すれ違い
「おはようございます、シオン様」
いつもの待ち伏せ場所で挨拶をするジェニファーは、続けて、こっそりと昨日の上着のお礼を告げた。
「いや、こちらこそ、気を使ってもらって助かった」
逆に、シオンの方が感謝してきたのは、借りた上着を部分的にアイロンだけして、侍女に頼んで昨日の内に返しに向かわせたことだろう。
貧乏貴族を自称して憚らないシオンなので、替えの上着がないのではと思って気を回してみたのだけど、正解だったらしい。
王族も通う、ここの制服のクオリティは高い。
よって、かかる費用も跳ね上がる。
貴族だって懐事情は色々で、親族や派閥内からのお下がりなどで揃えたりもするのだけれど、ジェニファーが知る限りはシオンの家系に頼れるところがなさそうだったのだ。
「では、参りましょうか」
ジェニファーは軽く微笑んで、いつものようにシオンの腕に絡みついた。
だけど、ここ最近と違って、やたらに褒め倒したり、上目遣いの隙を窺ったりするのはやめた。
シオンが必要としているのは、そこらの令嬢なら軽く追い払える公爵令嬢という肩書きだ。
公爵令嬢らしくない、似合わない試行錯誤は必要ない。
我儘令嬢らしく、気に入ったアクセサリーを見せびらかしつつ、気紛れな独占欲で囲ってみせればいいだけのこと。
だから、シオンのいいところを探そうと注目してみたり、上目遣いをお見舞いするためにチャンスを狙う必要もなくて、なのに、寂しさを感じてしまうのはどうしてだろう。
「おはようございます、シオン様」
いつもの待ち合わせ場所で、ジェニファーは優雅にシオンへ挨拶してきた。
ただ、今日はこの後に続いて、こっそりと昨日の上着の礼を小声で追加された。
正直、本当に助かった。
少し大きめの上着は、シオンにとって替えのない一張羅だった。
寮にいる限り洗濯は無料ながら、制服は質が違うので別料金を取られるため、休日の度に自分で大事に洗ってきた。
だから、洗濯してしまえば、夜を越しての半日程度で乾くのは不可能だと知っている。
昨夕、部屋に戻ってきて着替えの時に初めて気づけば、やってしまったと落ち込んだ。
一応、応急措置として学園に借りることはできなくもないのだけれど、記録としてバッチリ残るので、よほどのことがない限り不名誉でしかない。
「あー、せめて、気を使わなくていいとか言っておけばよかった……」
放課後からの調子の悪さと相まって、少々鬱々としていたら、来客だと寮管から伝言されて驚いた。
しかも、どこの家から来たのかを確認して、更に驚かされた。
「ガウディ公爵家ですか?」
「ええ。面会室に案内しているので、失礼のないように」
指摘された髪の乱れを直し、内心で慌てて部屋を出た。
「失礼します」
緊張して面会室にの一つに入ると、年齢が一回り上の落着きある女性が立ち上がった。
「突然、お訪ねして申し訳ありません。私はジェニファー様にお仕えしているマーサと申します」
丁寧な挨拶に、今更ながら、自分が上位令嬢を脅迫している立場に冷や汗をかいてしまう。
せめて、家族には咎めがないように頼まないと、と最悪を考える悲劇のヒロインみたいな思考に占領されていると、マーサは何やら紙袋を渡してきた。
よくわからないまま覗いてみると、そこには直前まで頭を悩ませていた制服の上着が入っていた。
念のため、取り出して確認してみれば、胸ポケットにはハンカチが、内ポケットには家から持ってきたお守が入っていた。
「お嬢様から、感謝していると言付かってまいりました」
「それは、それは……」
普段、あれだけ勉強をしているのに、シオンは気の利いた言葉が出てこなかった。
「本来なら、家からも礼を尽くすべきなのでしょうけど、あなた様は遠慮なさるだろうとお嬢様が仰せでしたので、お気持ちだけお受け取りください」
「……はい、ありがとうございます」
この時、シオンの中にあったのは、公爵家怖いだった。
たかが上着を貸したくらいで、この仰々しさ。
つくづく、貴族社会は己に向いてないのだと思い知らされる。
「ですから、そちらはお嬢様個人のお気持ちとして受け取ってくださいませ」
そちらと言われて空のはずの紙袋を覗くと、底に綺麗なお菓子の缶が入っていた。
軽く有名菓子店のロゴが入っている辺りが、さすがは公爵令嬢だ。
「そちらは、お嬢様がお部屋に隠し取ってあるお楽しみのひとつなので、遠慮なさらずにお受け取りくださいませ」
そう言われても、では、ありがたく……とはならない。
むしろ、お楽しみを減らしてしまった申し訳なさがわいてくるだけだ。
それでも、素直に受けたのは、そうしないとマーサが帰れないだろうとわかったのと、礼の品を選んだのがジェニファー自身なのだと察せたからだ。
「どうぞ、これからもお嬢様をよろしくお願いします」
最後にはマーサからそんな言葉をかけられたのだけど、それはいいのかと疑問しかわかなかった。
そうして、目の前のジェニファーに意識を戻せば、令嬢らしい笑みを浮かべて隣に並んで腕を絡めてきた。
「……」
ここすっかり慣れたことなのに、今朝に限ってはシオンはムズムズと落ち着かなくて困惑してしまう。
そう密着しているわけでもないのに体が強張りそうで、シオンはジェニファーに妙に思われないか気が気じゃなかった。