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男爵様の溺愛

「ん……」


夢心地のまま目覚めたジェニファーは、時間を確認しようとして妙なものを視界に入れてしまった。

そうして、昨日の一連が現実なのだと、もう間もなく自分が婚約者持ちになってしまうのだと思い出しても実感がわかなかった。


そう。

驚くことに、あれからシオンはガウディ公爵、つまりはジェニファーの父と面会し、その場で婚約を取りつけ、今朝一番で役所に届け出られる確約を得た。

信じられないことに、ジェニファーの返事に関わらず面会を申請していたというのだから用意周到がすぎる。

ついでに呆れたのは、なんだかんだとごねる父の態度と最終着地地点が『いつでもどこでもジェニファーからの離縁が可能』という謎の条件を公文書で残すことだった。

それをお守りとして常備しておくようにと押しつけられたのが、朝一で目にしてしまった紙きれだ。

しかし、驚き呆れることは今日になっても続いた。


「おはよう、ジェニファー」


登校しようと玄関を出たら、なぜだか馬車と一緒にシオンが待っていた。


「なんでここに?」


「昨日、借り受けた馬で」


「そういう意味じゃあ……あ、そっか。馬を返しに来てくれたついでというわけね」


「いや、そっちがついでで、本命は愛しの婚約者との時間を少しでも持ちたかっただけ」


「なっ、昨日から思ってたけど、氷の賢者はどこに落っことしてきたのよ!?」


「あぁ。あれは面倒な人を寄せつけたくないオーラを出してただけだから」


「でも、だって、事情を知ってる私の前でも冷めた感じだったじゃない」


「あれも脅されてもらう為なだけ。だいたい、好きになった相手に素っけなくする趣味はないし、何より、我が婚約者殿は溺愛をご希望だろ」


さらりと返されたジェニファーは、言われた事実に悔しいやら恥ずかしいやらで、今更ながらに、昨日の返事のやり直しをしたくてならなかった。


「ひとまず、一緒の登校の許可をもらいに、お義父上に挨拶しに行こうか」


余裕綽々で手を差し伸べてくるシオンを前にしていると、なんだか愛しさよりも憎たらしさの方が上回りそうな気がしてきたジェニファーだ。



 * * *



結局、シオンは父公爵と挨拶することなく同じ馬車に乗る許可を得た。

なぜかと言えば、父が朝から天敵を相手する気力はないと執事を通して伝えてきたからだ。


「私、知らなかったわ。お父様があんな親バカ気質だったなんて」


娘を取り巻く環境を把握してないわけがないのに、これまで静観してばかりだったのだから。

そう呟いたら、向かいに座るシオンは苦笑して、それは可哀想だと返してきた。


「どういう意味で?」


「公爵様だろうと表立って動けないのは仕方ない。なにせ、相手は子供を亡くした王妃様なんだから、下手しなくても非難が増す危険が高すぎて君のためにならない。代わりに、抗議の意を込めて、公爵は毎年中央の仕事や役職を着々と減らしているそうだよ」


「え? ……でも、確かに、家にいる時間は増えてたかも?」


「なのに、ジェニファーは寮生活を始めちゃうしね」


「でも、戻ってきたわ」


「嬉しかっただろうね」


「……どうして、私より詳しいのよ」


恨めしげに見上げたら、無言の笑みを返された。

教えてくれる気はないらしい。

ついでに、改めてモテるのもわかると思ってしまって、少々憂鬱になる。


「俺としては寮に戻ってくれた方が都合がいいけど、公爵様の機嫌を損ねるわけにもいかないからな」


「都合?」


「これから放課後は時間を作れそうにないから、寮なら、朝や夜に顔を合わせるくらい容易かったのにって話」


「……忙しくなるのは私のせい?」


「違う、俺達の為。さすがに、うちの預り領地を人任せにするわけにはいかないし、改善が見込めるのは家庭菜園を多少増やせるくらいしかないから、いまの内に副業の売り込みをしておきたくて」


「……」


「考えてるのは、公文書や証明書の下書きや清書。資格は年内の試験で取れるから、宣伝さえしておけば安定収入にできる。余裕があるなら、研究や論文の手伝いも長期か期間限定なら領地でやるか王都に出てきてくる時に可能じゃないかと思ってて、教師陣に相談したいから放課後は詰めて動くつもり」


具体的に説明してくれるシオンに、ジェニファーは呆気に取られるしかなかった。


「それじゃあ、私は何をすればいいの?」


口にしてから、頭の悪いことを言ってしまったと恥ずかしくなった。


シオンは望みを自力で叶える能力を持っている。

公爵令嬢の肩書きしか持っていないジェニファーなんて選ぶ必要がないくらいに。


「俺に溺愛されてくれればいい――とか言ってやりたいけど、騙されたって実家に帰られるのも困るから正直に言うけど、最低限の家事は身につけておいてほしい」


「家事?」


「そう。いわゆる下働きのこと。一応、領主館では人を雇ってるけど、実家の方は親戚一同で回ってるから、わからないときついかもしれない。もちろん強制する人はいないはずだけど、そういうやり取りがコミュニケーションとして成立してる家だから、交ざれないときついかも……」


さっきの自信ある物言いとは打って変わって、申し訳なさそうに告げられては、ジェニファーも言葉が出てこなかった。


「ごめん。昨日の今日でジェニファーの頭も心もついてこれていないのは当然だと思ってる。急な話になったのは単なる思い出に消化される前にアピールしたかったからで、お互いの立場もあって確約まで一足飛びになったのは悪いと思ってるし、落ち着いた頃になって後悔される怖さもある。でも、しがない男爵家の俺に取れる方法はこれしか浮かばなかったし、嘘偽りの関係の中にも寄せられる熱があったと信じたかったから」


窺うように見つめられ、ようやく好いてもらっている実感がわいてきたジェニファーは張っていた気が緩んだような、浮ついていた足が地についたような気分になった。

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