1の6 妖精さんは鉄だけはかんべんなのです!
1の6 妖精さんは鉄だけはかんべんなのです!
「大丈夫ですか!」
現場につくやいなやわたしは声をあげました。
下はコンクリート敷きの通路。鐘が落ちてきたところはくぼみができていました。鐘は取り付けられていた状態と同じ様に、下にある開口部が通路に密着する形で落ちていました。
「霧先輩は!?」
鐘の周りにいる人々に声をかけるわたしでした。冷静になれば先輩ではない可能性も十分にあったのでしょう。だけれど当時の私の頭は湯気が出るほど熱くなっていました。
「どうやら、中にいるみたいね。幸いな事に、どこにも挟まっていないみたい」
腕組みしながらそう答えてくれたのは。養護教員の粕谷先生です。
「先輩! 先輩!!」
鐘の表面をガンガン叩きながら大声をあげるわたし。
「って。この中にいるのは、霧さん。菅沼さんなの!?」
わたしの肩に手を置きながらも先生の丸っこい目が細く鋭くなります。
「そうですけど?」
わたしは先生に答えました。
「彼女は鉄アレルギーなのよ! その鐘、まさか鉄製じゃないでしょうね」
保全はしてあるものの赤い錆の浮いたそれは鉄製にも見えます。
「アレルギーだとどうなるの?」
わたしは先生に向き合ってその両腕を掴んでいました。
「軽度だけれど長時間の接触は炎症を引き起こすでしょうね。場合によっては呼吸困難になるかも」
それだけ聞けば十分。
「先輩! 待っててください!!!」
わたしは鐘に体を押し付け力をかけます。
「おい、無茶するなよ!」
男子か先生か分かりませんが留め立ては無用です!
「おお、少し浮いてるぞ!」
他の男子が驚いています。それは良かったです。こちらは全力ですからね。
「女子だけに任せておけるか! みんな行くぜ!」
そう、それです! あなたたち、可愛い女の子だったら少なくとも五秒は早かったでしょう。
「おおおおおりゃあ!!」
肉体系部活男子達の力を借りて鐘はグイグイと持ち上がっていきます。
「ドドーン」
尽力のかいもあって鐘はわたし達が押した方向へと倒れました。先輩は地面に土下座するように丸くなって倒れています。
「大丈夫!?」
まず最初に寄って行ったのは先生でした。
「入院した方がいいわね。大丈夫よ馳さん。命に別状はないわ」
先生は立ち尽くすわたしの手を握り言います。
「!?!?」
突然の痛みがわたしの手を襲います。
「どうしたの? ああ、人ひとりがすっぽり入る鐘を貴方だけで浮かせたんですものね。無茶しちゃったかあ」
先生はわたしをその場で座らせ、手の状態を診てくれました。
「思ったより何ともなってないわね。一応専門のお医者さんに診てもらいなさい」
駆け付けた救急車に乗っていた人と交渉する先生。一つの救急車に患者は基本的には一人という原則らしいのですが、交渉の結果わたしは付き添いとして同乗するということになりました。
救急車に運び込まれる先輩。その首筋は赤く腫れていました。わたしはその惨状に思考停止していましたが先生に促され救急車に乗り込みます。救急車は最寄りの病院へと直行し、わたし達は救急医療処置を受けました。
先輩の休む病室。わたし達が運び込まれて処置を終えてから三時間ほど、ベッドサイドに椅子を置いて先輩の寝顔を眺めていました。
「先輩、大丈夫ですか」
私は、ほんの少し筋を違えた程度と診断されすぐに大丈夫とのお墨付きをもらったのですが先輩はそうはいきませんでした。
「護符は、勿論剥がされているか」
先輩は目をぱちりと開き落胆の声をあげます。眼帯は外されうち身になっていた目の周りは驚くべきことに普通の皮膚の色になっていました。そしてもう一つの方の瞳孔は金色に。包帯類は巻きなおされたようですがギプスはそのままでした。
「護符って、これですか? 先生達は湿布かもといっていましたが」
先輩の処置を行う際に包帯をめくるとなにやら複雑な模様の書かれた布が出てきました。先生達は湿布だろうと判断していましたが、わたしは多分何かの意味があるものだろうと思いもらっておいたのです。
「まあ、湿布でもある。庭に生えているハーブしか使ってないけれどね。大量の鉄の影響下ではさしもの妖精の軟膏の効能も冴えないものさ」
先輩は肩をすくめようとしますがすぐに顔をしかめます。
「痛いのですか?」
護符を握りしめながら問いかけます。
「そりゃあ痛いさ。それを返してくれないか」
わたしに手をさしのべる先輩。
「でも、これが先輩の手に渡れば、また無茶をするのでしょう?」
旅に向かう男の大切な物を握って離さない。そんな女の心境でした。
「困ったね。いいかい? 今日君が僕を鐘から助けてくれた。その時に行われた運動は英雄レベルと言っていいだろう。必ず報いがくる。しかも大きなものだ。自然に一個の妖精が反逆できるわけはないんだ!」
痛みに耐えながらの叫びは低くわたしの心をうちました。
「だったら! どうしてその源を断とうとしないんですか!」
わたしが先輩に対して不満に思っていたことはこれでした。
「源? どうやって? まさか人間がやっているような環境破壊をしようとでも? まさかだね。人間が生存不能な惑星になっても自然は生き延びるよ」
わたしの言葉に妖精の源、自然の危機の匂いを感じ取り、先輩は声を荒らげます。
「その自然というか、大自然のえらい妖精がいて先輩に呪いをかけたんでしょう? どうして立ち向かわないんですか! 先輩だけの力で足りないのならわたしも頑張ります! どうしてやる前からあきらめるんですか!」
椅子から立ち上がり熱弁を奮うわたし。
「ふふっ」
先輩は体を震わせます。
「どうしたんですか。ファイトです! 自然なんかに負けてはいけません!」
ファイティングポーズを取ろうとして手首あたりに違和感を覚えるわたし。でも根性でポーズをとります!
「ハッハッハッハッ」
大笑いを始める先輩。
「何がおかしいんですか!!」
そう聞くのは自然でした。
「いやあ、君も随分ファンタジーよりな考えをするんだなと。そして誤解があったようだね。ぼくは命を懸けて誓いを行い現代の妖精では得難い程の魔力を得た。誓いの内容は君を怠惰にすると、そうするための障害を全て払うと、できなければ僕の命は失われる。それが自然なのさ。妖精の上司とかいない事はないがもっと上の世界そのものと契約を結ぶのが誓いというものなんだよ。わかったかい?」
そう言ってから先輩はわたしの手から護符を奪い取って体に張り付けていきます。
「……はい」
もっと大きな大自然のシステム?的な話だと気付かされたわたしは、しょんぼりとしながら答えました。本当に命がかかっていると知ったなら先輩の言葉に従うしかありません。でも怠惰ってだらけることですよね。わたしは、どうなってしまうんでしょうか。
「さて」
先輩はわたしの顔を意味ありげに眺めます。
「君は僕に何をしてくれるのかな?」
いやらしい笑い! 本当にこのままでは先輩は死んでしまうんでしょうか? そんな疑念も頭の中をよぎりましたが実際に不思議なことは起こっているのです、すぐにそんな考えをふりはらいました。
「わたしも誓います!」
宣誓のように掌をあげて元気よく!
「うん、なるほど。僕が誓ったから君も誓おうと言うわけだね。素晴らしいね。君の誠意を感じる事の出来る素晴らしい案なのだが問題がある」
先輩の顔がニヤリとしたものから真剣な表情に変わります。
「問題ですか?」
なんでしょう。わたしも誓ったら先輩のような状況になるのでしょうか。
「第一関門として魔法を信じていないといけない。これには君は物事をありのままに観察する奇麗な心をもっている。合格かな。しかし魔法というものが退けられた現代では、それなりの手順を踏まないと誓うことすらできない。面倒な儀式や様式を学ばないと駄目なのだね」
つらつらと説明をしてくれる先輩。でもわたしは、あまり頭が良くありません。少し情報の量が多すぎて頭痛を引き起こしかけている所を見て説明を一旦止めてくれます。
「えっと、誓いを使うことは無理なんですね!」
よくわかりませんでしたが、多分このようなことでしょう!
「そうだね。君が魔法を学ぶ事はないだろうから、それが真実なのだろうね」
フッと笑う先輩。
「ではどのようにしましょうか?」
分からない時は先輩や先生に聞くのが一番です。
「最初僕は君を魔法で縛ろうとした。しかしそれは間違いだった。僕は君を運命から護ろうと思う。守護の魔法を使用した。君は運動しても大丈夫だ。その分の報いは僕が贖うことになる」
先輩はベッドから立ち上がります。
「大丈夫。心配はいらないさ」
先輩が首にかけたペンダントを握りこむと、体から光が発生しギブスや包帯を吹きとばします。ですが不思議なことに衣服には全く影響はありませんでした。赤く腫れた首筋以外は話している間に完治した様子です。
「先輩! 無理はダメです!」
わたしは先輩につめよりました。
「これが力ある者の責務だよ。それに僕は喜んでこの責務に身を捧げる所存だよ」
また鼻で笑いました。ほんのちょっとだけわたしの口がへの字に曲がります。
「そんなのおかしいです! 先輩だけが傷を負うなんて!」
見た所ほとんどの傷は治り切っていました。ですが先輩の手を握って気持ちを伝えることにはためらいがあります。
「ふむ。英雄とは現代に残された魔法の一つなのだよ。これに関しては魔法を否定した奴らも受け入れる。だからだね、こう考えてはどうだ。僕はこの世に残った魔法の残火を絶やしたくない。君は走りたい。これなら問題はないだろう?」
また無茶な提案をしてきます。
「先輩が負った傷は、全部わたしのものだったのですよね!? かえしてください!」
無茶には無茶です。
「申し訳ないがすでに守護の儀式は執り行われた後だ。僕の事を思ってくれるなら、そうだな約束してほしい事がある」
先輩はわたしの肩に手を置きました。
「儀式なんていつの間に! それはともかく陸上部には入りますよ!」
呪い部はちょっと。悪いのですけれど。
「儀式については夢の中でね。部活については諦めているからいいんだ。陸上部に入ってもらってもいい。ただし、学校や陸上部の活動以外で全力で移動するのは控えてくれ。それだけでも報いが抑えられるはずだ」
じっとわたしの目を覗き込んでくる先輩の赤い目。
「自主練をするなということですね。仕方ありません先輩のためですから!」
ここは我慢です。
「いや、走るのを我慢さえしてくれれば何とかなるはずだ。君の英雄的資質は走る事に特化しているようだからね」
先輩は手を振りながらベッドにもぐりこみます。
「えっとわかりました! 学校以外で全力で移動するのを控えればいいんですね!」
わたしも手を振りながら先輩の言葉を確認します。このような場合は一語一句間違えずに確認することが重要です。ばかなわたしは覚え損ねていることも良くありますので! 先輩は振り返らずにそのまま病室から出ていきました。