れて帰ったら、この子、お母さんとか兄弟とはなればなれになっちゃうよね?」
それは、かわいそうだと思うの。
「そうなりますわね。でも、人の親子もいずれは離れ離れになるものですし、ここの犬はいずれ、それぞれ違った場所に買い取られて行きますから」
でも。
迷っていたら、少し離れた場所で大きな犬が一声ほえた。
ひざの上によじ登っていた子犬は、それを聞いて顔を上げると、地面におりた。
そして、ちょっと私を振り返ったけど、大きな犬、多分お母さんのところに走っていく。
寝そべった大きな犬のおなかには、何匹か子犬がくっついていて、私のひざにいた子もその中に混じる。
あぁ、ごはんの時間なんだ。
「まだ、お母さんと一緒にいたいみたい」
ソイエさんにそう言って、立ち上がる。
「よろしいのですか?」
「うん。だって、その子がいたい場所にいるのが、一番いいでしょ?」
そう。
他に、いなくちゃいけない場所があるわけじゃないなら、そこにいる相手に迷惑にならないなら、自分がいたいと思う場所にいるのが、きっと、一番。
お屋敷に帰った後、ソイエさんはなにかお仕事があるみたいで書斎にいってしまい、ウォレフさんは子犬の居場所を作ったり、お屋敷の人や前からいる犬に慣れさせるにはどうするかというのを指示したりで忙しいみたいで、私は久しぶりに一人になった。
普段は、大体ソイエさんかウォレフさんがそばにいるし、使用人が少ないとはいっても、そこかしこにお仕事中のメイドさんや、お屋敷の警備の人がいる。
ほとんどの時間そばにいてくれるウォレフさんも、別に監視とかそういう訳じゃなくて「護衛」なんだけど、でもたまには、一人になりたい時もある。
お屋敷の中、私が一人になれる場所は限られている。
私の部屋と、もう一ヶ所。
「姫様、どちらへ?」
片手にカバンを持って部屋を出ると、廊下の掃除をしているメイドさんに声を掛けられた。
「神殿に行ってきます。ソイエさんに伝えておいてください」
私が一人になってもいい場所。
それは、竜皇のお城とつながっている神殿。
「かしこまりました」
カバンの中身については何も聞かれなかった。
普段からこのカバンには、ソイエさんに借りた本やお勉強の道具をいれて持ち歩いてるし、たまに神殿で本を読んでたり書き物をしてるのは、お屋敷の人たちも知っているから。
庭を横切る通路を渡って、神殿に着く。
扉の鍵穴に、竜髄石と一緒に首にかけた鍵をさしこんで、回す。
がち、がち、がち、と歯車が回っているらしい音がして、がちり、と音が止まる。
でも、この扉の鍵は特殊で、まだ開いていない。
そして、もう一度、鍵を回す。
がたん。
少し大きな音がして、やっと鍵が開く。
私には重すぎる扉を引っぱって、一人通れるくらいの隙間を作って、中に入る。
そして、扉を閉めると、中から鍵をかける。
これで、しばらく誰も来ない。
もともと、ここにはソイエさんとウォレフさんしか入っちゃいけないみたいだから、お屋敷の他の人は、扉の外から声をかけてくるだけだけど。
振り返ると、青いガラスを通った光を浴びて、青く浮かび上がる竜皇の石像。
その前まで歩いていって、カバンを開ける。
「ごめんね、押し込んじゃって」
中に入れてたのは、小さい方の竜のぬいぐるみ。
竜皇の像は、大人の背丈よりもちょっと高いくらいの祭壇の上にある。この間、祭壇の上に登ったら怒られたから、代わり。
「あのね、竜皇。最近はお勉強してても、ほめられる事が増えてきたの」
ぬいぐるみを抱きしめて、祭壇に背中を預けるように床に座る。
これがすでにお行儀悪いけど、今はいいの。
竜皇の像は、足は祭壇の上にあるけれど、広げた翼や伸ばした首は、祭壇から大きくはみ出している。
祭壇の端に寄りかかるようにすると、ちょうど、竜皇の顔を見上げる形になる。
だから、いつもこうして、話しかける。
答えてくれないのも、そもそも聞こえもしないのも、わかってるけど。
ぬいぐるみを、ぎゅ、と抱きしめる。
「ねぇ、もうじき、秋の紫の日になるよ」
この世界には、二つの月がある。
夏の紅い月と、冬の蒼い月。
だから春と秋には、二つの月が入れ替わる日がある。
陽の長い夏と陽の短い冬、その境目。つまり昼間が一日のちょうど半分の時間になる、春分と秋分の日の前後数日間、空には二つの月が昇り、夜は紫になる。それが『紫の日』。
神殿にとっては、冬至や夏至に並んで大切な儀式の日。
春の紫の日には、このフルヒリング王国の東の端にある東神殿に、そして、秋の紫の日には西のアウテナ王国にある西神殿に、竜皇が降りる。
夏至に竜皇の巫女になった私にとっては、秋の西神殿の神託が、巫女姫として最初のお仕事になる。
……はず。
なのに。
「私、巫女のお勉強まだ何もしてないよ? 竜皇が神託を降ろすときに、何をしたらいいのか、全然知らないよ?」
じわ、と涙があふれてくる。
「なんで何も言ってこないの? なんで帰ってきなさいって、言ってくれないの? なんで……」
ぬいぐるみを抱きしめる腕に力が入る。
「なんで、会えないの……?」
最初のうちは、勉強に集中しなさいって言う意味だと思ってた。思おうとしてた。
でも、何回もウォレフさんに竜皇に会いたいって言ったのに、何だかうやむやにされてしまってた。
そのうち、おかしいことには気が付いた。だから、竜皇に会いたいって思っても、言わないようにした。
でも、気のせいだと思ってた。
紫の日が近くなったら、呼び戻してくれると思ってた。
だけど。
この間。新しく、私の体に合わせて巫女姫の正装を作るからって、採寸してもらったときに、久しぶりにウォレフさんに聞いてみた。
「巫女のお勉強って、竜皇に教えてもらうしかないよね? 全然やってないけど、大丈夫なの? 早く帰って、ちゃんと教えてもらわないといけないと思うの」って。
だけど、ウォレフさんの返事は「皇にお伺いしておきます」というだけで、それから、何も言ってこない。
それが、答えなんだと思う。
泣いちゃダメなのに。泣いちゃいけないのに。
でも涙がとまらない。
抱きしめたぬいぐるみに、顔をうずめる。
ベルタさんは「安心して、思い切り泣ける場所ができるとよろしいですわね」って言ってた。
でも、私には、そんな場所はできない。
さっき犬を連れてこなかったのも、本当は犬のためじゃない。
もしも連れてきて、お母さんを恋しがって鳴いたりする姿を見たら、きっと、私のほうがたえられなくなるから。
「……姫?」
どれくらい時間がたっていたんだろう。
気が付いたらすっかり暗くなっていて、灯りを持ったソイエさんが、隣にかがみこんでいた。
「もう夜ですよ?」
私の顔を見て、ソイエさんは黙り込んだ。
かなり酷いことになってるんだと思う。だけど、まだ、とまらない。
ハンカチを差し出してくれたけど、ぬいぐるみを抱きしめなおして、顔を背けた。
「泣いてなんか……ないも……」
声がつまる。
灯りが床に置かれて、隣にソイエさんが座る気配がした。
「そうですわね」
でも、ハンカチは差し出された。
「ぬいぐるみの縫い目や、布の毛足の跡がお顔に残りますから」
ハンカチを広げて、ぬいぐるみにかぶせて、顔を押し付ける。結構無理やりだけど、涙はふけた。
「私も、昔はよく此処にきて、石像に話しかけていましたわ」
ソイエさんはぽつ、と話し出した。
「私にとって此処は、神に祈る場所ではなく、恨み言を言う場所でしたけれど」
「うらみごと?」
「ええ。神に祈るだけ無駄だと、身に染みてわかりましたから。どうして、王都を壊したのか、助けもしないのに祈らせるのか、とか」
まぁ、人間が勝手に祈っているだけで、竜皇様が祈れと強制してるわけではないのですけれどね。と、ソイエさんは続けた。
「人の理屈と、神の理屈、それに眷属の理屈が違うことは、わかっているつもりなのですけれどね。それでも、理不尽だと怒りを感じることは、多々あります」
そして、大きく溜息をついた。
「特に、ここ数日は」
……え?
思わず、ソイエさんに振り向く。
目が合うと、優しく微笑んでくれて、それから、真剣な顔になった。
「姫。一つ、確認してよろしいでしょうか?」
「何を?」
「姫は、巫女姫としての『名』を、授けられているのですね?」
巫女姫としての名前。シエル。シエルラスティア。
誰も呼んでくれない名前。
うん、と答えそうになって、思い直した。
「はい。確かに、いただきました」
今度は、ちゃんと声が出た。
「では、姫が今、一番、竜皇様に言いたいこと、聞きたいことはなんですか?」
竜皇に言いたいこと。聞きたいこと。確認したいこと。
「……ソイエさんに言ったら、答えが出るの?」
「善処いたします。ですから、否定か、肯定か、はっきり答えが出る形にして下さい」
どっちか、はっきり、わかるように。
今、一番聞きたいこと。確かめたいこと。
「……ひとつだけ、確かめたいの」
本当は、聞くのが怖い。答えは聞きたくない。だけど、はっきりしないままでいるのが、一番辛い。
「私……竜皇にも捨てられたの?」
ソイエさんが、息をのんだのがわかった。
そして、しばらく黙り込んでから、確認された。
「『も』というのは?」
「事情があったのかもしれないけど、家族のことは何も知らない。忘れちゃってるから、捨てられたのか、私が捨てたのか知らない。忘れているんだから、私が捨てたことになるのかも知れないけど」
ゆれる炎に照らされて、だいだい色になった竜皇を見る。
「全然条件に合わないのに、竜皇の巫女選びの儀式に出されたのは、神殿が、私を捨てる為だったから」
ソイエさんからの答えはない。
巫女の眷属だから、巫女選びの儀式のことは知っているはずだし。
「そのときは、竜皇が拾ってくれたけど、やっぱり、誰も、私なんて、いらないのかな」
孤児になった私は、神殿に拾われた。
神殿に捨てられそうになった私を、竜皇が拾ってくれた。
そして……竜皇にも捨てられて、また、誰かが拾ってくれるのを待つのかな。
ソイエさんには、巫女じゃない私の面倒を見る義理はないんだし。
今度こそ、独りで生きていかないといけないのかな。
「その答えを、聞きたいですか?」
ソイエさんの声は、感情を押し殺した、硬い声だった。
「本当は、聞きたくない。だけど、はっきりしなくて、不安なのは……もうイヤ」
沈黙があった。
「かしこまりました」
力強くそう言って、ソイエさんは立ち上がる。
「さぁ、屋敷に戻りましょうか。夕食が遅くなってしまいましたわね」
その声は硬さがなくなって、いつもどおり。
食欲なんか、ないけど。
「しっかり食べないと、戦えませんわよ」
「……戦う?」
何と?
「人と、神の。まぁ、女と男の、かも知れませんが。それ以上に、弱気になりそうな自分との戦いです」
前のほうはよくわからないけど、最後は、わかる。
「……はい」
そう、ソイエさんには伝えたんだから。
あとは、どっちの返事が来てもいいように、たえられるように、しっかりしなくちゃ。
番犬用は土佐闘犬的、愛玩用はグレート・ピレニーズ的な外見の犬種を想定しています。
ウォレフは人間の女性にも雌犬にもモテまくり。




