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話し合いましょう

ジェニファーが抱きしめられたことを認識するのと競うように、背後から息を飲む音に加えて冷やかしの口笛が短く聞こえて、ビクリと体が強張った。


「もしかして、忘れてた?」


後頭部、首元辺りで囁くようにシオンに問われて、涙の引っ込んだジェニファーは自分の迂闊さと状況の恥ずかしさに悶えながらも僅かに頷いた。

二人共ジェニファーの視界に入らないところに立っていたので、シオンの突飛な話と相まって意識の外になっていたのだ。


「たぶん、二人には見られてないと思うけど、もう平気か」


続けて問われて、ジェニファーの頭は急降下で冷えた。

抱きしめられたのは感極まったとかではなく、親切心からくる配慮だったらしい。

ジェニファーのプライドを尊重してくれるのはありがたいけど、残念に感じてしまうのは身勝手だろうか。

しかし、おかげで自分を取り戻せた。


「それで、さっきのアレは何?」


突き放しながら顔を上げて問い詰めると、シオンは目を瞬いた。


「ん、デジャヴ?」


「デジャヴじゃないわよ、聞き直したんだから。どこもかしこも意味がわからないことだらけ。あれで頷いてもらえると思ってたら、とんだ氷の賢者様だわ。そういうわけだから、そっちの二人も他人事にしてないで、こっち座って説明してくれないかしら」


ぎろりと半目で振り返り睨みつけたら、二人とも大なり小なり頬を引きつらせてバツが悪そうに従った。

ウィルヘルムはシオンと並んで、グレースはジェニファーの隣に大人しく座る。


「で、二人はどんな役割を?」


「言って置きますけど、私はジェニファーとの約束を守って、何も言ってないわ」


つんと澄まして断言するグレースは、ただシオンにウィルヘルムを紹介しただけだと言い訳をして乗り切るつもりらしい。

ジェニファーはひとまず聞き流して、もう一人の言い分を確かめることにする。


「僕はなんにも言われてないし、約束もしてないから、気になったことを調べて、必要そうなところに報告しただけだよ」


こちらも悪びれずに答えてくれた。


「具体的には?」


「ジェニファーちゃんが何気なく敬遠されてる暗黙の了解の理由とか、ジェニファーちゃんが唐突に溺愛関係をやめにしたきっかけとか」


そこまではジェニファーも、まあ許せるし理解できる。


「それで、どうして王子様まで関わってくるわけ」


「どうしてって、これに関してはジェニファーちゃんのせいじゃない」


「え?」


「だって、シオン先輩のお家事情を教えてくれたのはジェニファーちゃんでしょ」


言われてしまえば、ウィルヘルムが正しかった。


「でも、だからって、便宜を図ってもらうみたいな……」


「ジェニファーちゃん。さすがに、それは側近候補として聞き捨てならないならないんだけど」


「ごめん。でも、なんか気になる言い方だったから」


実際、忠誠やら平穏の保証やらと、軽くない表現が使われていたのだから、不安になるのも無理はない。


「うーん、具体的な話し合いの内容は色々あって教えられないけど、とりあえず、継承の儀を疎かにできないってとこだけでも、僕らは放っておけないんだよね」


「伝統だものね」


「だけじゃなくて。過去に二例だけど儀式を完遂できなかった代があったんだけど、どっちもすぐに世代交代させられてたんだよ」


思わずシオンを見れば、コクリと肯定された。


「とにかく、その辺はジェニファーちゃんが気にする必要はないからねって話。どっちかっていうと、僕達の方が便宜を図ってもらったって感じだから」


それはそれで、どうかと心配になる発言だ。


「うちが条件つきで脅した形だけど、どちらも利になるから問題はない」


続くシオンの後押しは心配が増すだけだった。


「詳細が気になるなら、ドミニク家の当主と結婚すればいい」


更に続けられた誘いに、ジェニファーは大いに呆れた。


「断っても構わないんじゃなかったの?」


「……断られても、俺がしばらく生きる屍になって使い物にならない状態に鞭打って、王子とガウディ公爵と我が家に振られた報告をするだけだから構わないって言っただけで、断られたいわけじゃない」


不貞腐れたように目を逸らされたけれども、聞き捨てならない家名が聞こえた気がする。


「ねえ。どうして、そこで、お父様の名前が出てくるわけ?」


「貴族の婚姻なんだから、当主同士の話し合いは当然だろう」


「それはそうだけど、そうなんだけど……もうっ、父はなんて言ってたのよ」


「とりあえず、婚約者候補には入れてもらった。後は娘の意向と俺の頑張り次第だそうだ」


「本当に、父がそう言ったの?」


信じられない気持ちで問いかければ、間違いないときっぱり答えが返ってきた。


外堀は最大限に埋められているらしい。

それでも、選択権はジェニファーに委ねられていた。


本音を晒せば、ここまでされて求められるのは悪い気がしない。

シオンに対する嫌悪感はないし、位が高いだけに扱いに困る令嬢に来る縁談は早々ないのが現状で、ここまでのことをしてくれたのだから頷いてしまえばいいと頭では理解しているのに、よい返事をするには躊躇いがふっきれなかった。

なら、そこまでの縁なのだろうと、この先に後悔する予感がしながらも断る方に大きく傾いていく。


「ジェニファー」


呼ばれて見上げれば、シオンの真っ直ぐな視線にぶつかった。

躰が震える。

ああ、この人に愛されたい。

途端に、そんな感情だけが浮かび上がって驚いた。

だけど、同時に腑に落ちた。

踏ん切りがつかなかったのは、自分の感情に気づけなかったからだ。


ままごとみたいな偽りの関係なのに、いつからか慕わしく想っていたなんて。

孤高の令嬢を気取っていたくせに、人恋しくてならなかっただなんて。


「……私は泣くより笑っていたい。苦労は覚悟できる。でも、あなただって私のせいで苦労するはず。それでもいいって言ってくれるなら、私を溺愛して。嘘でも約束してくれるなら私は喜んで頷くわ」


落ち着いているつもりだけど、ジェニファーの手は冷えきり、小刻みに揺れていた。

向かい合うシオンは息を呑み込み、脱力するようにソファにもたれ崩れた。

それから座り直すと、嬉しそうな笑みで応えた。


「約束する。言われなくても大事にする。溺愛する。だから、隣にいてほしい」


「はい。よろしくお願いします」


なんだか、ふわふわ心地で視線を逸らすと、ヴィルヘルムもグレースも自分のことみたいに喜んでいてくれて、ますます夢のようだとジェニファーは地に足がつかない気分だった。

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