過去と今と現実と
薔華帝国は、その名の通り薔薇の花のような形をしている。
国の中心部に堀に囲まれた城があり、城を囲むいくつかの町があり、それぞれの町を囲むようにまた堀がめぐらされている。初代皇帝が周辺の小国に戦を仕掛けては取り上げた土地を、当時の宰相がひとつひとつ堀で区切っていったことで生まれた形だそうだ。
内乱を防ぐためとも、戦に使う金を減らし、戦好きの皇帝を机に縛り付ける苦肉の策だったとも言われているが、一番有力なのは人間、獣人、エルフ、ドワーフなど様々な種族を治めることになった帝国で彼らの伝統や生活様式を重んじた結果だという説だ。決して国が大きくなるに連れ、地方まで手が回らなくなった宰相府が各地の元王族を貴族に落として領地を治めさせたわけではない。たぶん。
とにかく、初代宰相は切れ者だった。現在の軍兵団の叩き台を作ったのもその人だったという。
「もうじきです、エキ六階」
ハヤテの声に、カズサは知らず顔をしかめた。
『六階』というのは、軍兵団でのカズサの階級だ。一兵のすぐ上で、だいたい、四人から五人の部下をまとめる。軍学校を優秀な成績で卒業すれば、従軍直後から与えられるなんてことのない位階だ。
六階の上は『衛将』で、六階部隊ふたつを指揮する。同様に、一級下の部隊をふたつずつまとめる形で位階は上がっていき、最終的に将軍が各兵団のトップとなる。さらにその上にいるのが『大将軍』で、薔華帝国の軍部の中ではこれ以上の階級はない。その、大将軍がカズサの義父である。もちろん、努力しなかったわけではないが、身の上を忖度されなかったとも思えない。カズサにとって、階級を呼ばれるのは苦痛だった。
だが、ハヤテからすればそんなことは知ったことではない。一兵として武功も立てられないまま怪我で退役したハヤテは、つい二ケ月ほど前までカズサの部下だった。たった四人すらまとめられないカズサに代わって部下たちを率いてくれていた。
細い路地を何度も曲がって、迷いない足取りでハヤテはカズサを先導する。やがて彼は、街を囲む堀のすぐ傍に小ぢんまりと建つ小屋の前で足を止めた。
「ここが……」
家屋と呼べるかも怪しい掘立小屋は、入り口の戸すらついていない。よれてところどころ紐の千切れたすだれが、申し訳程度にぶら下がっているだけだった。これでは狼藉者はさぞや簡単に侵入できたことだろう。
血の臭いは、ほとんどしない。
恐る恐る屋内に足を踏み入れると、丁寧に畳まれた二組の布団が目に入った。警戒を解かないまま、ゆっくり周囲を見回すと、小屋の奥に無残に腹を裂かれた女の体が落ちていた。
随分近付いてようやく分かる程度の微かな異臭は、鉄錆よりもつんと酸っぱい垢の臭いの方が強い。あらぬ方向に折れ曲がった四肢には、爪が食い込んだ痕がいくつもあるのに、血はほとんど残っていない。柔らかな肉なぞ元からついていなかったのだろう。まさしく骨と皮ばかりの状態だ。首から上が見当たらないのは、ロコンが抱えていたからか。
「酷いな……」
「エキ六階!?」
カズサの口から、思わず言葉が零れ落ちる。苦々しい声音は、少年らしさを残した彼には酷く似合わない。その背後から、素っ頓狂な声が聞こえた。カズサの部下のひとり、今年採用されたばかりの新人は、ハヤテと入れ替わりに部隊にやってきた。
セイレーンという名の通り、歌手か吟遊詩人のような美声の持ち主だが、外見はゴリラだ。むさ苦しくてゴリゴリしている。
セイレーンからわずかに遅れて、華奢な青年とこれといった特徴のない男も入り口をくぐった。
「これはこれは。随分と早いお着きですね」
華奢な男が皮肉る。彼はルイス、もうひとりがレッカという。夜勤明けでここにはいないユキジと四人、カズサの下で働いている。だが、彼らの中でカズサに好意的なのはセイレーンだけで、残りの三人には疎まれていると言っても過言ではない。
ハヤテが困ったようにルイスとカズサを見た。それに肩をすくめて、カズサは再び屋内に意識を戻す。ハヤテがいなくなって以来、カズサとルイスたちの仲は険悪になるばかりで、最近はいつ部隊長を下ろされるかわからないような状況が続いていた。案の定、カズサの意識が逸れた途端にルイスはハヤテに声をかけた。
「ハヤテ!久しぶりだな、元気だったか?」
「ああ、まあ……」
怪我で退役した人間に、元気もなにもないだろうに。
なんとも返答しづらく、ハヤテは曖昧に頷いた。相変わらず、彼らは上司を上司とも思っていないのかと内心舌打ちする。
当のカズサは気にしていないようで、セイレーンを相棒に屋内の様子をあちこち調べている。セイレーンは、ルイスたちよりもずっとカズサを慕っているらしい。カズサでは届かない場所の様子を率先して調べている。
退役する前に、カズサより上の人間に直訴した甲斐はあったようだ。カズサは、人をまとめることこそ上手くないが、決して不真面目な上司ではなかった。与えられた仕事はひとつひとつ着実にこなし、実績を積んでいく真面目な姿を何度も見てきた。彼が自身の昇進を断ってまでハヤテたちの昇級依頼を出していたことも知っている。
ひたすら周囲のことを考えているカズサが部隊の中で孤立していくのが忍びなくて、ハヤテは退役前に後任はカズサに好意的な人物を選んでほしいと周囲に伝えていたのだ。
「六階ばかりにやらせてていいのか?」
「いいんじゃないかな」
仕事を放棄してハヤテを構うルイスとレッカを注意しようとハヤテが口を開いたその時、カズサが笑顔で振り返った。渋々歩き出そうとしていたルイスの足がぴたりと止まる。カズサは口角こそ上がっていたが、温度の感じられない目をルイスたちに向けていた。
「ここで私たちにできることはあまりないよ。せいぜい、野犬がこれ以上現場を荒らさないように見張ることくらいだ。それなら、詰所に戻って腑分けの医師を呼んできてくれる方が助かるし、ハヤテの父君のところに預けてきたこの家の子供を正式に保護して薬師の診察を受けさせなくてはいけないし、ついでにその子が大事に抱え込んでいる被害者の首を証拠品として確保してほしいんだけど……ルイス、レッカ、君たちに荷が重いと言うのならせめて詰所から応援を呼んできてくれるかい?」
「――っ、」
「……馬鹿にしてるんですか?」
カッとなって言葉が出ないルイスに代わって、レッカがわずかに顎を上げた。カズサは笑顔のまま「そうだよ」と肯定する。
「退役した以上、ハヤテは部外者だ。発見者として状況を聴取するでもなく、世間話をするだけの君たちの能力を不安視するのは当然だろう?こういった事件の捜査は時間が過ぎるほど状況が悪くなると相場が決まってる。馬鹿にされたくないのなら、私に自分の部下が“おつかい”すらできない無能だと思わせる行動は慎んでくれないか。ハヤテ、申し訳ないのだけどもう少し付き合ってもらえるかな?」
子供の遣い程度のことしか頼んでないと明言したカズサは、気まずげに目を反らしていたハヤテに丁寧に頭を下げた。
「ルイスたちを自警団の詰所まで案内してやってほしい。それから、君とイルマさんからロコンの保護と、ここでセツを発見した経緯について聴取の協力をお願いしたいのだけど、可能だろうか?」
書類を作らないといけないんだとカズサは眉を下げた。そうすると、彼の顔立ちは一気に幼くなる。ハヤテは自然と「もちろんです。任せてください」と返事をしていた。
「なんなら、書類をまとめてお届けしますが?」
「はは、頼もしいね」
冗談めかしたハヤテの言葉にカズサは破顔する。それだけでも満足感を感じて、ハヤテはまだカズサに噛みつこうとするルイスたちを連れて自警団の詰所へ戻る道を歩き出した。
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