放課後デート
その日の放課後。
ジェニファーがいつものようにシオンを迎えに行くと、珍しく複雑な顔をしていた。
「どうしました?」
「……予定していた教師に別の用が入って、一時間ほど、後にずらしてほしいと言われたんだ」
「そうでしたか。では、デートをしましょう」
「は?」
またもや珍しく、ポカンと呆気に取られた顔をするシオンを引っ張り立たせて教室を出た。
「どこへ行く気だ」
不機嫌そうな低い声で問われて、ジェニファーはチラリとシオンに目を向け、いまは上目遣いどころじゃないなと思って視線を外して答えた。
「図書室です。お昼に読んでいたのは、本日約束している先生からお借りしたもので、返す前に読み直していただけでしょう。ですから……」
説明している内にシオンの足が止まってしまったので、今度はジェニファーもしっかりと向き直った。
なんだか、驚いた顔をして見える。
「シオン様?」
首を傾げて名前を呼んでみて、あっ、これって必殺上目遣いが達成してるのでは!? と気づいたジェニファーは、途中で意識して、にっこり笑いかけてみた。
「いや、なんでもない」
しかし、笑いかけた途端に、シオンは我に返ったらしい。
その顔は赤くなって照れたりしているというよりは、苦いものを食べた後みたいな感じだ。
「心配しないでも、いつもの振りだから。一時間も一人で彷徨っていたら、誰かに捕まるわよ」
期待していた反応をもらえなくて、ジェニファーはやさぐれた口調で視線を外すと、無駄な足掻きをしないで移動を促した。
なのに、シオンに動く気配がなかった。
「どうしたの?」
「いや……」
「私がいると読書に集中できないっていうなら、視界に入らないように座っているけど」
「そうじゃなくて、その、読書は飽きたから、他のところがいい」
「は?」
どこからどう聞いても嘘だった。
あの勉強熱心で知識欲の強いシオンが読書に飽きるなど、どの口で言ったのが謎なくらい、とんちき発言だ。
何か悪いものでも差し入れされたのか、それとも、そのくらいジェニファーといる時間が増えるのが嫌なのか……。
「だから、行き先は君が行きたいところでいい」
「はあ??」
続けられた言葉に、益々、謎は深まった。
まさか、ジェニファーに気を使ってということはないだろう。
図書室の気分じゃないのなら、他にいくらでも……と考えて閃いた。
もしかして、シオンは時間の適当な潰し方を知らないのじゃないだろうかと。
そうか、そうかと納得をしたところで、ハタと気づいてしまった。
自分だって、行きたいところなんて思いつかないことを。
「テラスでも中庭でも、どこでも付き合う」
親切心なのだろうけど、シオンの申し出には困ってしまった。
「あの、行かなくていいなら、目立つ場所には行きたくないです」
「え?」
シオンは、何が驚くことがあったのだろうと思うくらい意外そうな顔をした。
「あっ、もちろん、溺愛中は人目がないと意味ないのはわかってるから、大丈夫!」
すぐに察したジェニファーは慌てて弁明しておいた。
「で、行きたい場所はないわけ?」
「えっと……」
「静かな場所がいいなら、校舎裏でも散歩するか」
「そうですね。じゃあ、それで」
ジェニファーは賛同してみながらも、シオンに対して違和感しか浮かばなかった。
「……」
「……」
なんだろう、この居心地の悪さは……と、ジェニファーは無言の気まずさの中で思っていた。
中庭のように魅せる整備をされていない木陰を、弾む会話もなく歩く男女。
時間を潰すにしても、もっと他にやりようがあるだろうと考えたところで気がついた。
別に、人前でないのだから、こうやって腕を取って歩いている必要はないのでは? と。
どうやら、虫よけ溺愛演技のための誘いでもないらしいので、ジェニファーはさりげなく手を外そうと引き抜いている時に、何かにつまずいてよろめいた。
「つっ!?」
完全にバランスを崩したおかげで、絶対に転ぶと一瞬で覚悟した――のに、転ばなかった。
自分のマヌケさにびっくりすぎてドキドキを静めていると、すぐ耳元で優しげに囁かれた。
「大丈夫か?」
その近さにびっくりして、思わず突き放してしまったのだけど、お尻をついて崩れたのはジェニファーだった。
「えっと……」
そろそろと地面からシオンを窺うと、なんとも言いようのない顔をしていた。
親切な支えを無下にして勝手に転げたのだから、当然の反応だろう。
「ごめん、気にしないで。私が悪かっただけだから」
情けないやら、恥ずかしいやらで視線を外したジェニファーは、もうすぐにでも帰りたかった。
「それは、こっちのセリフだろう。俺がしっかり支えてなかったせいだ」
予想外の言葉に再び見上げると、あっという間に抱えられるように立たせてくれた。
「怪我はしてないか」
「うん。たぶん、平気」
「後ろは?」
「後ろ?」
言われて振り向いてみれば、スカートの一部が草色に染まっていた。
「洗えば落ちるだろうけど、目立っちゃうかなぁ」
これでも、一応、この学園で筆頭貴族の令嬢なジェニファーとしては、そこそこ大きな失態だ。
仕方ない。
人目を避けて、顔を隠して帰れば……と作戦を立てていると、シオンは自分の制服の上着を腰に巻いてくれた。
「あのぅ」
「遠慮はしてくれるなよ。公爵令嬢の威厳を損なわせるわけにはいかないだろう」
「そう、ですわね……」
「ん、どうした?」
「いいえ。なんでもないです。ありがとうございます、シオン様」
急に冷静を取り戻したジェニファーは、それから心落ち着かせてシオンの興味を引きそうな話をして、残り時間を有意義に過ごした。