四 狸
「ご苦労だった」
殿様が寝転がったままジロリとカズマを見て言った。その言い方からして、少しも苦労と思っていないことは確かだ。
カズマは藩主古賀兵右馬の居間にいた。兵右馬自身に呼ばれた者でないと入れない部屋である。
「井蔵とかいう者、倒せなかったのか? おまえは竜北の切り札ぞ。幕府の者なぞひとひねりでつぶしてしまえ」
簡単に言ってくれる。
カズマは腹の中でうなった。
「今度会ったら殺して首を持ってこい」
「首を持っていかれるのは俺の方かも知れません」
殿様は眉をずりおろした。
「つまらんのうお前の言いようは。嘘でも、この次には必ず倒してごらんにいれますぐらい言うもんじゃ」
「この次にはそのように言いましょう」
殿様はちょっとの間考えていたが、それ以上その話をするのはあきらめたようだった。
殿様は既に五十をすぎた、『人生わずか五十年』とすれば死んでいてもいいようなおっさんである。御庭之者達は、実にありきたりの表現ながら、狸おやじ、と呼んでいた。
「それで、漏れた藩の秘め事とはどういうものだったのですか」
とたんに、殿様はまたジロリとにらんだ。
「何故そんなことを聞く」
「いえ、これからも守らねばならないことだとすれば、中身を知っていた方が守りやすいので」
「そんなことはおまえは知らんでいい」
殿様はきめつけ、カズマは黙り込んだ。
が、殿様はむっつりした表情をふいになごませた。そして、猫なで声でこう言った。
「それよりなぁ、カズマ。昨日の港屋の件ご苦労だったのぉ」
その言い方からして、少しも苦労と思っていないことは以下同文。
「百両は確かに受け取ってたくわえてある。そこでだ。そろそろ次の獲物を探さねばならんのじゃないかな」
カズマはあぜんとした。
「そろそろって、昨夜港屋に入ったばかりでは・・・」
「しかし今から決めておかねば、下見だの何だので準備に時間がかかるだろう。花尾町の問屋、『戸田屋』。これが最近水主をやとって、海の上で勝手な商売をしておる。相手がどこの国のもんか知らんが、こないだ時化の時に舟が沈んだか舟から落ちたかで、妙に髪の長い男が浜に打ち上げられとったから、塩づけにして幕府に送っておいたわ。藩の関知するところではないからな。しかし、このまま放っておくわけにもいかん。おまえ、また二百両ばかり盗んで、百両はどこかにバラまいてこい」
「密貿易を止めさせるのと二百両盗むのとは関係がありますか」
「黒霞が盗みに入るのは何かしら後ろ暗い商売をしておる商人の所ばかりやろうが。戸田屋め、知られたと知って震えあがるぞ」
そうだろうか。古賀兵右馬の方が、それを大義名分に盗みを働いているだけではないのか。
「やってくれるな」
しかし嫌だと言えるわけはないのだ。




