1の5 走る×わたし=先輩-死!?!?
1の5 走る×わたし=先輩-死!?!?
「やあ、おはよう」
次の日の朝。今度は邪魔されても大丈夫なぐらいは早いはずですが、玄関から出た途端に声がかけられました。
「霧先輩、どうしたんですか!?」
なんと先輩は両目に眼帯をしていました。
「昨日野球のボールに追いかけられてね」
フッと鼻で笑うポーズも両目眼帯では様にはなりません。……いえ、恐ろしいことに様になっていました。
「追いかけられたんですか? つまりボールにあたったんですよね」
言葉の違和感に首をかしげるわたし。
「ボールぐらい邪眼で跳ね返せるさ。実際に跳ね返す事はできた。しかし跳ね返されたボールは再度僕に襲い掛かってきてね。何度も跳ね返したんだが、科学ではこれを作用反作用というのかな、僕の眼底のほうが耐えられなくなったのさ」
先輩が新しい方の右の眼帯を少しずらすと、何かに打たれたような紫色に変色した肌が見えました。
「色々とおかしいんじゃないですか?」
今日の、いえ今この瞬間のわたしは冴えていました。もちろんこの瞬間だけでしたが。
「ふむ、どこがおかしいと思うんだい」
先輩は右の方の眼帯を元の位置に戻しながら聞いてきました。
「ボールが何回も跳ね返ってきて、しかも全てが先輩を狙うなんておかしいです!」
二重の意味で痛々しい先輩の眼帯姿を見ていると支えてあげたいという気持ちがわいてきました。
「ふむ、確かに。それだけかい?」
先輩は軽く眼帯の上を押さえながらわたしの次の言葉を促します。
「それが本当だとしたら魔法のようです!」
そんなボールがあるとしたら魔球ですから。
「君のいう通り。魔法の作用だ。僕の誓いから生じた自然が科した罰なのさ。法に逆らったというね。あてられるわけにはいかなかったので抗ったけれどね」
先輩は、見えていないはずですが顔をわたしの方へと向けてお話をしてきます。
「法律に逆らったらすぐに裁かれるなんておかしいんじゃないですか。誰ですか、そんな罰とか言い出した人は? そんなのおかしいです!」
わたしは、ここが朝の住宅街だということも忘れて叫んでいました。
「君は僕を庇ってくれるんだね。僕が君の生活に明らかに不可解な制約を課そうとしているにも関わらず。しかしこれは僕の使命だ、言わずにはいられない。馳初日、これ以上の過度な運動を止めるんだ」
でも、それだけは。わたしにも譲れないものがあります。
「この体が崩れ落ちることなんて考えられません。走ることは息をすることと同じぐらい重要です!」
こうなることはなんとなくですが分かっていた気がします。
「僕は無理矢理君を止める事ができる。そこから立ち去らないように呪いをかけたり、走る事が二度とできないように足を萎えさせたり、薔薇ので永遠に眠り続けてもらうのもいいかな」
先輩の口角が不自然にせりあがります。
「でもそんなこと! 先輩はしません。わたしを自堕落にするなんてことは考えないでください!」
これもなんとなく無理なのだと感覚は告げていました。
「妖精も自然に近しい存在なんだよ。自然が一旦選択した行動を曲げる事があるとでもいうのかい? ないよね、明確な理由がない限り」
似たような言葉を、何度か投げかけられました。もう必要はないでしょう。
「いくら言われてもわたしは変わりません!」
もし真実を知っていたら、わたしは自分を曲げたでしょうか。
「そうか。誓いの件もあるからなるべく穏当に済ませたいのだが」
そう言ってから先輩は口ごもります。
「誓い? 魔法で罰を与えた人に言ってください!」
朝練に遅れるわけにはいきません。わたしは走り出しました。
後で先輩が何か叫んでいるのを聞きましたがわたしは足を止めませんでした。この時点でも頭空っぽのわたしは、いくらか先輩の言葉を聞き違えていたのですが本当にお恥ずかしい限りで今でも先輩には頭が上がりません。
それから四日後の朝。
「やあ、おはよう」
あれから先輩は毎日朝家から出るわたしに声をかけてくれているのです。
「昨日は何に襲われたんですか?」
少し自分の頬がふくれ気味になるのを感じます。
「おや、お話しするのは嫌かい? それとも僕の話が突拍子もなさ過ぎて疑っているのかい?」
それは、疑う部分もありました。襲い掛かってくる物体はバスケットボール、ハンマー投げのハンマー、フェンシング競技のエペと明らかに殺傷能力が上がってきているのです。それにもかかわらず
「先輩は不死身なんですか?」
右手を包帯で吊り、左足をギプスで固めた先輩は、杖をついてここまできたのでしょうか。ハンマーの直撃を受けてすぐに歩けるとか、わたしでも気付くほどのおかしさです。
「昨日は重機が飛び込んできたよ。あと二週間は頑張れそうだ。けれどそうなった場合、学校の備品に対する保証はできかねるかな。結局のところロードローラーは壊さざるを得なかったのだしね」
先輩のいう言葉は持って回った感じがしてわたしにはわからない所が多く混乱します。
「えっと、ロードローラー?」
ほら、混乱しました。
「グランド整地用にあるんだ。さすがに治療不能の重傷を負いそうだったから向こうに壊れてもらったよ」
カラカラと笑う先輩。
「そんなことになるんだったら、学校に行かなければいいんじゃありませんか?」
的外れの忠告。
「まあ、家にいても裁きは来るしね。それより君に何かあった場合に備えてできるだけ近い場所にいないといけない」
先輩が両目眼帯の奥でウィンクしたような気がします。
「何かなんて本当にあるんですか?」
この点については先輩を疑っていました。健康的な面でわたしは一切不安はなかったのですから。
「あるさ」
即答でした。
「素敵な先輩が信じるものを、信じてあげたい気はします。でも信じられません!」
実感としてわたしが運動を止める理由がないのではこのように言うしかないでしょう。
「そうか。君はこれまでの僕の言うことを聞いて何も感じなかったと。君を守りたい僕の気持ちなんてものは信じられないと。そう言いたいんだね」
先輩は、深いため息をつきます。
「先輩がここまでしてくれることに理由がないとは思いたくありませんが、こんな健康なわたしにいきなり限界がくるなんて想像できません!」
先輩も正直に言ってくれているのであれば、こちらも正直な意見をいうのが正しいというものでしょう!
「なるほど、実感がない。確かに。でも人間というものは目の前にある小石に気付かず転んでしまうものだよ」
先輩はとても辛抱強いのです。
「転ぶかもしれません。でも、それが走らない理由にはなりません!」
額縁に入れて飾っておきたいわたしの言葉です。
「そうだね。それは正しい。でも道端に落ちているのは小石だけじゃない。その運命に抗うべく道しるべとして僕はありたい。もう時間だよ行くといい」
先輩は左手を振ってわたしに朝練があることを思い出させてくれました。
「はい。ありがとうございます!!」
一礼してから学校へと駆け出すわたし。
「また明日。明日が来ればいいのだけれどね」
なにやら先輩は不吉なことを言いながらもわたしを見送ってくれました。
そして放課後。
わたしがグラウンドで練習している時にその事故は起きました。
「ガガガララガッガーン!」
校舎の上にある鐘が大きな音を上げます。しかも拍子の整った本来の音ではなく乱雑に振り回されたような騒々しさに耳をふさぐ人も多くいました。
「落ちたぞ!」
誰かが叫ぶ声がします。
「ゴーーーーン」
ひときわ大きくなる鐘の音。きっと地面に落ちたのでしょう。
程なく女子の叫ぶ声がして、すぐに一人の同級生の男子生徒が走ってきます。
「女子が下敷きになったぞ!」
興奮してふれまわるその男子に聞いたところによると、どうやら校舎の上にある鐘楼から鐘の部分が中庭に落ちてきて女生徒を下敷きにしたようなのです。
「もしかして先輩が?」
わたしは心配になって駆け出します。証拠はありません。ないのですが妙な胸騒ぎがします。
「どうしたの、馳?」
九十九部長が聞いてきました。ほんのちょっとだけ戸惑うわたし。妖精とか魔法とか言ってしまって大丈夫なのでしょうか。
いいえ、押し通るだけです!
「霧先輩が誰かに魔法をかけられてて大変なんです!」
わたしは叫びました。こんな誤解したままの情報を大声で叫んでいたなんて本当に恥ずかしいです。
「ああ、あの子ね。あなたの為にしてくれてたのでしょうから行ってあげなさい!」
部長は理解のある人です。本当に良かった。
「はい!!!!」
わたしは部長の号令下フルスロットルで駆け出します!