お遣いをひとつ
「さて、セイレーン。君に“おつかい”を頼みたいんだけど」
次第に早足になる三人を見送って、カズサはあちこち覗き込むセイレーンに声をかけた。着任して二か月余りの新人は、まだ凄惨な現場に慣れていない。興味津々なようで、その顔には怯えが垣間見えた。
平和な帝都でずっと暮らしているカズサだって、こういったことに慣れているとは言い難いが、それでも彼よりはマシだろう。
「いつものところですか?」
セイレーンのいう“いつものところ”というのは、マアサたちがたむろしている屋敷のことだ。貴族の暮らす地域からも、市場のある辺りからも少し外れた場所に建つ一軒家は、ギルバートの持ち物だ。
大きな商会を経営するギルバートの自宅は、貴族の屋敷ほどではないが大きく整った外観の洋館で、使用人は執事とメイドがひとりずつ。それも口の堅いベテランなので、秘密が漏れる可能性は低い。そんなところを気に入って、マアサが借り賃を払って部屋をひとつ借りているのだ。
借りているのは元々夫人の部屋で、寝室と執務室、応接室の他に、トイレと簡単なキッチンが備え付けられている。場所こそ北側で少々日当たりが悪いが、すぐ傍にある通用門から出入りでき、一階にあるので玄関を通らずともバルコニーから入ることができる。調度品も揃っているし、目隠しになる木も周囲にたくさん生えている。まさに理想のアジトだ。
先代夫妻が事故死した後、主を失って何年も放っておかれた部屋も、使ってもらえるなら本望だろう、というのは、マアサの言だ。綺麗事を吐いてはいるが、要するに、自分の好きにできる空間が欲しかったのである。
「わかりました、ひとっ走り行ってきます。とりあえず、新しい被害者が出たって報告だけですよね?」
「ああ、頼む」
察しのいい部下に頷いて、カズサは彼を送り出す。どこかほっとした様子のセイレーンは、逃げるように現場を後にした。
セイレーンという男は、この辺りの生まれで、子供の頃は街を超えて駆け回るガキ大将だったらしい。そこを見込んで、マアサがカズサにつけた伝令係が彼だった。最も、本人はそんなこととは露知らず、上官の命令に従っているだけなのだけれど。
ひとっ走りと言った通り、セイレーンはものの十分もしないうちに帰ってきた。いくらなんでも早すぎると訝しむカズサに、少し弾んだ息を整えながら、「途中でギルバートさんにお会いしまして」と告げた。ギルバートは、軍兵団の詰所に薬師のノエルを送り届けた帰りだったとか。トラブルの予感に、カズサはなんとも言えない顔をした。
薬師ノエルは、ギルバートの幼馴染で、カズサたちの“仲間”だ。淡雪の肌に、顎の辺りで切り揃えた黒檀の髪。真冬の星空を閉じ込めたような大きく丸い瞳は垂れ目がちで、髪よりわずかに薄い色の睫毛に縁どられ、薔薇色の頬はまだ少女の面影を残している。ぽってり厚い唇は、常に誰かを誘うように薄く開かれ、そこからちょこんと除く八重歯が完璧な美貌に愛嬌を加えている。そう、とても美しいのだ。外見だけは。
中身はと言えば、金にがめつく、人をおちょくることが好きで、怒らせるとところ構わず刃物を持ち出す危険人物……。
カズサと出会う前の話なのだが、しつこいナンパ男の股間を踏み潰した挙句、顔面を切り刻んで見事な碁盤模様をつけたことがあって、しかも「治して欲しければ金子を持って土下座してくださいね」と凄んで見せたらしい。以来、周囲の安全のためにノエルの外出には必ず幼馴染のギルバートが付き添うことになっているそうだ。
一番ノエルの扱いが上手い――というか、ノエルはギルバートに惚れていて、彼と外を歩けるだけで格段に穏やかになるらしい。ギルバートは女遊びができなくてご不満だそうだが、見知らぬ相手の安全を優先させる辺りは悪ぶり切れないギルバートらしい。
「商談をひとつふいにしたって、ブツブツ言ってました」
伝言を頼む代わりに、愚痴を聞く約束でもさせられたに違いない。セイレーンは笑っているが、どことなくうんざりした表情をしていた。
「そうか。助かった、ありがとう」
部下の鬱憤は見ないふりで、カズサはねぎらいの言葉をかけた。それだけでセイレーンの表情はぱっと明るくなり、一瞬、カズサは全力でしっぽを振る元気な犬の幻を見た。
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