向いてない
「やっぱり、人間には向き不向きというものがあると思うのよ」
ウィルヘルムに溺愛の指南役を頼んでから数日。
ジェニファーは細やかながらもテコ入れを頑張ってみたのだけど、ちっとも手応えを得られていなかった。
「僕としては、ジェニファーちゃんの向き不向きの前に、相手の感度とか感受性の問題だと思うんだけど」
「そこは、言っても仕方ないわね。シオン様は勉強一筋なんだから」
「だから、エスコートされながら上目遣いを試みるジェニファーちゃんは無視され続けるしかないって?」
「うっ……」
色々話し合った結果、手っ取り早い過剰なスキンシップは契約関係の後腐れにしかならない上にジェニファーの評判に影響が出る恐れが高いので、さりげなく見つめたり、褒めたりする方向で試していたのだけど……。
「私だって、こんなに目が合わないものだとは思ってなかったのよ」
これまでジェニファーは近づいてくる令嬢ばかりに注意を払っていたので、あれほど腕を組んで近距離にいながら、互いのことはまったく視界に入れていなかったのだ。
「だから、さっさと名前でも呼んで振り向かせればいいって言ってるのに、呼んだら怒られるって、おかしくない?」
「邪魔したくないだけだって。前に、ぼんやり歩いてるから注意したら、考えてたことが消えたって言われたから」
「何、それ。何様?」
「だから、シオン様だって。本当に、びっくりするくらい努力家で真面目なの。だから、私みたいので役に立てるなら応援してあげたいんだよね」
「ふうん。そのわりには、ジェニファーちゃん、僕にあっさり打ち明けてくれたよね。僕が言いふらしたらどうするつもりだったの?」
「……それ、考える必要ある?」
真顔で首を傾げるジェニファーに、ウィルヘルムは頭が痛くなった。
「僕に絶大なる信頼があるのはありがたいけど、それ、本当に好意を寄せる相手のことだったら、絶対やったら駄目なやつだからね」
「そお? 本気だったら、尚更、解決するには必要な手だと思うのだけど」
「うん。とりあえず、ジェニファーちゃんがシオン様とやらに同情しかないのはわかった。あ、溺愛作戦は、このまま続行でいいからね」
「ええー、こんなに手応えがないのに?」
「だからこそ、面白いことになると思うよ」
「面白いって……」
「大丈夫。ジェニファーちゃんの希望通り、群がる花は減るはずだから」
「なら、いいけど」
そんなこんなで、ジェニファーは本日も手応えがないまま、寮に帰って行くしかないのだった。
「……」
シオンは、この頃、妙な視線を感じるようで本に集中できていなかった。
「どうしました? シオン様」
「いや、なんでも」
「そうですか。まあ、難しい学術書もスラスラですし、今日も、さすがはシオン様ですわ」
気になると言えば、この頃のジェニファーが見え透いたお世辞を贈ってくるのも集中を欠くひとつだった。
たくさん本を読む、難しいことを知っている、どんな時でも冷静で真面目だと持ち上げてくるけど、シオンにとっては嫌みにしにか聞こえてこない。
優雅で詩的な表現のできる洒落者が好まれる貴族社会で、勉強するしか能のない、遊びも余裕もない人種は蔑まれて当然の風潮だからだ。
それなのに――
「今日のデザートは果物にしてみました。初ものなのですって」
ジェニファーの場合、皮肉や嫌がらせではなく、本気で褒めるべき美点だと思っている節しか見えないところが困りどころだった。
シオンがあえて見ないようにしてきた貧乏男爵子息のコンプレックスを、悉く取り上げられる心痛をどうしてくれようか。
ましてや、それを言ってくるのは生っ粋のお嬢様だ。
平然としている顔の下で、田舎者がどれだけ浮かないように冷や汗をかいているのか知らないのだろう。
認識している悪意より、天然の真心の方が残酷非道だ。
「あ、果汁に気をつけてください。その本、借り物でしたよね」
そんな、のんきな忠告をしてくるフォークの先にあるのは熟れた苺だ。
もちろん、注意はするが、こんなもの、一口で頬張れるのだから果汁も何もあったものではない。
「では、あーん」
自分で頼んでいる溺愛設定だが、あまりの苛々加減に、つい睨みながら口に含み、乱雑に抜き取ってしまった。
八つ当りだとわかっていても、びっくりして固まっている反応を見ると、止めようという気になれなくて「次」と催促してみる。
慌てて追加が出されたものの、さすがにジェニファーと視線が合わなかったので、後はいいと読書に戻った。
だけど、やっぱり、たいした集中はできなかった。