─第五話─ 時間稼ぎ
「……随分と早かったわね」
現在、出社して約十五分が経過。
奴は、音もなく扉を開け、さも当然かのように部屋に入ってきた。
「おや、私が来ることはご存じでしたか?」
「あんたが妹に渡したののおかげでね」
「そうですか」
「ほら、椅子も用意してあるから座りなさい」
「これはどうも、ご丁寧に」
そう言ってカガチが椅子に座る、その瞬間。
視線が外れたその一瞬を見計らって、メッセージアプリの送信マークを素早く押した。
「それで、今日は何の用かしら?」
少し早くなった心臓の音を必死に隠しながら、そう問いかける。
「用、といいますか、なんと言いますか。……あまりにも捜査が進むのが遅い、と主人が嘆いておりまして」
さっきとは別ベクトルのストレスで、心臓の音が早くなる。
「そこで、少しヒントを差し上げようかと思いまして」
「……ヒント?」
「はい。こちらの動画をご覧ください」
そう言って、カガチは胸元出したスマホをこちらに持ってきて、動画の再生ボタンを押した。
『やあ、お久しぶりですね。今見ているのは、茉莉さんでしょうか。それとも、風香さん? まあ、どちらでも構いませんが。いやあ、お二方には失望しましたよ。これほどまでに、捜査に進展がないとは。せっかく能力を与えられたんですから、活用しないと。それとも、活用してそれですか? まあ、そんなバッドケースは考えたくありませんが』
心の中でギリッと歯軋りをする。
耐えろ、私。
この動画には、ヒントがあるんだから。
『それでなんですが、お二人には、ここでヒントを差し上げます。良かったですね、私が優しくて。ヒントですよ、ヒント。……準備はいいですか? それでは、行きますよ?』
溜まった唾を飲み込み、耳と目に全神経を集中させる。
『能力は、強化できます。今はまだあまり細かくは使えないでしょうが、そのうち、素晴らしい効果が手に入りますよ』
「……は?」
素で声が漏れた。
なんだ、それ?
まさか、それが、ヒント……?
『僕に関するヒントだと思いました? 残念。そっちは、あなた方で探してください。私を探すくらい、能力と組織があれば簡単でしょう? という訳で、それでは』
「以上で、動画は終了です」
スマホを回収し、カガチは再び椅子に座った。
「今のが、ヒント……?」
「だそうです」
「…………」
怒りがふつふつと湧いてくる。
だが、今は我慢だ。
作戦通り茉莉が待機している今は、待機だ。
茉莉の作戦が少しでも成功に向かうように。
「……そう。分かったわ。……能力は強化できる、ね。覚えておくわ」
「恐らく、お二人なら近いうちに強化が完了しますよ」
「……ちなみに、あなたは知ってるの?」
「ええ、まあ」
「教えては……」
「申し訳ございませんが」
「……そう」
知ってた。
「じゃあ、私の能力が強化されると、どうなるの?」
「……世界がひっくり返る、とだけ言っておきましょうか」
「あら、教えてくれるのね」
世界がひっくり返る?
とてもそんな大層なものには思えないのだが。
まあ、他人の腹の内が分かる、という点では、既に世界がだいぶひっくり返ったのだけど。
「意外でしたか?」
「ええ、とても」
「私は、どちらかといえば、あなた方の味方ですからね」
「なら、もうちょっと情報をくれてもいいのに」
「自分には、主人の命がありますので」
「そうだったわね」
その時、膝の上のスマホが振動した。
きたっ!!
表情は出さず、一瞬だけ視線を下に落とす。
「ごめんなさい、仕事の連絡が」
「いえ、大丈夫ですよ。こんなご時世ですし」
どの口が言ってるんだ。
そう思いながらスマホを確認し、通知欄に『がんばる』とだけ書いてあるのを確認する。
「うん、大した内容でもないし、大丈夫よ。話があるなら、続けて」
「いえ、私の方からは。風花さんは?」
「……そうねぇ……」
少しだけ考え、一つの質問を思いつく。
「あなたの主人って、どんな人?」
「……とても凶悪、というのは、今までの行動で分かりますかね」
「痛いほど。……で、それ以外は?」
「それ以外?」
「だって、仮にも部下がつくような人物なんでしょ? あなたは、彼のどこに惹かれたの? それとも、ただの雇われの身?」
「……さあ。私と彼との関係は、上手く説明ができません。どこに惹かれたか、などというのもありません」
「……そう。ま、その答えで満足しておくわ」
「そうですか。それでは、私はこの辺で」
「ええ。さようなら」
「……さようなら」
なぜか寂し気に聞こえたその言葉を残し、カガチは部屋から出ていった。
それから数秒だけおき、私は急いでスマホのロックを解除した。
『来た』
『がんばる』
この二行が、メッセージアプリの一番下に表示されている。
……茉莉は、成功するのだろうか。
いや、きっと成功するはずだ。
だって、私の妹だから。
妹だから、信じてあげなくちゃ。
世界でたった一人の妹。
だから、信じて、帰りを待つんだ。