軍人と少年と首
「それで、追い返されちゃったわけだ」
さらりと流れる金茶の髪を、顎のあたりで切りそろえた青年が、言いながらカズサの前に茶器を置いた。その声音は笑みを含んでいて、どこかバカにしたような響きもある。
「うるさいぞ、ギル」
「本当のことじゃないか」
僕ならもっとうまくやったよ、と言われてカズサは黙り込む。
ギルバートは子供のようにむくれるカズサに肩をすくめ、彼の前にあった菓子盆から最中を取り上げた。包装を破いて、口に咥える。
掌くらいの大きさのある最中は、パリッとした皮の歯ごたえとするりと溶ける餡が絶品の高級品だ。最中を咥えたままカズサの向かいに腰かけたギルバートは、唾液を吸って口蓋に貼りつく最中の皮に顔をしかめる。そして、二枚目気取りが台無しのなんとも情けない顔で口の中の最中と格闘し始めた。
確かに、柔和な笑みのこの青年なら、きっと自分で言う通り上手くやっただろう。そう思うと余計に腐った気分になって、カズサは爪先で茶器の縁をはじいた。
陶器独特の涼やかな音が一瞬耳を癒してくれる。二度、三度とはじいていると、今度は右隣からにゅっと白い腕がのびてカズサから茶器を取り上げた。
「遊ぶな」
地の底を這うような不機嫌な声は、女性にしてはやや低い。長い黒髪をうなじでくくったその人は、切れ長の目を鬱陶しそうに細めた。マアサというその人は、黙っていればしとやかな美人であるはずなのに、もったいない。
そんなカズサの考えを読み取ったかのように、マアサは傍らに置いた刀の柄に手をかけた。
「だーっ、もう!そうやってすぐ脅してくんのやめろよ!悪い癖だぞ!」
慌ててマアサと距離を取るカズサ。マアサ本人は、カズサの言葉などどこ吹く風で、再び手元の書類に視線を落とした。分厚い報告書は、ここ最近帝都で起こっている事件についてまとめたものだ。
通称『ネズミ捕り事件』と呼ばれるその事件は、主に女子供が標的になっている。
ちょっとした用事や、お使いを頼まれて夜半に外を出歩いていた被害者たちは、なんらかの方法で路地裏に引きずり込まれ、殺された。死体の損壊は激しく、内臓や乳房、太腿などの肉が食い荒らされていたそうだ。中には生きたまま食い殺された者もいたらしい。
死体の様子があまりに凄惨なことに加え、猫が捕らえたネズミで遊ぶように、捕えては逃がし、弄びを繰り返した挙句に殺されていることから、帝都民たちの恐怖と関心を買っている。
報告書を読み終えたマアサは、ふう、とひとつ息を吐いた。
「とりあえず、目は通した。写しは済んでいるそうだから、こちらは返却を」
「はいはい、分かりましたよオヒメサマ」
ローテーブルに放り出された書類を封筒に入れ、カズサは皮肉と共に席を立った。行き先は、職場でもある軍兵団の詰所だ。今夜、カズサは夜勤の予定になっている。
途中、自警団の詰所に立ち寄ると、困り顔の老人が出迎えてくれた。自警団の団長とは名ばかりの、周辺地域のまとめ役をしている男だ。こざっぱりした好々爺は、普段の人を食った顔もどこへやら。カズサを見るなり、奥座敷に引っ張り込んだ。
「いいところへ。ちょうど、軍兵の詰所に行こうと思っていたところでして……」
「なにかあったんですか?」
イルマという名の団長とは、ヒノミが襲われた時に何度か顔を合わせていて、合えば世間話をする仲だ。
イルマは、一歩間違えば破落戸と変わらない軍兵とは思えないほど年長者に対して腰の低いカズサを気に入って、なにかと親切にしてくれる。その老爺の心底困った様子を見て、カズサも思わず眉を下げた。
「ええ。少し前にこの子がやってきまして……」
「この子?」
イルマに促されるように、カズサは座敷の隅に目をやった。
痩せぎすの、五歳くらいに見える子供が、膝を抱えてうずくまっている。ぼさぼさの髪と言い、擦り切れた粗末な着物と言い、かなり生活に困窮している様子の男の子だ。それだけなら浮浪児が迷い込んだだけかと思っただろう。だが、子供の着物から顔一面にべっとり血がついていて、三畳ほどの狭い座敷にも濃い鉄の匂いが充満している。
子供はなにかに怯えた様子で、だが、目だけは爛々と輝かせてカズサを睨みつけていた。
「血まみれじゃないですか!怪我は?」
「怪我はないようです。町のもんに聞いたら、ここまでも自分で歩いてきたようで。その、血は……あの子が抱えているものから滴っているんですよ」
慌てたカズサに、イルマは歯切れ悪く応じる。
近づこうとすると身を固くする子供は、言われてみればなにかを大事そうに抱きかかえていた。いぶかしんでカズサが一歩近づくと、子供はますます小さくなった。その拍子に、枯れ枝のように細い少年の腕の中で『なにか』がぐるりと向きを変えた。
目に付いたのは、長く垂れる糸のようなものと、どろりと濁った薄黄色の粘膜。浅黒く触れれば切れそうな弾力のない皮が表面を覆い、ところどころ黒や紫、あるいは黄色く変色している。
それは、女の頭だった。
わずかに開いた唇からは血の気が失せ、こけた頬はもう色を取り戻すことはないだろう。
カズサは息を飲み、青い顔で唇をわななかせた。
「母親です」
イルマの声に、カズサはハッとして老人を振り返った。
「町はずれに住んでいた親子です。子供はロコン、母親はセツ、といいます」
イルマはロコンからできるだけ離れた場所で折り畳み式の卓袱台を広げ、申し訳程度に茶を淹れた。卓袱台と子供の中間辺りで、カズサは立ち止まったまま動けない。
「ロコンは今年で八つになりますが、五年前の流行り病で父親を亡くしまして。セツはひとりで働きながら、ロコンとふたりで倹しく暮らしておりました」
老人は卓袱台の前に腰を下ろし、湯気をたてる茶器を皺だらけの手で包み込んだ。伏せた瞼が頬に影を落とす。薄暗い座敷の中でも、イルマの肩が震えているのがはっきりと分かった。
「セツは、明るく前向きな女でした。気が強くて、少しばかり周りとぶつかることもあったようですが、こんな死に方をするほど恨まれていたとは、とても思えません」
震える老人と、怯える子供に挟まれて、カズサは困り果てた。
セツという女性を、カズサは直接知らない。だが、イルマやロコンにとって、彼女はこのような最期を迎えるような人物でないことは確かだ。どう声を掛けたらいいものか分からず、カズサは唇を噛みしめる。
こんな時、ギルバートならきっと、簡単に彼らの望む言葉を吐くことができるのだろうけれど。
「親父、ここか?」
必死に言葉を探すカズサの耳に、荒々しい足音が届き、返事も待たずにひとりの男が顔を覗かせた。目が合って、カズサと男は互いにぽかんと口を開けた。
「「あ……」」
男は、イルマの息子のハヤテだった。ハヤテは小柄なイルマに似ず、大柄でがっしりとした体躯の持ち主だ。顔立ちもいかめしく、誰が言ったかあだ名は仁王様だった。そのぎょろりとした目で室内を確認し、ハヤテは「ふむ」と顎に手をやった。
「エキ六階、ちょうどいいところにいらしてましたね。そこにいるロコンの母親が、自宅で何者かに殺されていたそうです。自警団では手に負えないとのことで、先程軍兵の詰所に遣いを送りました」
殺人、と聞いて、カズサは一瞬体が震えるのを感じた。
これは、違う。これは武者震いだ。自分に言い聞かせるように深呼吸をひとつ。カズサは迷いを振り切ってハヤテを見上げた。
「案内を頼む。イルマさん、申し訳ないのですが自警団でロコンくんの保護をお願いできますか?じきに日が暮れるし、軍兵団では余計に怯えさせてしまうでしょうから」
「構いませんよ」
「助かります。深刻な怪我はなさそうだけど、後で薬師の手配をしますね」
「かしこまりました。お気をつけて」
覚悟を決めたカズサは、イルマに声をかけた。イルマもカズサの提案が最善と思ったのか、真剣な目で頷いてくれた。協力を約束してくれたイルマに深く頭を下げ、カズサは足の長いハヤテに置いて行かれないよう早足で彼を追いかけた。
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