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九 銀糸の布

 桜は満開となった。卯月のちょうど十日が能の宴と決まった。殿様も一くさり舞うとかで、練習に余念がない。

 「カズマ」

屋根の上で寝転んでいたカズマは、雪姫に声をかけられて跳び降りた。

「はい、なんでしょう」

「今、下の道を出入りの反物屋が通った。奥へ行くのだろうが、おまえ、この庭にも来てくれるように声をかけておいてくれないか」

カズマは笑みがこぼれそうになるのをかろうじておさえた。

「反物・・・。しかし城の御用達の反物などは、値もバカになりませんが」

「よけいなことだ」

雪姫は切るように言った。

「おまえは言われたことを言われた通りにきけばよいのだ」

「はいはい」

カズマはひとっ走りして、通用口から入ってきた反物屋に一声かけて、また戻ってこようとした。その時、今はもう滅多に使われない物見台の影に、楓がひっそりと立っているのに気づいた。

 義道との仲に気づいて以来、問いたださなければならないと考えてはいた。しかし楓の裏切りが明るみに出ること、義道の裏切りが明るみに出ること、双方を恐れて踏み込めずに居た。しかし、ほうっておくわけにもいかないのもまた確かだった。

 今なら、楓とだけ話ができる。

 カズマは音もなく楓のそばまで忍び寄った。そして、いきなり声をかけた。

「義道殿をまっているのか」

ハッとふりかえった楓の表情が見物だった。真っ青に血の気のひいた絶望的な顔を見て、やめときゃよかったかな、とひるみかけたが、仕方が無い。いづれは追い詰めなければならなかったことだ。

「カ、カズマ。どうして・・・」

「天井のある所で逢引しないほうがいいぞ」

次の瞬間、楓はガバッとカズマにすがりついた。

「お願いよ、カズマ。雪姫様には黙っていて。雪姫様が知ったらどんなに悲しむか」

「それが分かってるんならどうしてこんなことになったんだ!」

楓はギリリと唇をかみしめた。涙をこらえている。

「分からないのよ。私にも分からないのよ。最初は雪姫の待遇があまりにも悪いので、義道様にこっそりかけあおうと思って、追いかけていって話をしたのよ。そうよ。言い寄ったのは私よ。私だって、こんな敵地に乗り込んできて六年もたつんですもの。どんなにしたたかにもなれるわ。あんなばか真面目な男だったら、なんとかなると思ったのよ」

カズマは愕然とした。なるほど、利用しようと近づいたのは、楓の方だったのだ。楓もまた美しく、どこか男を誘うような顔立ちではある。

「こんなに本気になるなんて思わなかったんだもの。ねぇ、カズマ。私どうしたらいいの。雪姫様を裏切る気じゃなかったのよ」

カズマは口を開けたけれども、何を言っていいかわからなかった。こっちも恋愛沙汰には門外漢なのだ。

 ガサッ、とカズマにだけ聞こえる音がした。とりあえず退散しよう。

「義道が来た。俺に知られたことは言わない方がいい。・・・雪姫にも、黙っとくから」

楓の目が大きく見開き、また、涙がこぼれた。

「カズマ、あなた、いい人ね、いい人ね」

「よせよ」

カズマは地を蹴り、物見台の瓦にとびあがると、塀の外にとびだした。


 能の宴が近づいた。

 雪姫は楓もカズマもいない時に反物を買ったのだが、カズマはそれが箱に入れられ押入れに納められていることを、こっそり調べて知っていた。

 しかし心配になってきた。いつまでたってもそれを着物にしたてる気配がない。側室のお蔦どのや三姫はそれこそ金にものを言わせて絢爛豪華なお召し物を作らせていると聞く。

裁縫の得意な楓なら着物にしたてることができるだろうに、のんびりと構えている。もちろん楓は雪姫が反物を買ったことなど知らないのだし、義道がやいのやいのと出席するようしつこく言ってきているとは言え、着物が無いのだから今度も雪姫はなんとか欠席の言い訳を作り上げるのだろうというつもりでいるらしいのだ。

 雪姫は何故着物のことを言い出さないのだろうか。反物を楓に見せ、これはどうしたのかと責められ問い詰められた時の言い訳を考えつかずにいるのだろうか。

 カズマはじりじりした気持ちで日を過ごした。そして能の宴を三日後に控えた卯月の六日になり、義道がまたやってきた。用件はもちろん能のことだ。

「雪姫様。いよいよ三日後になりましたぞ。此度は出席していただけるんでしょうな」

雪姫は満開の桜の枝を眺めていたが、チロリ、と縁側の義道をふりかえって、言った。

「義道殿、よく来られた」

「・・・?」

奇妙な物言いに、義道も、控えている楓も、屋根の上のカズマも、おや? と雪姫を見直した。

「先日からお待ちしていたのだ」

雪姫はひょいと部屋へ上がり、真ん中へ座った。楓はもとより控えている。義道はこうなると、部屋の中へ入って対座しないわけにはいかなくなった。

 正式には雪姫は次期藩主江知馬の正室になるはずで、義道にとっては主君の奥方なのだが、義道は畳に手をつき入室を求める正式の挨拶をせず、また雪姫の言葉も待たずに言い出した。

「能の宴に出られないという話ではないでしょうな? いくらなんでもそうたびたび都合が悪くなることは不自然ですし、見れば病気とも思えぬ様子。それとも、当日には病気になるご予定か」

皮肉に満ちたもの言いである。カズマはこの場で楓とのことを大声で言ってやろうかと思った。が、雪姫は相変わらず飄々としている。

「いや、そんなことはどうでもいいのだ。だが、一つ義道殿に頼みがある」

義道は驚いたらしく、不快げにあごを上げた。しかし、次の言葉を聞いた時には、そのあごが思い切り下がった。口をあんぐりと開けたので。

「楓をもらってくれないか」

しばらくの間、義道も、楓も口がきけなかった。屋根の上のカズマさえ同様だった。

 その間に、雪姫は押し入れから例の箱をだしてきた。

「嫁ぐ者が花嫁衣装の反物を用意するのがしきたりだそうだな。ここにその反物がある。それに楓は寺社奉行の次女であり、特に選ばれて私の為についてきたのだ。身分としても申し分ないはず」

しん、と沈黙が落ちた。

 その沈黙を破ったのは楓だった。

「カズマが、カズマが話したのですね」

唇がふるえ、真っ青だ。

「カズマ? カズマも知っていたのか?」

自分だけ蚊帳の外だったのか、という言い方に、カズマが屋根の上から降りて言い訳をしようと思う前に、義道の声でそうではないことが証明された。

「カズマも知っていたのか? 何故!? 楓、何故黙っていた」

「だって、カズマが、黙っておいてくれると言ったから」

「あんな奴の言うことが信じられるか! ああ、今頃父上の耳にも入っているかも知れぬ」

今度こそカズマは跳び降りようとした。が、今度も、別の声で留まることになった。

「カズマが黙っておくと言ったなら黙っている! 義道殿は、父君と楓とどちらが大事なのか!」

義道と楓の息を呑む気配がした。雪姫が感情をあらわにしたのは初めての事だ。さすがの義道も気魄に押された。

「何故分かったのか教えてやる。お前たちがあまりに隠そう隠そうとするから分かったのだ。義道殿、楓は心栄えの美しい忠義者だ。義道殿にも誠実であろうとし、私にも誠実であろうとし、大変に苦しんできたのだ。それを見ているのがいいかげん嫌になってきたから、楓は義道殿に差し上げる」

雪姫は、箱の反物をさらりと広げた。まぶしい銀の色が部屋中に広がった。花嫁衣装の白だ。よく見ると銀で蝶の模様が折り込まれている。

「どうだ。楓は縫い物が得意なのだから自分で花嫁衣装を作るといい。よく似合いそうだ。楽しみだな」

「ゆっ、雪姫様! でも私は、私は・・・」

わっ! と楓が泣き出した。雪姫を裏切っているという罪悪感で今までおびえにおびえていた心の関が切れ、あふれだしたのだろう。

 カズマは瓦に尻をついた。自分の馬鹿さ加減が心底嫌になった。

どうして雪姫が、自分の見栄の為に盗人のうわまえをはねるだなんて思い込んでしまったのか。そんな、そんなはずはなかったのに。

 義道は泣き伏す楓を見つめた。そして銀色に光る幾巻もの反物を。のどがゴクリとなる。 かすかに首を下に動かすだけで、楓と晴れて夫婦になれる。楓が裏切りと気にしていた主人が、こうして認めてくれているのだ。

 しかし、義道は迷っていた。

「義道殿、ためらいなさるな。・・・楓は、全く何の政略とも無関係でありながら、こんな他国までついてきて、私のような者に六年間もつかえてくれました。幸せになってほしいのです。これはお願いです。どうか、楓をもらってください」

義道は、かなり長いこと黙っていた。そして、ゆっくりと顔をあげ、言った。

「お断わり、もうしあげる」

空気が凍った。

「なっ・・・」

雪姫の顔から、サッと血の気がひいた。

「義道殿・・・!」

「私が姫様の御輿入れに反対していることはご存知でしょう。なんとかして阻止することはできないものかと、画策している者の中の一人です。それが竜北の武士としての誇りだと考えております。その私が、雪姫の側近と夫婦になるわけには参りません」

カズマはたまらず裏庭に降り立った。腰抜けの仮面がはずれてもいい、義道をどなりつけてやらなければ気がすまなかった。しかし雪姫は言った。

「大丈夫だ。楓は私のただ一人の側近。それを義道殿が手に入れるのだ。知らぬ者には義道殿の見事な計略と見れるだろう」

 義道は静かに首を横にふった。

「雪姫様。そこまで私たちのために考えていてくださったこと、愚かな私は、ただ、頭を垂れるばかりです。私は女性を尊敬の対象として見たことはなかった。今初めて、本心より敬服できる女性にお会いできた。しかし姫様、計略だ、よくやったと仲間は納得しても、私が私の本心を知っている。私は、心から、楓に惚れているのです」

楓は顔をあげて義道を見た。もう泣いてはいなかった。今こきざみに震えているのは、雪姫だ。

「どうしても駄目か」

「・・・どうしても」

「たわけた堅物よな」

「・・・・・」

義道はほうっと息をはいた。自分が堅物であることにがっかりしたのか、肩が落ちた。そして、横目で楓を見た。その瞬間に苦しい意地の後ろに隠していた隠し切れない未練があふれ出て、義道の顔をゆがめた。しかし、義道は、そでで口元を隠しながらも嬉しそうに頬を染めた楓を見たのだ。楓は義道の視線に気づいて、嬉しそうに笑った。義道もまた破顔した。

 二人の心はしっかりとつながっていた。しかしそれは同時に、心がつながっているだけで、それしか望めないという諦めでもあった。

雪姫は手にしていた反物を、庭に、ちょうどカズマの前になげつけた。そして、箱の方も、中身ごと庭に投げた。それはカズマが受け取った。

「・・・御免!」

義道は立ち上がり、ズカズカと廊下を渡っていった。しばらく誰も動かなかった。

 が、やがて、雪姫が小さな声で呟いた。

「すまぬ。このようなことになるとは・・・」

「いいえ!」

思いのほかの、楓の力強い声だった。ハッとしてその顔を見れば、晴れ晴れとして力にあふれているじゃないか。

「楓・・・」

「これでよいのです。これでよいのです。ああいう人ですから、私も好きになりました。私達も戦いましょう雪姫。古賀の者なんかに負けてたまるものですか。三姫になぞ負けてたまるものですか。カズマ! その反物持ってきて!」

「どうするんだ?」

「姫様のお着物を作るのよ。能の宴の為の」

「ええっ、だけどこんな真っ白なの婚礼以外で着たら自害するみたいだぞ」

「染めるのよ! まかせて!」

雪姫は妙な話の行きようにあわてて立ち上がった。

「ちょっと待て! 私は宴になんか出ないぞ」

「何言ってるんですか! もう私の堪忍袋の緒は切れたんです。ぶちっと音がしたんです。あの意地悪な三バカ姫ときたら、雪姫様が何も言わないのをいいことにネチネチネチネチと」

それは義道もだろ、とカズマは思ったが黙っていた。

「もう許しません。雪姫様との格の違いを見せ付けて、二度と宴に呼ぼうなどとちらと考えもしないように、いいえ、恥ずかしくて二度と雪姫様の顔をまっすぐ見られないように思い知らせてやるわよ。ふふふふふ」

カズマも嬉しくなった。

「いや、それよりあの三姫の方が恥ずかしくて宴に出てこれないようにしてやろう。どんなに着飾ろうが化粧を塗りたくろうが、三人合わせて雪姫の足元にも及ばないって事を思い知らせてやろう! 俺が町で流行の紅を買ってきてやる。それから母の形見の髪飾りがあるから館から持って来るよ」

「いやぁだ! なんか燃えてきちゃったーっ! 楽しみーっ!」

盛り上がる二人の間に雪姫が必死で割って入る。

「待て! 嫌だ! 今更着飾るなんて気恥ずかしいことできるものか! だいたいなんで私が三姫に勝てるだなんて勝手なことを思い込んでいるんだ」

「はあ? 何言ってるの? そうね、姫様がおきれいだってこと私いちいち改めて教えてさしあげなかったものね。でも、雪姫は、きれいなの。ねぇ、そうでしょカズマ」

「もちろんだ」

カズマも深くうなづいた。

「はじめて城に来た時なんか、あんまり可愛らしすぎて人形じゃないかと思ったもんなぁ。それなのにその口から生意気な言葉がポンポン出てくるのが可笑しいというか、またそれも可愛いというか・・・」

思い出してにへらっと笑ったカズマの頭を楓がおもいきりはたいた。

「何言ってるのよ! もう、変態! 十歳の子相手にそんなこと考えてたの!?」

「ちょっ、待て待て待て! なんでそんな邪な言い方するんだ。大人が可愛らしい子どもを可愛らしいと思っただけだろ。純粋な気持ちだよ俺は」

「どうだか。だって、あなた、姫さまに竹刀で叩かれて嬉しそうな顔してる時あるもんね。すっけべぇ」

「ばっか! 俺が毎日叩かれてどんな思いをしてるか分かってるのか!」

「何よ、あなたでも少しは気にしてたわけ?」

「あたりまえだ! きっと早目に髪が薄くなってしまうんじゃないかと・・・」

「もういい・・・」

地獄の閻魔が怒りを抑えているような雪姫の声に、楓とカズマはぞくりと寒気を感じて口をつぐんだ。雪姫は冷ややかにカズマを見据えた。

「あの時、一人だけへらへら笑ってる妙な奴がいると思ったのだ・・・。能天気な奴だとは思ったが・・・。おまえって、ほんとに、何も考えてないんだな・・・」

「へらへら? えっ? 顔に出てました・・・?」

「もういい。ほんとにもういい。・・・宴に出る」

「「 え? 」」

「何だかもうすべてどうでもよくなった。出るとも、出ればいいのだろう。宴ぐらいなんだ。いくらでも出てやるとも」

「なにもそんなにやさぐれなくとも・・・」

「もういいんだ・・・」

そうして楓は、あきらめてなんだか透明になった風情の雪姫の気が変わらないうちに反物を広げにかかった。カズマは自分の何がいけなかったかよく分からなかったのだが、ともあれ、金を盗んだかいがあったと、安心して町に紅を買いに向かったのだった。


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