雨降って、自、固まる
東京の大学に進んでから、外に出るのが嫌いになった。
自分が埋もれていくのを感じる。
私の代わりはたくさんいて、私は名前でなく記号で管理されている感覚。きっと私がいなくなっても、世界は全く変わらない。
そんな風に、砂漠の砂の一粒みたいに消えていく感覚が怖いと思う。
「また外ばっか見てるの?」
ルームメイトが私の顔を覗き込む。
「もう講義終わったの?」
私が視線を上げると、少し眉をひそめたカナが見える。
「天気くらい確認しなよ。警報、出てるじゃん。ヤバくなる前に帰ってきちゃったよ」
そっか。雨か。ぼんやり見下ろす交差点には、傘をさしてる人ばかり。
「そろそろ大学も来ないとまずいよ。二年になってからまだ行ってないでしょ」
呆れつつも、カナは講義の予定表を渡してくれる。
「そろそろ履修登録期間が終わりだっけ」
「再来週まで」
足音が遠のく。隣の部屋から、冷蔵庫を開く音と、液体を注ぐ音が聞こえてくる。
「ねぇカナー」
私は少し大きな声で話しかける。
「カナって自分の学籍番号覚えてる?」
冷蔵庫の閉まる音と、しばらくの沈黙。
「‥‥‥そりゃ覚えてるけど。なんで?」
笑い混じりの声。激しくなった雨音にかき消されない、綺麗な声。
「なんとなく」
私の嘘は、小さな声。カナが少し、遠くに感じる。
鞄を頭の上に乗せて走る人、雨宿りをしてスマホをいじる人、傘をさして歩く人。
窓際から動かない私の後ろで、カナが座る気配がする。すぐに、ギターの音階がゆっくり鳴る。
見なくても、カナの姿が見える。クッションに座って、愛おしそうにギターを弾いてる。私には、どうしてそんなに綺麗に鳴らせるのか分からない。
誰の曲かもわからないギターを二曲分くらい聴いてた時、ふと私はあることに気がついた。
「カナ!」
私は交差点のその一点を見つめたまま立ち上がる。
「ここに座って見てて」
振り返ると、当惑した変な顔。
「何を見るって?」
「ここから見てたらわかるから!」
興奮して心臓の音が聞こえそう。私は飛ぶように玄関へ向かう。
「えっ? ちょっとどーゆうことー?」
カナの声を背中に受けて、私は靴も履かずに飛び出す。もわんっ、と湿気が体にぶつかる。それすら新鮮で嬉しくなる。
滑らないように気をつけながらアパートの階段を降りる。濡れながら少し走って、青信号の交差点に飛び込む。
みんな傘をさしている。手元のスマホか、傘で狭まった世界しか見てない。その人たちを無視して私は進む。
「なに、あれ」
雨音に混じって、女子の声が聞こえる。きっと私のことだろう。少しだけ、興奮が大きくなる。
私が交差点の中程で止まると、私を見る人がやや多くなる。大雨警報の掲示板が光って、足元はぐしょぐしょで、ワンピースの裾が重い。
「まだ傘をさしているんだ」
内緒話をするような声で、私は呟く。
カナは見てるかな、と部屋を見上げる。
砂漠の粒たちが私を見る。変な人を見る声も聞こえる。でもカナならわかるはず。
「私は私。なにかの模様の一部じゃない」
部屋から外を見ていた時、暗い景色の中に一筋の光が見えた。雲の切間から差し込む太陽の光が、一点を照らしていた。今私がいる、この場所。
何も考えずに一度ターンをする。私についてた雫が飛んで、キラキラ輝く。
「私は私。ちゃんと存在してる」
私だけのスポットライトが嬉しい。ほんの1分くらいでも、自分の居場所が認識できてる。
歩行者信号が点滅する頃、私は少し笑うことができた。