想定外の評判
授業の合間の小休憩で手洗い場から教室に戻る途中、ジェニファーは緊張感のある声で呼びかけられて振り向いた。
引き止めたのは、見覚えがあるという程度の同学年の女子。
一応、クラスや派閥はわかるものの、交流はまったくない。
「何か用かしら」
「あの、私、応援してますから!」
頬を染め、まるで告白をする乙女のような素振りで言いきると、そのままペコリと頭を下げて友人の輪に戻っていった。
上気してはしゃぐ少女と偉かったと褒め称える友人達の様子まで、出来上がったワンセットさみたいだ。
ジェニファーは反応に困りつつ、最近、こういうことが増えたなと思う。
「頑張ってください」「応援してます」「励まされました。私も頑張ります」と、男女関係なく声をかけられるのだ。
これだけだと、何がなんだかさっぱりなわけだけど、「お二人はとってもお似合いだと思います!」とまで言われたら、ジェニファーにも察するものがあった。
「――という現象が起きているんですけど、シオン様の周囲はどうですか?」
もはや恒例となった溺愛演出の昼食の場で、ジェニファーは確認をしてみる。
「断るのに困る声がけがなくなったのは確かだけど、こっちも似たようなことを言ってくる奴が出てきてるから、一長一短だな」
「そうですか」
シオンへの迷惑なちょっかいや誘惑を減らすことが叶ったようだけど、絶妙に方向性が違うことはジェニファーも認識していた。
シオンの希望は公爵令嬢の一方的な囲い込みであり、偽物の関係を始めた当初は驚き呆れた冷ややかな囁きが聞こえていたはずなのに、何がどうして応援されたり羨望されたりしてしまうのか、まったくもって謎だった。
「こんな予定ではなかったのだけど……」
そんな言い訳をしながら、ジェニファーはシオンに流れ作業でフルーツを食べさせていく。
「対応しきれない誘いがなくなったのだから、多少のことは構わない」
意外なことに、シオンは文句を言わなかった。
本当だろうかと疑いの残るジェニファーは、もう一口を差し出しつつ、自分も戸惑っているのだと言い訳を重ねてみる。
「思うに、期間のせいじゃないか」
「期間?」
これまた意外なことに、答えらしきものが返された。
「一学年の後期から始めて、もうすぐ半年だ。学生間の火遊びなら、飽きるか相手を変えてもおかしくない頃合いだ。だから、それなりの情があるのだと思われているのだろう」
難しい本から顔を上げたシオンに、さらりと指摘されたジェニファーは目から鱗の気分だった。
単なる脅迫関係という実態はともかく、表面的にはそう見えてもおかしくない。
ついでに言えば、学生達は常に刺激と悲劇に飢えている。
「なるほど。となると、路線変更はしなくて大丈夫そうかも。あ、念のため、シオン様は何か言われても困った顔か迷惑な素振りをして取り合わないでね。あくまで、一方的な溺愛設定なので」
「ああ、わかってる」
素っ気なく同意し、視線を本に戻すシオンに、ジェニファーはホッと胸をなで下ろした。
好き勝手に応援されるだけならともかく、お似合いだという評判はなんとしてもシオンの耳に入れたくなかったから。
話題を切り替えたくて、ジェニファーはお茶を半量、シオンのカップに追加で注いだ。
もう食事は終わったはずでは? と、こちらを向いたシオンに、ジェニファーは追加のデザートですとバスケットから包みを取り出した。
「クッキーか?」
甘いものを前にしたシオンなのに疑問形なのは、見た目が赤いからだろう。
ハートの形をしているので、目には結構な衝撃だ。
「もらいものだけど、歯触りがよくて美味しかったですよ」
「もらいもの……」
「毒味は済んでますから、大丈夫です」
にこりと保証すれば、シオンは眉間にくっきりとしわを刻んだ。
「毒味って、それで先に食べたのか?」
「ええ。溺愛している方に怪しいものは食べさせられないもの」
「やめてくれ」
「あら、これでも、シオン様より適材だから試したのだけれど」
「上流階級の毒慣らしのことだろうけど、だったら尚更、俺の方が適材だ。こっちは領地で許される限りのありとあらゆる植物を口にして、時にはのたうち回って体感してきた。駄目なものは、舌先でだいたいわかる」
見るからに文官風情のシオンが野生児みたいな発言をするから、ジェニファーは驚いた。
「言っただろう。うちは代々の貧乏貴族だって」
「そうですけど……とにかく、美味しいのでどうぞ」
なんて返していいのか思いつかなかった公爵令嬢のジェニファーは、クッキーに逃げた。
深追いしてこないシオンは逆らわずに食いつき、美味しいなと解せない態度ながらも気に入ったようだ。
「もうひとつ、どうぞ」
ジェニファーが勧めれば、シオンが口を開くので、差し入れようとした瞬間に物音がして視線がずれた。
「あっ」
ジェニファーは思わず声が出た。
物音の先で荷物をばら撒いていた人が慌てていたから。
そうシオンには考えてほしくて、大変そうですねと声をかけてみたのだけれど、興味がなさそうにモグモグと手元の本を読み込むばかりだった。
ジェニファーも気にしてませんとばかりに残りのクッキーをシオンのお土産に包み直して、心拍を落ち着かせようとやっきになる。
ジェニファーの指先がちょっとだけシオンに食まれて一人で動揺してるなんて、絶対に気づかれたくなかったから。