任せてもらえないでしょうか
「おや」
レッカが持ってきたセツの首。それをあちこち検めて、フヨウは首をかしげた。近くにあった鑷子をおもむろに手にして、口の中に残っていた茶色い固形物を引っ張り出す。
「なんだろうねぇ、これ」
ためつすがめつ見分して、結局フヨウはそれを金属製の深皿にぽいっと放り込んだ。
なんとなく、生臭い塊からやや距離を取りつつ、カズサはよくよく目を凝らした。茶色……というより、黒に近いだろうか。やや赤みがかっていて、鑷子で摘まめるくらいには固形のはずなのに、粘度の高い液体のようにも見える。
鉄臭さの増した鑷子を水を張った盥に投げ入れて、フヨウは首と体を蓆の上で縦に並べた。
そして、細い針と糸とを助手に持ってこさせた彼は、「どっこいしょ」と床にあぐらをかいて、つくろい物でもするかのような気軽さで首と胴を縫い合わせ始めた。
熟練のお針子も真っ青の手際の良さで整えたセツの体を簡略な棺に納め、フヨウは執務机に備え付けの椅子を引きながらカズサへ声をかけた。
「とりあえず首は繋げたから、お子ちゃまへの説明はヨロシク」
一番面倒なところじゃないか。カズサはこれ見よがしにため息をついて、レッカを振り返った。
「ロコン少年の様子はどうだった?」
「ノエル殿の手当はおとなしく受けていたようですが、落ち着いているとは言い難いでしょう。現状で母親の死を告げても混乱するだけかと」
「そうだろうね。ひとまず今夜はこのまま保護して、明日の状態を見て話しの持って行き方を考えるよ」
頭痛をこらえるようにこめかみをぐりぐり押し込んで、カズサはどうにか言葉を絞り出した。
上官に逆らうことなど考えたこともないセイレーンはいつも通り敬礼で了解の意を示したが、レッカはすぐに返事をしなかった。訝しんだカズサが顔を上げると、彼はなにかを迷うような表情で視線をさ迷わせた。紡ぎたい言葉が見つからないかのように唇が何度も蠢き、やがてためらいがちに「あの……」と声を発した。
「六階、その……」
「うん、どうした?」
「その、彼のことを、自分たちに任せてもらえないでしょうか」
意外な申し出に、目を瞠ったのはカズサだけではなかった。セイレーンも、驚いた様子で同僚を見つめている。
「ロコン少年を?何故?」
驚きが過ぎて詰問するような口調になってしまったカズサの問いに、レッカは気まずげに下を向いた。
「あ、すまない、怒っているわけじゃないから、そんなに硬くならなくていい。そうだね、重大な役割だが、君たちならきっとやってくれると信じてるよ」
取り繕うように微笑みを浮かべると、レッカは心底ほっとした様子で頭を下げた。
元々レッカとユキジは、ルイスやカズサのように学校に通えるようないい家の出ではない。むしろ、子供の頃はロコンに近い生活を送っていたと言っても過言ではないだろう。
たまたま、喧嘩に強かったから。悪者を捕まえる正義の味方に憧れたから。そんな理由で第三兵団に志願した。
採用されるまで、レッカは二度、ユキジは一度試験に落ちている。
ふたりとも、腕っぷしには自信があっても、集団行動はからっきしだ。減点に減点を重ねて補欠でようよう潜り込んだというのが本当のところだった。
そこで出会ったのが、軍学校での成績こそ優秀だったらしいが、ふんわりと頼りない笑顔を浮かべる年下の上司と、彼をキラキラした目で見つめるカズサと同級だったというルイスだった。
カズサは、他の部隊の長のように、部下に無体を強いることはなかった。そういった意味では、レッカは上司に恵まれたのだろう。だが、カズサにはするりするりと手柄を逃れようとする困った癖があった。ユキジはそれを「どんくさい」と評し、あからさまに馬鹿にしていた。このままカズサの下にいては出世など望めないと声高に叫ぶ彼を押さえていたのは、同僚だったハヤテだ。
同じ頃、ルイスも出世の機会を棒に振り続けるカズサに失望し、レッカやユキジの親分気取りをし始めた。
誰の味方もせず、彼らの間をふらふらしていたハヤテを蝙蝠めと揶揄したこともあったが、今思えばハヤテがいたからこそ決定的ななにかが起こることもなく部隊は回っていたのだろう。
事実、ハヤテが退役してからカズサとレッカたちの距離は離れる一方だった。
カズサは新人のセイレーンばかりを重用し、まるでレッカたちなどいらないと言わんばかりの態度だったし、それならばとレッカとユキジは積極的にルイスを煽っていた。ハヤテという三番車を失って、自分たちは狂った秒針と分針のようにてんでバラバラな動きをしていた――はずだった。
「……六階、どうしていきなり変わったんですか?」
変わらないままなら、駄目な上司と蔑んでいられたのに。
不敬だと罵られ、手を挙げられても仕方がない質問だ。そう思いながらも、レッカは聞かずにはいられなかった。下げたままだった頭をそっと上げ、上目遣いに見遣った年下の上司は、いつもと同じ、困ったような笑みを浮かべていた。
レッカの声に滲んだわずかばかりの非難を敏感に感じ取って、セイレーンが顔を強張らせる。凪いだ表情のカズサの代わりに握り込んだ拳は、わずかに震えていた。セイレーンを押しとどめて、カズサは「困ったな」と呟く。
「別に、私自身が変わったつもりはないんだ。ただ、ぼんやりとしていられない情勢になってきただけで。いい機会だから、君たちの望む上司というものになってみようかと思ったんだけれど……」
一度言葉を切って、カズサはどこか子供っぽい仕種でことんと首をかしげた。
「欲しかったんだろう?出世に貪欲で、自分たちを引っ張り上げてくれる上司」
レッカは絶句して、カズサを見つめた。セイレーンも得体のしれないものを見るような目でカズサを見ている。興味なさげに自分たちの会話を聞き流していたフヨウですら、おや、と眉を跳ね上げていた。
笑顔のカズサは、まるで皮肉を言っているようには見えない。けれど、言葉で言い表せない不気味さがあった。知らず震える体を叱咤して、レッカはカズサの視線を真っ向から受け止める。わずかばかり語調を強めてカズサは続けた。
「別に、私に忠誠を誓えと言っているわけじゃないんだ、いつも通りに過ごしてくれればいい。でも、邪魔と余計な詮索はしないでくれ。これは、善意からの忠告だ」
なんだか急に、よく知っているはずの上司が得体のしれない化け物になったような気がした。
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