1の3 これは先輩の罠なのです!
1の3 これは先輩の罠なのです!
翌朝五時。
「フライング気味でしたが起きてしまいました! おはようございます、太陽さん!」
わたしは伸びをしたあと、でたばかりの太陽に一礼します。ひと走り行きたい所ですが陸上部の朝練がありますので我慢です。
「行ってきます!」
お母さんはいつものように明るく笑いながら用意してあった朝食のホットサンドを手渡ししてくれます。うう、やっぱり走る気持ちを抑えられません。
「いきます!」
学校までの道を走っていくことにきめたわたしは、ホットサンドを口にくわえたまま加速します。
「がんっ!!」
走り出してすぐのこと。角から誰かが出てきて私にぶつかりました。
「おおっと!」
紫がかった長髪が空中を舞います。角から出てきてわたしに跳ね飛ばされ尻もちをついたのは霧先輩だったのです。
「先輩、どうしたんですか、その目は」
霧先輩は、綺麗な赤い色の瞳をしていましたがその片方を眼帯で覆っていました。
「いや、昨日の夜無頭騎士が僕の元を訪れて死の宣告をしてきたのでね。魔のものが見える様にとあちらの方へ捧げたのさ。これで魔法的な危険に関しては備えができるというものだ」
相変わらず先輩のいうことはわけがわかりません。棋士の武藤さん? 有名な方なのでしょうか。
「えっと、大変? ですね」
先輩の手をとって分からないなりの対応しかできませんでした。
「ああ、大変だとも。君、できるならば陸上部に本入部する事だけは避けてほしい」
まっすぐとわたしを見つめる先輩の瞳。つい引き込まれ魔法にでもかかってしまいそうになります。いえ、先輩のいうことによるともう呪いにかかっているのでした。
「今走れないなんて考えたくありません!」
誰から聞いたのか、わたしが入部したことを知ったのでしょう。
「それでこその勇者なのだろうね。しかし忘れ去られたり小さくなってしまった者たちの様に君もとても現代では生きていけない。大地を背負うかのアトラスの如き力を得た所で、その力に体は耐えられない。これはすでに言った事のはずだが?」
先輩は相変わらず真剣な目をわたしに向けながらお話します。
「両親にもらった体ですから大切です。けれども、だからこそ限界まで使い切ってあげたいんです!」
本当の気持ちをぶつければわかってくれると。あの頃のわたしは本当に若かったのですね。
「ああ、眩しいね。闇に囚われた生き物である僕にはひどく眩しいよ。今日は引いておくよ」
先輩は私に背を向けて立ち去ろうとしています。
「あきらめませんよ! 説得できると思っているんですか」
叱咤激励のつもりだったのです。先輩にも譲れないものがある様子でしたから。
「ああ、無理だろうね。でもやらなきゃいけない」
先輩の不思議なものを見るような目。
「大切な物を守るんじゃないのですか! そんな弱気でどうするんです!」
これは性分。敵とか味方とか、有利不利は関係ないのです。
「君は、本当の勇者かもしれないね。もちろん諦めはしないさ。大切なものが奪われてはどうしようもないからね。ただ、君に勝てる気がしないそれだけのことだよ」
自嘲的に笑うその後ろ姿が妙に格好いいと思い、目が離せなくなってしまうわたしでした。
「先輩は間違っています!」
もう止められない。先輩の肩を掴んでこちらのほうへと向かせました。
「僕が間違えている? 全くもってその通りだよ。こんなやり方は間違えている。でも僕は君を救いたいんだ」
肩をすくめながらじっとわたしを見据える目。何だか体があつくなります。その正体を知らないわたしは自分が怒っているのだと判断したのです。
「違います! 先輩は、わたしよりも多分賢くて心もそして体も強いに違いありません!」
わたしは断言しました。
「そんなことはない。それは年長者だから幾分知識はあるかも知れない。しかし少なくとも君に体力で勝った事などない」
先輩は私から半歩程離れながら言います。
「勝ったかどうかは知りませんが、少なくとも負けてません! だって、先輩は全力で逃げるわたしに追いついたじゃないですか!」
走る事は運動の基本と言ってもいいでしょう。それに優れているということは体力に優れているのは間違いないのでしょう。けれどこの時のわたしの顔はきっとドヤッてなっていたはずです。ああ、恥ずかしい。あの頃に戻ってやり直したい。
「君みたいな純粋な心を持つ観測者は魔法に悪影響を及ぼさないからね。少しだけ浮揚して追いかけさせてもらったんだよ。ああ、分かってないという顔だね。ホバーってわかるかい? 空気の力で浮いて高速移動できる乗り物だよ。あれと同じものだと思ってくれれば」
人差し指を立てながら説明する先輩。
「あ、そういえば浮いてた!」
基本的にわたしは忘れっぽいのでした。
「そうだよね。最後には気付いていたっぽいよね。僕の方が体力があるというのはちがうだろう?」
先輩はそういってまた微笑するのでした。
「でも、ちょっと待ってください! 早く移動できる手段があるということは、やっぱりわたしより早い可能性があるということでは!」
わたしは挙手して発言しました。
「ふむ。そうだといいのだけれどね。魔法は猜疑に弱いんだよ。疑いを持つ者がいる場所では十分な効果を発揮しない」
ヤレヤレと肩をすくめる先輩。
「猜疑? でも先輩が浮かんでるのを見ましたよ?」
この時のわたしの顔はキョトンとていたのでしょう。先輩の顔が優し気に笑います。
「君は魔法を見るまでそれが存在するとは思わなかっただろう? 普通の人はそんな反応にはならない、きっと種があるのだろうとかなんらかの猜疑心を向けるものさ」
先輩のさらっと髪をかき上げる仕草はとても自然でした。
「猜疑心? を向けられるとどうなるんですか!」
わたしは先輩があけた半歩分の隙間をぐいっと迫って埋めます。
「魔法というのは現代社会の理ではない。猜疑心を向けられると現実に押しつぶされて瓦解する。魔法だけでなく魔法を行使した者も」
軽くため息をつく先輩。
「がかい?」
言葉の意味がわからずおうむ返しにしてしまうわたしでした。
「ああ、壊れてしまうというか、粉々にね」
恐ろしい事を! わたしはその一言でまた頭に血がのぼってしまいました。
「行使した人って、たぶん魔法を使った人じゃないんですか! 先輩はそんな危険なことをしていたんですか、わたしに追いつくだけのために!」
握りこぶしを固めて先輩に迫るわたし。殴るつもりはありませんでしたよ?
「おっと。こちらも薄いとはいえ妖精の血を引く家系の者でね。魔法には幾ばくかの誇りを持っている。君の走りたいという欲求と同じさ」
眼帯をしたまま目をぱちくりと開閉させる先輩。ウィンクするつもりだったようです。
「先輩は卑怯です!」
痛い所を突かれたわたしは反撃に出ようとします。
「まあ、卑怯かな」
全く効かないというのは癪にさわるものでした。
「かっこつけの見栄っ張りです!」
わたしはビシッと指をさしてやりました。
「ううっ。そ、そうだよ!」
ほんの少し先輩の顔が歪みます。そうか、気にしているんですね。でも手加減はしません。
「やっぱりやっぱり、変態さんじゃないんですか!」
ぐさりとわたしの放った言葉の槍が突き刺さっているのが見えるようでした。
「勘弁してくれ」
後ずさっていって壁際に追い込まれる先輩。
「これにこりて人の行動には文句をいわないことですね!」
朝練へ行こうと走り出すわたし。
「クックックッ、あーはっはっは!」
突然先輩が笑い出します。
「何がおかしいんですか?」
足を止めて聞かざるを得ませんでした。
「時計を見てみるがいい!」
してやったりという先輩の表情には、少しムッとしますが言われた通り携帯で時間確認を。
「ああっ! 朝練の時間が!?」
もう過ぎていたのです。
「じゃあまたね!」
ヒラヒラと手を振りながら登校するために歩いていく先輩。
「罠だったのですか!? これは気付きませんでした!」
わたしは、びっくりしてしまい思わず角を曲がる先輩を目で追いかけます。
「これではいけません! まって、待って下さい!」
角を曲がれば学校へ一直線に続く大通りにでます。わたしは走り出しました。一瞬で角を曲がって大通りに出ますが。
「あれ、いませんね? むむ、これも魔法のせいでしょうか。でも、負けません!」
部活のことも忘れ、先輩との追いかけっこに夢中になったわたしは、朝練どころか授業にさえ遅れ大目玉をくらうのでした。