帰路
雑然と賑わう街を、カズサとマアサは並んで歩いていた。
一歩進むごとにマアサの長い髪が揺れ、まるで馬が機嫌よくしっぽを振っているようだとカズサは思った。
「なあ、」
露店を覗き込んで、湯気をたてる饅頭をひとつ買ったマアサに、カズサは後ろから声をかける。
「早く帰ろうぜ。それに、買い食いなんてバレたら」
「バレなければいいだけの話だ」
半分に割った饅頭の片割れをカズサの口元に差し出して、マアサは大口を開けて自分の分にかぶりつく。早く食べろとせかされて、カズサも仕方なく一口かじった。
甘藷の餡だとばかり思っていたが、中身はキノコと挽肉を炒めたもので、少々塩気がきついが味付けとしては悪くない。三口で亡くなったそれを帰りにもうひとつ買って帰ろうか、などと考えてカズサははっとした。カズサが食べ物を与えると思考が逸れる癖があることを知っていてマアサは饅頭を渡したのだ。しかも、毒見すらせず自分でも食べた。
「そういうことじゃなくてだなぁ」
「大丈夫だ。なにせ、私たちは別邸で病気療養中の身だからな」
苦言を呈そうとカズサは少し先を歩くマアサに腕を伸ばした。ギリギリそれを避けて、振り返ったマアサは悪戯っぽく笑う。自嘲するような声音は、やはり女性にしては少し低い。カズサが伸ばした手は、結局彼女に触れることなく下におろされた。
彼の頬に飛んだ餡を指先でぬぐって、マアサは汚れた指をハンカチでぬぐった。幼子にするような行為に、カズサの頬がカッと赤くなる。くつくつと笑って、マアサは再び歩き出した。
いつの間にか大通りの喧騒は遠のき、閑静な住宅街に差し掛かろうとしている。ここから先は、年に数回使われるかどうかの貴族の別邸が建ち並んでいる。
帝都に住まう貴族のほとんどは領地を持たない職業貴族で、彼らのほとんどは職場である皇城の傍に屋敷を建てて暮らしている。翻ってこの辺りに屋敷を持つのは領地を治める地方貴族と呼ばれる人々だ。年に数ケ月、社交シーズンのみ滞在するためにある屋敷には必要最低限の使用人しかいない。
社交シーズン以外は寂れた雰囲気を醸し出す通りを慣れた足取りで進んで、ふたりが目指したのは一番外れにあるひときわ大きな邸宅だった。
通りの端からでも朱塗りの屋根が見え隠れする。馬車も通れる広い通りを抜けて細い道を左、左、右と曲がると、小ぢんまりした漆喰の門が見えてきた。表にある立派な正門と違い、こちらの裏門はもっぱら使用人や出入りの業者が使う。屋根こそ鮮やかな朱色だが、装飾はささやかでいかにも実用的な雰囲気だ。
裏門の前には、ひとりの老女が立っていた。やや猫背で、髪は灰色で。なにかを探すようにきょろきょろと辺りを見回していた老女は、ふたりの姿を認めて小さく安堵した。
「おかえりなさいませ」
洗練された仕種で主人を迎え、老女は顔を上げるとにっこりした。
「お早うございましたね」
うっ、とふたりは怯んだ。ネネというこの老女には、笑いながら怒るという器用な特技があるのだ。そして、沸点は意外に低い。
「門限は何時でございましたでしょう?時刻を告げる鐘はとうに鳴りましたよ。市井の子供でも守れることを、どうしてお二方は守れないのでございましょう。ええ、ええ、分かっております。分かっておりますとも。このネネめが悪いとおっしゃりたいのでしょう?わたくしが成人も近いマアサ様に門限を課す方がおかしいのだと!」
立て板に水のごとくまくし立てられて、最後には泣き真似まで始めたネネに、カズサとマアサは顔を見合わせる。ネネがこうなってしまうと、ひたすらに謝る以外に道はない。マアサが生まれるはるか前から彼女の母に仕えていたネネに、彼らが逆らえるはずなどないのだから。
「すまない、次は気を付けるよ」
「明日は門限までに送り届けますので……」
「そんなことを言って、一度も守ってくださったことなどないではございませんか!」
ヤバい。
ここしばらく、「ちょっと言えないところからの命令」で、マアサを連れまわす機会が増えていた。ギルバートの自宅からこの屋敷までは少し距離があり、話し合いが立て込むと必然帰宅も遅くなる。どうやらネネはずっと腹に据えかねていたらしい。
近所の使用人たちがちらほら顔を覗かせる。大声で切々と心情を訴えるネネは視線に気付いた様子はない。「人が見ているから」と最後は強引に敷地内に押し込んだが、マアサは結局、明日からしばらくの間外出禁止を申し渡されてしまった。
「ネネ殿の心配も分かるんだけど……」
帰り際、カズサが苦笑しながら漏らした言葉には、マアサも同感だった。マアサがただ年頃の娘というだけなら、ネネもここまで神経質にはならなかっただろう。年頃の令嬢は友人ひとりを護衛に外歩きをしないだなんて前提は、すっかりマアサの頭から抜けている。
だが、ここが紅花宮であることは誰にとっても問題だった。
帝都にいくつかある、皇城の離宮。一番新しく、一番郊外にある紅花宮は、政争に敗れた第二王子と、原因となったその妹が蟄居するための宮なのだから。
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